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祈りのある場 光のある場

110803

新聞にあった写真をスキャンした。
もともと粗い新聞の印刷をスキャンしたので、油絵のようになった。こうゆうの(表現)もありだな~と思う。
こうゆう写真が撮りたい。明るさを押えた室内に柔らかく光が差し込む状景を撮りたい。
寂しいわけでもなく、凛として、温かい写真を。

レンズが必要だな  明るいレンズが。。  欲しい・・・

**
こうゆう祈りの場を作りたい。

教会とかそうゆう場ではなくていいんだけど・・(もちろん教会の設計もしてみたい。)・・・建物全体じゃなくてもよく、ある部分、ある時間、そうゆう場になるようなものを。。

住宅は、生々しい生活の場ではあるけれど、祈りの場でもあると思っている。 思っているというか、、、この数年からなんとなく意識し始めている。

家族がいつも笑顔でいられ、暮す事(=生きる事)が楽しいと感じられる場

それが「住まい」だと考えている。 

「住まい」 は 根源的には 「巣」 だと思う。

究極的には 「生(命)」を守る場。

人間は動物ではあるけれど、他の動物に襲われ命を失う事は、まず無い。(基本的には。。)

外敵に襲われる事はないから、不安で「祈る」必要はない。(別の意味の不安はたくさんあるが、それは別として)

なので、「祈る」というよりは 「感謝する」 という事。

日本には、仏間というものがある。現在の一般の住宅では当然無いけれど、昔のちょっと大きな家にはある。(あった。)仏間がなくても仏壇がある。(個別な信仰の話ではなく、一般的な日本の住宅の場合として)

仏間、あるいは、仏壇のある一画は、何か異質空間であるように感じる。そこで手を合わせる事は、亡くなった人やご先祖との対話をする時間だ。そして、感謝する時間。仏壇の中に何かが居るわけでもないが、本当はそこに無いモノ、目に見えない何か と通じようとしている。

以前は、仏壇に向かって手を合わせる事に何も意味を感じなかったし、むしろ わずらわしい とさえ思っていた。

今、、、自分ひとりでやって来た事、悩んできた事を経て、、自分は、自分の力だけで生きているのではなく、むしろそれはほんのちょっとの事で、回りの多くに助けられ生きていると思えるようになってきた。歳のせい と言ってしまえばそれまでだけど、、ほんとにそう思う。 

「回りの多く」とは、、、人であり、亡くなった祖父母や 仮に「神様・仏様」とするが そうゆう自分の理解を超える存在、自然、身の回りにある道具や物・・・などなど。 とにかく、そうゆう「人」 「事」 「物」 のおかげで自分が、家族が、存在する事を とても感謝する。そんな事を思い、手を合わせる。その時に感じる(通じる)何かは、本当は、「自分の心の内にあるもの」だと思っている。

住宅において、仏壇や仏間などの特別なスペースがないとしても、なにかしら、感じられる(?)、いや、自分の心と向き合える場所、場面、時間があるといいと思う。そうゆう住宅を作りたい。改まって「場所を作る」というのはなかなか難しい。ただ、「場面」とか「時間」というのは、作れると思う。

その一番効果的なのは「光」。 壁に沿って映る光、上から降る光、ある時間にぼーっと明るくなる光 など。

教会の光のように演出的ではないけれど、そうゆう事はどの家にもある。そんな場面が美しくあるような家を考えたい。

・・・

もっとも、そんな事は、全てを計算できることではないし、どんな家でも、季節や時間によって「起る」事なのだけど・・・。

**

意識的に感じてみましょう。 「そんな場面」に出会ったら、そっと手を合わせてみましょう。心の中で、、でも。。

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ある人に、このブログは・・・生々しいブログ と言われました。

今回も、生々しい・・ですかね?^^ でも、決して 病んでいる のではありません!^^

こんな内容を、ここまでまじめに読んでくれる人がいるかどうかわかりませんが、読んでくれた人には・・・ 感謝

**

最初にもどって、、明るいレンズが欲しいんだけど、、今の物欲は、カメラ本体。。

欲深く・・・ まだまだ、境地 には達する事はできません。 いつできる事やら。。

++++
東京 暮しリノベーション > 志田茂建築設計事務所

コメント一覧

しだ
牛さん
鳥牛の家にトップライトをつけたのは、明るさを確保の意味はあるけれど、もう一つは、「光」という事を考えたのもあります。

空は様々な表情を見せてくれます。昼間でも夜でも。特に、日没前から明方まで。特に夜の時間が長い牛さんにとっては、もしかしたら、「そうゆう瞬間」に出会えるかもしれません。

**
仏壇とか神棚とか、そうゆう形あるものは、逆に言うと扱いが難しいのですが、そうゆう象徴的なものでなくても、ご自分が、何か神秘的なものを感じるもの、たとえば、石 とか、絵とか、置き物でもいいかもしれないけど、そんなものを、どこかに置いて、自分の中で神聖な場所としてもいいのだと思います。

地鎮祭では、神様に降りてきてもらって、工事の安全を祈願しました。そのように、何か偉大な力とか神秘の力に手を合わせるところから家づくりが始まります。なにかしら、家には「宿る」ものがある と考える事は いい事ではないかな と思います。

ご報告・・ まってますよ!^^
牛の人
こんにちは、鳥牛の牛の方です。

私も、まえから、家における仏間、仏壇の存在って、家の中における唯一「今でない時間・空間・人にだけ思いをはせる場」・・・簡単に言ったら祈りとか、そういう場だと思って、それがあるかないかってすごい違いだよな実は、って、気になっていました。(いいとか悪いとかではなく)

神道の神棚とかも、まつりかた、祈り方を私は知らないのですが、それもそうかもしれません。
手をあわせたり、目を閉じたりする、その瞬間だけでもちょっと現実から切り離されるような。あの感覚って案外大事なものなのかなとか。(仏壇とかない家で長く暮らしていますが)

祈りとかいうなんだかうさんくさい目で見られてしまうことの多い現代日本ですが、最近聖書を読んだりする機会もあり、人には「祈る」という行為、また、そういった瞬間をどう自分の中に持つかということ、とても大事なことに思えます。

鳥牛の家でそういった瞬間を感じられたら、しださんにもこっそり報告します。
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