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一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城県阿見町の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と家庭自給生活を自学自習中

「フィガロ舎」ライブラリー⑰『イワンの馬鹿』andトルストイ1910年11月20日命日

2009年11月20日 | 風来書房「フィガロ舎」

来年2010年は、トルストイ没後百年

「人間の仕事はただ自分の秩序を乱さないことにある。」

トルストイがインドの新聞に寄稿した「ヒンドゥー人への手紙」はマハトマ・ガンディーに影響を与え、非暴力主義への発展へと繋がった。


レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ
(露:Лев Николаевич Толстой,
アルファベット表記:Lev Nikolajevich Tolstoj)
1828年9月9日- 1910年11月20日
ロシアの小説家


http://chobi.net/~tolstoy/


風来書房「フィガロ舎」ライブラリー⑰



イワンの馬鹿 (少年少女世界文学館 20)』

トルストイ (著)
 木村 浩 (翻訳)
1988年2月
講談社
 

ロシアのレフ・N・トルストイは、『戦争と平和』『アンナ=カレーニナ』などを
書いた作家として、世界じゅうでたいへん有名です。そのトルストイが晩年、
心血を注いで書いたのが、民話の形をかりた『イワンの馬鹿』をはじめとする
作品です。これらの作品には、トルストイの長い人生経験にうらづけられた、
人生の真実が描かれています。これらの作品からは、人間のほんとうの生き方
について教えられることが多いと思います。本物の文学だけがもつ人間の英知が、まるでダイヤモンドのように、きらきら輝いています。作品をくり返し読むことに
よって、その深い感動は、心の中に、一生消えずにのこることでしょう。

本書に収められた五つの民話は、トルストイが、かつて自分の書いた芸術的な文学作品をすべて否定し、これこそほんとうの文学だと考えて書き上げたものです。(中略)とてもやさしい言葉で書かれていて、だれにでも読むことができる素晴らしいものです。優れた文学は、くりかえし読むうちに、しだいにその深い味わいがひとりでにわかってくることにあります。トルストイの民話は、まさにそのような作品です。
(本書解説より 木村浩)

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『人にはたくさんの土地がいるか』

・土地がほしい 
 姉が町から妹の住むいなかへやってきました。姉は商人と結婚して町に住み、妹はお百姓のところへ嫁にいって、村に暮らしていたのです。姉妹はお茶を飲みながら、よもやま話をしていました。そのうち、姉は自慢話をはじめて、町での暮らしぶりをあれこれひけらかしはじめました。町では広々としたきれいな家に暮らしているとか、子供たちにもきれいな服を着せているとか、それはおいしいものを食べたり飲んだりしているとか、馬車で遠乗りしたり、散歩をしているとか、たびたび劇場へでかけているとか、といった話です。
 妹もくやしくなってしまったので、商人の暮らしぶりをけなして、お百姓の暮らしぶりを自慢しはじめました。
「あたしは、どんなことがあっても、自分の暮らしをあんたのととりかえる気はないわね。そりゃ、あたしたちの暮らしは派手じゃないけれど、その代わり、気苦労はないわね。確かに、あんたの暮らしはここよりきれいかもしれないけれど、でも大きな儲けをしたかと思うと、今度はすってんてんになることだってあるんでしょ。
 ことわざにもあるじゃないの。損は得のにいさん、だって。つまり、今日はお金持ちでも、明日になれば他人の窓の下に立って物乞いをするとか。その点、あたちたちの百姓仕事は、ずっと堅実だわ。お百姓の暮らしはつましいけれど、長つづきがするってことね。
お金持ちにはならないけれど、いつでも腹いっぱい食べられるわ。」
 そこで、姉がいいかえしました。
「腹いっぱい食べられるっていうけれど、それがどうしたの。それじゃ、豚や子牛と同じことじゃないの!きれいな服が着られるわけじゃなし、楽しいおつきあいがあるわけじゃなし!あんたのご亭主がどんなにあくせく働いたところで、とどのつまり、こやしの中に暮らして、こやしの中で死んでいくことになるんじゃないの。子供たちにしたって、同じことじゃないの。」
「それがどうだっていうの。それがあたしたちの暮らしなのよ。そのかわり、あたしたちの暮らしは地についていて、他人に頭をさげることもなければ、こわがることもないわけよ。 それにひきかえ、町にいるあんたたちは、それこそ絶え間ない誘惑の中で暮らしているんでしょ。今日はよくっても、明日になればどんな悪魔にとりつかれないともかぎらないからね。あんたのご亭主だって、いつトランプ博打にのめりこんだり、酒におぼれたり、べっぴんさんに熱をあげるかわかりゃしないもの。そうなったら、もう何もかもおしまいじゃないの。よくある話じゃないの。」
 妹の亭主のパホームは、ぺチーカの上で、女たちのおしゃべりをじっと聞いていました。
「たしかに、そりゃ本当のことだ。」
と彼はいいました。
「俺たちはずっと母なる大地をほりかえしてきたんだから、もうばかげた考えなんか、起こしようがないさ。ただ一つこまるのは、土地が少ないってことだ。これで土地さえ十分にあれば、もうこわいものなしだよ。ない、悪魔だってこわくないさ!」
 ところが、悪魔がペーチカのうしろにしゃがみこんで、みんなの話をすっかり聞いていたのです。とくに、お百姓が女房の自慢話につりこまれて、自分に土地さえあったら、悪魔だってこわくないさ、と大見得をきったことをとても喜んだのです。
(よしきた。)と、悪魔は考えました。
(ひとつ、おまえさんと勝負しよう。おまえさんに土地をたくさんやって、その土地でおまえさんをやっつけてやるぞ。)

・地主になったパホーム
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 こうして、パホームはほんとの地主になったのです。自分の土地をたがやし、自分の土地に種をまき、自分の土地で草を刈り、自分の土地でたきぎを切りだし、自分の土地で家畜をやしなうようになったのです。パホームは、これから永久に自分のものである土地をたがやしにいったり、作物の芽ぶきや草場のようすを見にでかけたりするたびに、もううれしさがこみあげてくるのでした。
 自分の土地では、草も花も、よそのものとはまったく違うような気がしました。以前にも、彼はよくその土地を通っていました。その土地にかわりはないのです。しかし、いまやその土地が、まったく特別な土地になってしまったのです。

・土地は広くなったが、世間はせまくなった
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・新天地をもとめて
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・たくたんの土地と死
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『人は何によって生きるか』

「すべての人は、我が身のことを思いわずらって生きるのではなく、愛によって生きるのだ、とわたしにはわかったのです。
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わたしは前から、神さまは人々に生命をおあたえになって、人々が生きていくことをお望みになっていると知っておりました。でも今は、
もう一つ、別のことをさとったのです。
わたしがさとったのは、神さまは人間がばらばらになって生きていくことを望んではおられないので、そのために各人にとって何が必要かはお示しにならず、みんなが一つになって生きていくことを望んでおられるので、すべての人々に、自分にとっても万人にとっても何が必要であるかを、お示しになったのだ、ということです。
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