フィデル・カストロ&ディエゴ・マラドーナ
自分に正直に、生きた者同志=革命家
マラドーナを「サッカーの神様」と表現されることがあるが、
じねん道・ひろつぐは「サッカーの革命家」と呼ぶ。
マラドーナは南アフリカワールドカップでアルゼンチン代表を務めて際、
こちらは「サッカーの神様」と呼ばれる
元ブラジル代表のペレに対して
「ペレは博物館にかえれ!」
と発言。。
これくらいの気合(唯我独尊)がなくては、
5人抜きでゴールを決めることはできないでしょう!
その意味において、フィデル・カストロ氏も
「独裁者」としての側面も強調されるが、
それぐらいの気概がなければ「革命家」として、
アメリカに対峙して国を指導していくことは、
到底できない。
それ以上に「自分に正直に、生きた者同志」としての、
他者には理解しあえない領域で、
カストロとマラドーナは理解しあっていたのだと考える。
それは、カストロとゲバラに通じる関係性でもある。
●カストロとマラドーナの友情
カストロとマラドーナは1987年に知り合った 画像提供 : EFE
26日(土)にフィデル・カストロが享年90歳でこの世を去った。
カストロはアルゼンチンサッカーのスターであるディエゴ・アルマンド・マラドーナと長年の友人関係だった。
2人は1987年に知り合って以来友情を育んできた。
マラドーナは常にフィデル・カストロがキューバで行った革命を賛辞してきた。
マラドーナの左足にはカストロの顔が、腕には“チェ”・ゲバーラの顔が彫られている。
「世界で最も偉大な人物」とマラドーナは何度かフィデル・カストロを評している。
また自身の番組“La Noche del 10(10番の夜)”において2005年にカストロとの対話の場を持ったこともあった。
一方でカストロもマラドーナに信頼を寄せ、マラドーナが2000年に薬物を断ち切るためにキューバに滞在した際にサポートした。
2015年、カストロはここ数年でマラドーナと交わした政治やスポーツに関する内容の手紙を一部公開していた。
2015年1月15日の手紙の中でマラドーナは「フィデル、君との幾年にもわたる正直で美しい友情で私が学んだことは、忠誠と言うものの貴重さだ。」と記している。
Entrevista de Maradona a Fidel Castro (Completo)
●フィデル・カストロ氏が死去 「サッカー界の神様」が「神」と崇めた男
http://qoly.jp/2016/11/26/diego-maradona-loved-fidel-castro-hys-1
1959年の革命以来50年近くカリブ海の小国キューバの指導者であり続けたカストロ氏。
世界の覇権を握るアメリカ合衆国に怯むことなく立ち向かう姿が共感を呼び、
共産主義国の指導者でありながら思想の左右を超え、世界中でカリスマ的な人気を誇った。
特に中南米での支持は絶大で、サッカー界の“神様”こと
元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナも彼に心酔した一人である。
カストロ氏の盟友といえばアルゼンチン生まれの革命家チェ・ゲバラだが、
若き日のゲバラがカストロ兄弟に出会い革命へと身を投じていったように、
マラドーナも1987年に初めてキューバを訪問して以来、南米人として
“北の巨大な帝国”アメリカに立ち向かい続ける男に魅了されたのであった。
また、キューバといえば貧しいながらも医療大国として知られており、
マラドーナが心臓疾患やコカイン中毒で生命の危機にさらされた時も、
同国で長期療養しサッカー界への復活に繋げている。
こうして二人の関係は揺るぎないものとなっていった。
2005年にマラドーナは自身が司会を務めたテレビ番組『10番の夜』の中で
「私にとって司令官(カストロ氏)は神様だ」と語ったほどである。
マラドーナのカストロ氏に対する心酔ぶりが一目で分かるのがこちらの画像。
右腕にはチェ・ゲバラ、左足にはフィデル・カストロ氏の入墨が彫られているのだ。
近年になっても交友は続き、公の場に姿を現わさなくなったカストロ氏の死亡説が出た際にも
マラドーナが力強くその噂を打ち消す発言をしていた。
しかし、ラテン系の不法移民に対し強硬な姿勢をとるドナルド・トランプ氏の次期アメリカ大統領が決まって間もないこのほど、
“反米のカリスマ”は90歳でこの世を去った。
●カストロ前議長の死を悼むマラドーナ氏、「第二の父親」のようだった
http://www.afpbb.com/articles/-/3109294
【11月27日 AFP】サッカー元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏が26日、
90歳で死去したキューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長は、
自身にとって「第二の父親」のようだったと述べ、その死を悼んだ。
現在、テニスの国別対抗戦デビスカップ(Davis Cup 2016)が開催されているクロアチア・ザグレブ(Zagreb)
に滞在しているマラドーナ氏は、「ブエノスアイレス(Buenos Aires)から電話があった。ショックだった」
としたうえで、「彼は私にとって第二の父親のようだったから、ものすごく悲しい」と、
歴史的な革命指導者の死について語った。
薬物中毒の治療のため、しばしばキューバに足を運んでいたマラドーナ氏は、
「神の手」ゴールを記録した1986年のサッカーW杯(World Cup)で母国を優勝に導いた後、
初めてキューバを訪れると、それ以降もカストロ氏と数回にわたって面会し、
以前には「神とともに、彼は私が生きる理由だ」と口にしたほか、脚にも同氏のタトゥーを施している。
一方のカストロ氏も、サッカー界のスターは「素晴らしい友人」と話すなど、両氏は親密な関係を築いていた。(c)AFP
握手をかわすキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長(右)と元サッカーアルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ氏
(2013年4月15日提供、資料写真)。c)AFP/www.cubadebate.cu/HO
●「第2の父親を失った」。マラドーナ氏、カストロ前議長の死去に哀悼の意
http://www.footballchannel.jp/2016/11/28/post187279/
去る25日に亡くなった、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長に対し、
ディエゴ・マラドーナ氏が「第2の父親を失った」とその死を悼んでいる。
26日、スペイン紙『アス』が報じている。
世界中を駆け巡った、カストロ前議長死去の報道。
同氏と深い親交を持ち、左足に同氏のタトゥーを彫り込んでいるほど心酔している
マラドーナ氏は「非常に悲しい。フィデルは第2の父親のようであった」とコメントしている。
最後に会ったのは3年前ということで「その時に、彼は「私に別れでも告げに来たのかい」と言ったんだ。
すると私の両眼には涙があふれた。彼が肉体的に非常に弱っているようだった。
彼が正しかったようだ。1時間ほど話したよ」と思い出を語っている。
現在、テニスのデビスカップが開催されているクロアチアに滞在中のマラドーナ氏は、同大会終了後、
「キューバへ友に別れを告げに行く」とコメントしている。
ディエゴ・マラドーナ氏【写真:Getty Images】