子供たちに逢う日まで…

胚盤胞移植をしてH19年夏に女の子を出産しました。二人目は、不妊治療と不育症の治療してH22年春に女の子を出産しました。

周期30日目(ET後15日目)

2006年08月20日 10時20分43秒 | IVF
今日の体温は、36.71です。
プレマリン・ルトラールの服用は昨日で中止。
膣座薬も昨日で中止。


昨日、病院へ行ってきました。
結果は、


陰性でした。


先生「陰性…ですね…」

私「そうですか。」

先生「ちょっと待って。。。」
先生、検査薬をガン見

先生「う~んやっぱり陰性ですね。高温層も続いているし、ET1週間後のホルモン値も良かったのにね。」
自分の事の様に辛そうな表情。

私「また、頑張ります。」
頑張って、笑顔で言ってみた。。

先生「心身ともに休めて、また頑張りましょう。」
なるべく明るい表情を作ろうと頑張ってくれている。

私「はい。」
もう一回笑顔で答えてみた。。

先生「大丈夫?」
とっても、優しい先生だから私の気持ちを痛いほどわかってくれているみたい。

私「大丈夫ですよ」
先生の優しさに触れて思わず、ウルっとなりそうになったけど、我慢我慢先生だって結果を伝えるのが辛いんだから。



この後、病院へ来れなかった旦那にメールで報告しましたが、

「ダメだった。」

これ一言しか送れませんでした。
もっと、心配をかけない言葉を送ろうと思っていたのですが、気持ちのコントロールがきかなくなっていました。

旦那はすぐにTELをくれて、

旦那「hoshi(←私)大丈夫?」
いつも私を気遣ってくれる言葉から始まる、旦那の優しいTEL。。

私「うん。」
旦那を気遣う言葉すら出ない私。。

旦那「先生なんて?」

私「ホルモン値は良かったけど、尿検査では陰性が出てると…」

旦那「そっか…hoshiたくさん頑張ったのにね。頑張ってくれてありがとう。」
K(←旦那)も辛いのに、どうして私の事考える余裕があるの?…辛いって言っていいのに…


私「ごめんね。。」
いろいろ頭の中に言葉があるのに言えたのはこの言葉だけ…自分の器が小さい事にまたショック。

旦那「なんで謝るの?」

私「ET2回目だから期待してただろうし。」

旦那「それは、hoshiも俺も同じ。もちろん期待して卵を信じていたけど仕方がないよ。」

私「ちょっと、疲れた。」

旦那「定時で終わるから、一緒に帰ろう。」



この後は、車の中での会話

旦那「ただいま~」
いつもと同じ笑顔で車に乗り込むK。

私「お帰りなさい」

旦那「明日は、休みだしhoshiと一日一緒にいれるよ。」

私「次、採卵からだから転院するなら今決断しないといけないんだけどな…」
旦那の話を聞く余裕すらなく、次の治療の話に入ってしまう私。

旦那「そっか。じゃ、前に講演を聞きに行った先生の所は?これも何かの縁かも!?」

私「私も、それがいいかもと思っていたよ。」

旦那「早速、家に帰って調べようね。」

私「うん。」

旦那「今日は、おいしい物でも食べて帰らない?」

私「なんで?お祝いする事はなくなっちゃったのに?」
旦那に当り散らす私。

旦那「辛い治療に前向きに頑張ってくれたhoshiへのお礼だな!」

私「じゃ、お寿司がいい」

旦那「よし!お寿司に行こう。」

っと、こんな会話をしながらお寿司を食べて帰宅しました。

こうやって、文章にすると自分をコントロールできないでいる自分が恥ずかしいです。そして、いつも冷静で優しく私を受け止めてくれる旦那に感謝です。



これからの事ですが、転院を決めました。
今の病院の先生には、よくして頂いているし出来れば今の先生から陽性反応を頂きたかったのですが、AIH10回(?)・ET2回、内1回はAIHで妊娠したけどケイリュウ流産。
何か変えないと、妊娠へ辿りつけない気がします。
そして、今決断しないと家計的ににも厳しいので家からは少し遠くなりますが研究熱心で妊娠率が高い病院へ、今度旦那と病院説明会へ行ってきます。

昨日(判定日)のアクセス数が、とても多かったので皆さん見てくれているんだなーと思うと嬉しかったです。
まだ妊娠していないので、参考になるかは分かりませんが、これからもありのままを書いて行こうと思います。


皆さんにも幸運が訪れますように