治験の本質・目的(治験依頼者にとって、そして創薬ボランティアにとって)

2006-03-12 20:08:28 | Weblog
*下記の発言は全てホーライによるフィクションであり、登場する人物には何の責任も有りません


デーモン部長「シャチョーのジョークじゃないけが、治験の本質って何だろう?」

チビ姫「難しいわね。」

パチョレック池上「治験の目的ってこと?」

デーモン部長「そうかもしれない。」

モニ太郎「じゃ、治験にしかできないことを考えればいいのよね?」

デーモン部長「うむ。そうだな。」

りんご姫「それは新薬の卵の評価でしょ?」

デーモン部長「うん。確かに。新薬の安全性と有効性を評価するのが治験の大きな目的だ。」

捨て猫「そして、評価した結果、これは新薬として世に出せる、世の中に出す価値がある、と企業が(あるいは医師が)判断したら、製造販売承認申請をする・・・これが治験の目的だと思うけれど。」

デーモン部長「そうだな。それが目的だ。だが、それはあくまでも治験依頼者の目的だな。」

べのした「そうね。」

デーモン部長「じゃ、創薬ボランティアにとって治験に参加する目的、意義、本質はなんじゃろうな?」

有馬街道「Phase-Iの健康成人にとって治験に参加することは、金銭的なメリットしかないわね。」

バカボン「そこにボランティア精神が有るかどうかは別としてね。」

デーモン部長「では、Phase-IIでプラセボや効果がそう期待できない低用量の治験薬を含む治験で、創薬ボランティアが治験に参加するメリットは?」

小桑院「メリットはないわね。」

さくら「でも、参加した創薬ボランティアの方の大半は、もし、また治験に参加する機会が有ったら、参加しますか?という問いに参加すると答えているわ。」

博多小町「治験の意義を分かってもらった場合ね。」

デーモン部長「そうだ。で、その治験の意義を創薬ボランティアに伝えるのは誰だろう?」

カルシファー「治験責任医師や治験分担医師、CRCの方だわ。」

デーモン部長「その場合の治験の意義は?」

かぐや姫「新薬を世の中に出すため。」

百年の孤独「たとえ、それが自分の今の病気に効かないにしても。」

デーモン部長「と言うことは、治験依頼者にしろ、治験責任医師にしろ、創薬ボランティアにしろ、彼らにとっての治験の意義は『新薬を世の中に出すため』ということだな?」

Atsu-4「そうね。そうなるわね。」

デーモン部長「本当にそこがわしらは分かっておるのじゃろうか?」

まきろん「どういうこと?」

デーモン部長「創薬ボランティアが参加してくれる予定の治験を速やかに始めているだろうか?」

フラワー「始めていると思うけれど。」

デーモン部長「なんだか、無意味なところで、時間を取りすぎていないか?」

ヨ-イチ「治験は開始する前に、十分に検討すべきだ。」

デーモン部長「本当に、必要なことで時間を取っているならいいのじゃが。。。くだらないことで時間を無駄にしていないか?」

まひな「無いとは言えないわね。」

トトロ「でも、なにがくだらないかという判断はあいまいだ。」

デーモン部長「患者は一刻も早く、新薬が出ることを心待ちしている。」

ゆーり「もちろん、そうだと思う。」

デーモン部長「その貴重な時間を社内や社外との駆け引きに使っていないかな?」

みかん「有るかもしれない。無いかもしれない。分からない。それは、どんな世界でも同じじゃないかしら。」

デーモン部長「そういうことだ。企業や役所という組織には必ず巣くっている人間の欲望の駆け引きに治験が使われていないとも言えない。」

港野陽子「じゃ、どうしろと?」

デーモン部長「まずは自分から変革することだ。」

パピヨン750「どう変革するの?」

デーモン部長「治験の第一の目的は安全に速やかに新薬を世の中に出すのが努め。そのために創薬ボランティアも参加してくれる。」

ぼつ「初心を忘れないって、ことですね。」

デーモン部長「他人を変えることより、自分を変えるほうが100倍は簡単だ。」

◆架空の製薬会社『ホーライ製薬』

◆医薬品ができるまで

僕の人生が沈黙する時

2006-03-12 13:36:27 | Weblog
あなたの人生の最優先事項は何ですか?

仕事? 家庭? 趣味? お金? 時間? 生きがい?


僕は「生きがい」を最優先にしている。

それは一部、仕事に絡むし、家庭にも絡む。 趣味や実益も多少は絡む。

そんな生きていく上で絡まざるを得ない様々なことをこなしつつ僕は生きがいを探しながら生きている。

そして気がつくと、生きがいとは自分の中にしか無いことに気がつく。

何を生きがいと感じるのか?それはひと様々であり、同じことでもそれを生きがいと感じる人とそうでもない人がいる。


充実した時間を持つということは極めて個人的な問題だ。

「今」という時間が光速で過ぎ去っていくときに、最優先事項を本当に「最優先」でやっているだろうか?と自問する。

僕の人生が沈黙する時に、僕は悔いていないだろうか?

「生きたいように生きる」・・・・・・当たり前だが、最も難しいことだ。
「自分の心に素直に生きる」・・・・・・・そうはいかないのが世の中だ。
「より良く生きたい」・・・・・・・・「より良い」って、一体何?

人生の勝負は、実はここらあたりでもう決着がついている。
自分の気持ちをごまかす人。自分の心に耳を塞がざるを得ない人。
それでも、自分の生きたいように生きたいと思っている人。

あとは、それをやるかどうかだ。