▼ ハンセン病・・・。
現在では治療方法が確立されたハンセン病(癩病らいびょう)で
すが、昭和初期では不治の病とされ、患者は一般社会から隔離され
て専門の施設に隔離されていました。
癩病と診断されることが、即ち生きながらの死亡宣告のような意
味を持っていたのでです。
▼ 著者の平沢さんは、14歳のクリスマスイブに医師たちにだまされ
て、ハンセン病療養所に収容されます。
その日から今日まで、想像を絶する苦悶の歩みを続けてきました。
▼ 私たち(昭和40年生まれ)以後の世代で、ハンセン病について知
っている方は、どのぐらいいるのでしょうか?
1996年に「らい病予防法」が廃止された時には、この病気に関わ
る事件について数多く報道されました。
そして、記憶に新しい2003年の事件。
平沢さんの記述から引用します。
2003年11月、熊本県の菊池恵楓園に入所するハンセ
ン病回復者18人が、ホテルから宿泊を拒否される
という事件が起こりました。菊池恵楓園入所者自治
会はもちろん、県も知事を先頭にホテル側の対応を
批判したのですが、ホテル側は、根本的な点で反省
することも考えを改めることもせず、2004年5月、
ホテル自体を閉館してしまいました。
このような偏見は、まだ根付いているといいます。最近
もある子どもが近所の大人からこう言われたそうです。
「全生園に行っても、アメ玉やお菓子をもらっては
いけません。」
▼ ハンセン病は治る病気です。めったに感染することもま
れですし、たとえ発症しても、早期に適切な治療を受けれ
ば、後遺症も残ることもありません。
しかし、「ハンセン病は治らない」「ハンセン病になる
と、療養所に入れられる」といった風評が今もあるようで
す。
東横インの対応につても、全く同じでしょう。
▼ 福祉の勉強をする時に、子どもたちに、こう言います。
まずは、「知る・理解する」ことから始ま
ります。
理解してから、体験してみるのです。
視覚障害者の方についてのことを理解してから、アイマスク体験
を行ったり、点字をうつ勉強をしたりします。
理解せずに、風評に流されてはいけません。
▼ 私がハンセン病について関心を持ったのは、北条民雄さ
んの『いのちの初夜』という本を読んでからです。
北条さんは、大正3年(1914年)生まれです。。
20歳のときハンセン病を発病します。昭和9年(1934年)、療養所
に入院し、この頃から創作に専念します。
同年、川端康成に師事します。昭和11年、「いのちの初夜」を「文
学界」に発表し「文学界賞」を受け多くの作品を発表しますが、翌年
(1937年)、腸結核で24歳の生涯を閉じました。
自身も癩病患者であった作者の体験的な作品「いのちの初夜」は、
癩病院への入所という絶望の中から不死鳥のような命の叫びを感じさ
せてくれます。
英・独語にも翻訳されています。
▼ 平沢さんの話に戻りますが、この方は根っからのプラス思考の方の
ようです。
数々の講演のテーマは一貫して、「人生に絶望はない」だそうです。
次のような文からも、氏の人柄には学ばされるものがあります。
自分の障害についてはまったく卑下しなくなりました。
わたしの手首の筋肉は麻痺しているので、手を振ると
手首がくるくると回転して一見不思議な動きになって
しまうのです。その手の「機能」を使って、バスの中
で泣いていた幼い子をあやしたこともあるくらいです。
妻は「そんな恥ずかしいことはやめてくれ」とあきれ
果てているのですが、赤ちゃんを笑わせるなんて愉快
なことですし、そういう行為をとっさにできるように
なった自分がとてもうれしいのです。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
なって下さい。
現在では治療方法が確立されたハンセン病(癩病らいびょう)で
すが、昭和初期では不治の病とされ、患者は一般社会から隔離され
て専門の施設に隔離されていました。
癩病と診断されることが、即ち生きながらの死亡宣告のような意
味を持っていたのでです。
▼ 著者の平沢さんは、14歳のクリスマスイブに医師たちにだまされ
て、ハンセン病療養所に収容されます。
その日から今日まで、想像を絶する苦悶の歩みを続けてきました。
▼ 私たち(昭和40年生まれ)以後の世代で、ハンセン病について知
っている方は、どのぐらいいるのでしょうか?
1996年に「らい病予防法」が廃止された時には、この病気に関わ
る事件について数多く報道されました。
そして、記憶に新しい2003年の事件。
平沢さんの記述から引用します。
2003年11月、熊本県の菊池恵楓園に入所するハンセ
ン病回復者18人が、ホテルから宿泊を拒否される
という事件が起こりました。菊池恵楓園入所者自治
会はもちろん、県も知事を先頭にホテル側の対応を
批判したのですが、ホテル側は、根本的な点で反省
することも考えを改めることもせず、2004年5月、
ホテル自体を閉館してしまいました。
このような偏見は、まだ根付いているといいます。最近
もある子どもが近所の大人からこう言われたそうです。
「全生園に行っても、アメ玉やお菓子をもらっては
いけません。」
▼ ハンセン病は治る病気です。めったに感染することもま
れですし、たとえ発症しても、早期に適切な治療を受けれ
ば、後遺症も残ることもありません。
しかし、「ハンセン病は治らない」「ハンセン病になる
と、療養所に入れられる」といった風評が今もあるようで
す。
東横インの対応につても、全く同じでしょう。
▼ 福祉の勉強をする時に、子どもたちに、こう言います。
まずは、「知る・理解する」ことから始ま
ります。
理解してから、体験してみるのです。
視覚障害者の方についてのことを理解してから、アイマスク体験
を行ったり、点字をうつ勉強をしたりします。
理解せずに、風評に流されてはいけません。
▼ 私がハンセン病について関心を持ったのは、北条民雄さ
んの『いのちの初夜』という本を読んでからです。
北条さんは、大正3年(1914年)生まれです。。
20歳のときハンセン病を発病します。昭和9年(1934年)、療養所
に入院し、この頃から創作に専念します。
同年、川端康成に師事します。昭和11年、「いのちの初夜」を「文
学界」に発表し「文学界賞」を受け多くの作品を発表しますが、翌年
(1937年)、腸結核で24歳の生涯を閉じました。
自身も癩病患者であった作者の体験的な作品「いのちの初夜」は、
癩病院への入所という絶望の中から不死鳥のような命の叫びを感じさ
せてくれます。
英・独語にも翻訳されています。
▼ 平沢さんの話に戻りますが、この方は根っからのプラス思考の方の
ようです。
数々の講演のテーマは一貫して、「人生に絶望はない」だそうです。
次のような文からも、氏の人柄には学ばされるものがあります。
自分の障害についてはまったく卑下しなくなりました。
わたしの手首の筋肉は麻痺しているので、手を振ると
手首がくるくると回転して一見不思議な動きになって
しまうのです。その手の「機能」を使って、バスの中
で泣いていた幼い子をあやしたこともあるくらいです。
妻は「そんな恥ずかしいことはやめてくれ」とあきれ
果てているのですが、赤ちゃんを笑わせるなんて愉快
なことですし、そういう行為をとっさにできるように
なった自分がとてもうれしいのです。
私のHP「すぐできる読み聞かせ・ゲーム・心の話」もご覧に
なって下さい。