終の住み家としての団地再生
団地ができた当初からの住人の多くが住みつづけ、高齢化した。EVのない階段室型の団地であるから、絶対に階段をつかわなければいけない事は高齢者にとってはつらい事である。ではEVつければその問題は可決・・・はしない。各階段にEVをつけるには莫大な予算が掛るし、EVをつけても、階段の踊り場につける事になり、段差を解消する事はできない。
若い世代なら、そんな階段室型でも問題にはならない。(子育て中の苦労はあるけれど・・)
であれば、全棟ではなく数棟をEV付の建物に作り変え、そこに高齢の住人を優先的に移すという事も考えられる。または、1階はスロープに付け変える事も、敷地の余裕のある団地であれば可能な事だ。
古くからの住人にとっては、団地は 終の住み家 だ。団地全体を住み家と考えれば、同じ部屋でなくても、暮しやすい場所に変わればいいのではないだろうか。
もちろんそんな単純な事で団地が再生できるわけではない。ただ、若い人達が注目している 『 団地 』 の魅力というものをもっと理解するべきだと思う。ひとつの街として、あかちゃんからおじいちゃん・おばあちゃんまで混在している事が理想であり、団地に感じる魅力の一つでもあったはず。そして、長い時間を経て熟成された環境というものの価値を認識する事が、新しい道筋への第一歩だと思う。
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終(つい)の住み家
家というものは、一度作ったら、一生そこに住み続けるものなのだろうか・・・。
高度成長期の団地は、『良質な住居および住環境を作る ( かつ大量に ) 』という理念があったが、住人の高齢化までは考慮されていなかった。同じように、若い時に作った家は、歳をとってからの事は、考えていない。いないというか、それはまだまだ先の事であって保留にされる。誰もがそれなりに大きな家を望み、作る。しかし家というものは、掃除をしなければいけないし、修繕もしていかなければいけない。
歳をとり、若い時のようにはいかなくなった時、その家は辛くなる。そうゆう時期が来た時、、家は小さいほうがいいように思う。またはマンション。
地域は大切だ。でも家は、ずっと固定しなくてもいいのではないか、という思いもある。若いうちは家族の人数に応じて大きな家に住み、家族が減り・歳をとり「家が大変」と実感したら、暮しやすい別の家に移る、そんな循環ができたらいいな、と考える
最初の家が、終(つい)の住み家 になるのは理想的だ。でも、終の住み家 として別の家に移るという選択もあっていいと思う。
もちろん今のご時世、そんなお金は使えないかもしれない。歳をとればとるほど、その気力もなくなる。
移る事ができる人は、それを考えられるといいし、難しい人は、終の住み家「仕様」に 家を作り変える事を考えられるといい。
超高齢化社会になり、人生の後半の時間は伸び続ける。 そして、家での時間も大切になる。
終(つい)の住み家 を考えるのは、早いほうがいい。「仕様変更」された家なら、人生はより楽しく過ごせると思う。
(終)
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住んでいる家を 終の住み家「仕様」 にするには、ある程度は大きくリフォームするほうがいいかもしれません。とは言っても、これまで住み続けた家を、どうゆうふうに作り変えられるか、とイメージする事はなかなか難しい事。
リフォームというよりは、むしろ 新築する ような気持ちで、これからの暮し方の理想を想い描かれるたほうが考えやすいかもしれません。
今ある条件(家)を元に、家を作り変える ・・・・ それがリフォームから進んだ リノベーション という事。
これからの人生のため、もう一度 夢を描いてみましょう! リノベーションは、その夢を実現します。