人生を治験に例えると

2005-10-31 22:04:49 | 治験
人生を治験にたとえてみよう。(治験を人生にたとえたほうがいいかな?)

生まれたての赤ちゃんは「シーズ」である。
可能性は無限に秘めているが、まだまだ、どんなことになるかは分からない。

そこで色んなことを試してみる。(親も本人も)
すると、赤ちゃんは言葉を覚え、社会の基本的ルールを学んで小学校に入る。

このあたりは、シーズで言うと薬理の探索中だ。

小学校から中学校、高校は人生でも一番変化の多いとき。
薬の基礎で言うと、そろそろ薬理のあたりがつき始めたシーズである。
そのシーズもいろんな誘導体が造られる。

高校2年生の頃から、赤ちゃんだった人間も自分に合った進路を考え始める。
理系か文系か?
理系の中でも物理系が得意か、生物系か、はたまた化学系か、などと細かく自己分析しつつ、進路を決める。

シーズもほぼ薬理の探索を終え、循環器系か、中枢系か、はたまた抗菌剤系か? などとフォーカスが絞られる。

人間が大学に入る頃が、治験で言うとフェーズ1かな。

人間は社会との相性を考える時期だ。
治験では治験薬が人間の体との相性を調べられる。

就職活動がフィーズ2。
治験では探索試験の相。

自分がどんな職業に向いているのか、面接なんぞを受けながら考える。

そして、就職。
治験ではフェーズ3.

自分が決めた職業が本当に自分に適しているかどうかを、仕事をしながら考える。


会社で管理職試験の頃が、薬では販売承認申請の頃か。(たまに管理職試験を落ちる人もいる。)


管理職試験に合格すると、薬は販売を始める。

で、このあとも販売後臨床試験なんぞがあるわけですな。やれやれ。



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◆----医薬品ができるまで--------------



◆----ハードボイルド・ワンダーランド日記--------------




何故、サイトを運営し続けることができるのか?

2005-10-30 19:51:17 | Weblog
「医薬品ができるまで」というサイトを5年間、作り続けてきた。

何故、僕は5年間、サイトを運営し続けることができたのか?

それは、もちろん、多くの人の助けが有ったからだが、それを除くと、結局、僕は「書くことが好き」で、なおかつ「書いたものを人に見せたがる」からだ。(これはあくまでも僕のことね。)

サイトを立ち上げた最初のきっかけは「暇だから」とか「インターネットが流行り始めてきたから」とか「治験を広げる必要があると思ったから」等などだ。

しかし、これらは「きっかけ」だ。
何事もそうだが、始めることはまぁ、たやすい。
継続し続けることが難しいのだ。

継続し続けるには、何と言っても「好きだから」というのが、一番継続しやすい。

僕のサイトも、最近は営利主義に走っているが、これまでただひたすら、無料でやってきた。(ほとんどの人がそうだけど。)

ところで、一体、サイトを作っている人は、何故、作っているのだろうか?
どうして作り続けているのだろうか?

それを知りたいものだ。


「何故、サイトを運営しているのか」でグーグル検索したら101件、ヒットした。

みんな、それなりに悩んでいるようだ。

治験におけるダブルスタンダード

2005-10-29 09:07:21 | 治験
『医師主導型治験』の規制が随分と緩和される。
それってアリ?

いやいや、アリです。この日記にも書いているとおり、なんでもアリです。

だったら、ああいう考え方も、こういう攻め方もできるな、と考えるのが企業です。

ちょっと強引ですが、そういうこともできるわけですよね。

基準上は問題無い。

でしょ?

人生、宇宙、すべての答え

2005-10-28 20:23:43 | Weblog
グーグルの検索窓の機能がアップした。

普通の電卓計算は今までもできたが、それ以上に「ちょっとしたこんなことは?」というのにも対応している。

例えば、「1坪は何平方メートル?」と入力して検索ボタンを押すと「1坪 = 3.30578512 平方メートル」と出る。
「大さじ1をccで」と入力すると「大さじ 1 = 15 cc」と出る。

ちなみに「人生、宇宙、すべての答え」も出る。
もちろん「インターネットの世界の面積は」も出る^^v
  ↓
http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja


治験、臨床試験を成功させる方法、コツ、ポイント、秘訣(その2)

2005-10-27 22:20:21 | Weblog
先日書いた「実行可能なプロトコルを作る」とはどういうことか?

そんなの当たり前じゃない? と思うかもしれない。
しかし、それがそーでもない。

ある病気の新薬を開発するプロトコルの「除外基準」の中に、その病気の人が高頻度で発症する合併症を入れていることがある。

例えば、更年期障害に対する治験薬が有ったとしよう。
その治験のプロトコルの「除外基準」に「高血圧症を合併している人」を入れると、とてもやり難くなる。
何故なら更年期障害を発病する年齢の人は高血圧を発病している可能性が大きいからだ。

では、このような問題をどうしたら回避できるのか?

それは事前に十分な討論を臨床の現場にいる医師と相談することだ。
それも部長や教授クラスではなく、本当に治験を担当する若手から中堅クラスの医師だ。

もっと細かい話になると、CRCの方にも相談するといい。


たった一つの除外基準を外しただけで、ぐ~~んと治験のスピードが上がることもある。

治験、臨床試験を成功させる方法、コツ、ポイント(その1)

2005-10-25 21:38:20 | 治験
言うのは簡単だけど、実行するのは難しいよね。


・実行可能なプロトコルを作る

・エンドポイントを熟慮する

・CRF(症例報告書)の記載方法、手引きを早く作る
(治験実施医療機関の中で最初の契約締結までには作成しておく。)

・無駄なデータは取らない

・SDVのマニュアル、ポイントを早く作る

・治験実施医療機関はできるだけ優秀なCRCのいるところを選ぶ

・モニターはプロトコル、治験薬概要書、CRF作成方法、SDVのマニュアルを熟読する

・研修担当部門は、そのモニターチームに最適な研修を提供する(臨床チームと一緒に考える)
(例えば、プレゼンテーション方法、面接ロールプレイング、SDV研修などなど)

20年後の治験と根源的問題点

2005-10-23 22:26:52 | 治験
どうなっているのだろう?
20年後の治験。

倫理観は今と変わっていないだろうか?
多分、変わっているだろう。

一昔前までは癌の告知はなされなかった。
だが、今ではだいたい告知される。
これは医療技術の向上により癌でも5年以上の生存率(こういう言い方をする)が上がったためだ。
しかし、それだけではない。

もし知らせなかったら、訴えられる可能性が出てきたことも一因としてある。
告知(この言葉も冷たい響きだ)されていたら、その後の生き方が変わっていたはずなのに、ということだ。

「知る権利」、「知らされない権利」という患者の権利、それすらが無かった時代も長い。
今では知らせないことが倫理的に問題となることもある。

20年後の治験では、人間の尊厳はどれ位、保たれているのだろうか?

この人間の尊厳というものの捉え方も、きっと変わっているんだろうな。
本来ならば根底的な問題のはずなのに、それが未だ捉えきれずにいることも、面白いと言えば面白い。

今までのことを考えると、永遠(と言うものが有るならば)に、この問題は解決しそうにない。

インターネットの世界の面積は地球の表面積より大きいか?小さいか?

2005-10-21 21:50:25 | Weblog
新聞を大きく広げた時の面積(これをここでは「全面」と呼ぶ)は 813x546mmだから約0.444平方メートルだ。

グーグルは80億ページを検索できるとしている。

1ページの情報量をどれ位だろう?

例えば「ホーライ製薬」のトップページと「昨日までのできごと」のページではもちろん違う。

トップページは新聞全面の10分の1位だ。
「昨日までのできごと」で新聞の4分の1位だ。
平均すると40分の7で、0.175だ。
まぁ、こんなもんだろう。

つまり、インターネット上の1ページの大きさは新聞の全面の0.175倍。

上で書いた新聞の面積とこれを掛ける。

0.444平方メートル*0.175=0.0777平方メートル

インターネット上の1ページの大きさは0.0777平方メートル。
これが80億有るということだから・・・

0.0777平方メートル*8,000,000,000=621,600,000平方メートル=621.6平方キロメートル。

つまりインターネットの世界の表面積は621.6平方キロメートルとなる。

地球の表面積は5.1億平方キロメートルだから、まだ820,463.32分の1。

インターネットの世界の表面積は地球の表面積の約80万分の1です。


日本の面積は約38万平方キロ。
日本の面積と比べても、まだまだインターネットの世界の面積は狭い、狭い。


唯一の違いは地球の表面積はこれ以上増えないが、ネットはまだまだ増えるということだ。

宇宙のビックバンにも似たインターネットの世界だが、インフレーションはしていないのかもしれない。

ということは平坦では無い、ということか。。。。

治験の効率化

2005-10-19 11:05:30 | Weblog
僕はこの9年間、治験と関わってきた。

その中でずっと不思議に思うのは、そんなこと、どうだっていいじゃないか、ということを治験依頼者が延々と(ある事例では1年間も)、議論をして有意義な薬を世の中に出すことを遅らせている、という事実だ。


例えば治験届に書かれた病院名と契約書の病院名が少し違う、ということ。
これは、治験届を出すときには急いでいるので「通称」で書くことがままあり、契約書には「正式」の名称で書かれるからである。

たとえば「日赤新潟病院」と治験届に出したが、正式名称は「日本赤十字新潟病院」であった、とかね。

それを品質管理や監査が指摘する。

そのこともまぁ、分からないでもない。

でもね、そのことでデータの信頼性や被験者の人権や安全が損なわれるとは思えない。

もちろん、データの捏造とか、同意を得ずに治験に登録していたというのは論外。


これは一例だが、そんな些細なことで、新薬が患者さんの手に届くのが遅れているとは患者の誰一人として思っていないだろう。


これで、いいのだろうか? これは患者のことを考えていると言えるのだろうか?