ねこなんて大っ嫌い

ってずっと思ってたのに。
死にそうな子ねことの出会いが生きる力を与えてくれました。
バツ2でも結構幸せにやってます!

 「汲む —Y・Yに— 」 茨木のり子

2024-06-07 05:55:55 | 雑記
 大人になるというのは
 すれっからしになることだと
 思い込んでいた少女の頃
 立居振舞の美しい
 発音の正確な
 素敵な女のひとと会いました
 そのひとは私の背のびを見すかしたように
 なにげない話に言いました

 初々しさが大切なの
 人に対しても世の中に対しても
 人を人とも思わなくなったとき
 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

 私はどきんとし
 そして深く悟りました

 大人になってもどきまぎしたっていいんだな
 ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
 失語症 なめらかでないしぐさ
 子供の悪態にさえ傷ついてしまう
 頼りない生牡蠣のような感受性
 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
 外にむかってひらかれるのこそ難しい
 あらゆる仕事
 すべてのいい仕事の核には
 震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・
 わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
 たちかえり
 今もときどきその意味を
 ひっそり汲むことがあるのです



この詩は、詩人茨木のり子さんが、新劇の女優山本安英さんとの出会いで生まれたものだそうです。

私はこの詩を読んだ時、大好きなブロ友さんのことが頭の中にぶわーっと広がるのを感じました。その人は、この詩に出て来る、正に大人になり切れない柔軟な思考の持ち主です。

あぁそうか。だから彼女にこれほどまでに惹かれるのか。

育児放棄のような母親の元で、自分は生まれてきてはいけなかったのではないか、生きていてはいけないのではないか、と長い間、苦しみ続けた彼女。

だけど皮肉なことに、それが今の彼女を作っているのかと思うと、軽はずみに言ってはいけないのだろうけれど、その苦しみによって、他の誰もが手にすることの出来なかった、大きな大きな宝を手中にしたのではないか。それはなにか、彼女が報われたような心持ちになって、知らず知らず、頬に涙がとめどなく流れていることに気付いた。

そんな彼女が、ようやく最近、生きている自分を許し、認めてあげられるようになったという。それは、これまで生きにくかった彼女を取り巻く世界の中で、必死になって死に物狂いで生きてきた、彼女へのご褒美に他ならない、と私は思いました。

茨木のり子さんの詩が好きです。色々な捉え方があると思いますが、それはそれぞれで良いのだと思います。


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