![110803 110803](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/6e/b607c41e406db1f3ed2c4de988676ace.jpg)
新聞にあった写真をスキャンした。
もともと粗い新聞の印刷をスキャンしたので、油絵のようになった。こうゆうの(表現)もありだな~と思う。
こうゆう写真が撮りたい。明るさを押えた室内に柔らかく光が差し込む状景を撮りたい。
寂しいわけでもなく、凛として、温かい写真を。
レンズが必要だな 明るいレンズが。。 欲しい・・・
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こうゆう祈りの場を作りたい。
教会とかそうゆう場ではなくていいんだけど・・(もちろん教会の設計もしてみたい。)・・・建物全体じゃなくてもよく、ある部分、ある時間、そうゆう場になるようなものを。。
住宅は、生々しい生活の場ではあるけれど、祈りの場でもあると思っている。 思っているというか、、、この数年からなんとなく意識し始めている。
家族がいつも笑顔でいられ、暮す事(=生きる事)が楽しいと感じられる場
それが「住まい」だと考えている。
「住まい」 は 根源的には 「巣」 だと思う。
究極的には 「生(命)」を守る場。
人間は動物ではあるけれど、他の動物に襲われ命を失う事は、まず無い。(基本的には。。)
外敵に襲われる事はないから、不安で「祈る」必要はない。(別の意味の不安はたくさんあるが、それは別として)
なので、「祈る」というよりは 「感謝する」 という事。
日本には、仏間というものがある。現在の一般の住宅では当然無いけれど、昔のちょっと大きな家にはある。(あった。)仏間がなくても仏壇がある。(個別な信仰の話ではなく、一般的な日本の住宅の場合として)
仏間、あるいは、仏壇のある一画は、何か異質空間であるように感じる。そこで手を合わせる事は、亡くなった人やご先祖との対話をする時間だ。そして、感謝する時間。仏壇の中に何かが居るわけでもないが、本当はそこに無いモノ、目に見えない何か と通じようとしている。
以前は、仏壇に向かって手を合わせる事に何も意味を感じなかったし、むしろ わずらわしい とさえ思っていた。
今、、、自分ひとりでやって来た事、悩んできた事を経て、、自分は、自分の力だけで生きているのではなく、むしろそれはほんのちょっとの事で、回りの多くに助けられ生きていると思えるようになってきた。歳のせい と言ってしまえばそれまでだけど、、ほんとにそう思う。
「回りの多く」とは、、、人であり、亡くなった祖父母や 仮に「神様・仏様」とするが そうゆう自分の理解を超える存在、自然、身の回りにある道具や物・・・などなど。 とにかく、そうゆう「人」 「事」 「物」 のおかげで自分が、家族が、存在する事を とても感謝する。そんな事を思い、手を合わせる。その時に感じる(通じる)何かは、本当は、「自分の心の内にあるもの」だと思っている。
住宅において、仏壇や仏間などの特別なスペースがないとしても、なにかしら、感じられる(?)、いや、自分の心と向き合える場所、場面、時間があるといいと思う。そうゆう住宅を作りたい。改まって「場所を作る」というのはなかなか難しい。ただ、「場面」とか「時間」というのは、作れると思う。
その一番効果的なのは「光」。 壁に沿って映る光、上から降る光、ある時間にぼーっと明るくなる光 など。
教会の光のように演出的ではないけれど、そうゆう事はどの家にもある。そんな場面が美しくあるような家を考えたい。
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もっとも、そんな事は、全てを計算できることではないし、どんな家でも、季節や時間によって「起る」事なのだけど・・・。
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意識的に感じてみましょう。 「そんな場面」に出会ったら、そっと手を合わせてみましょう。心の中で、、でも。。
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ある人に、このブログは・・・生々しいブログ と言われました。
今回も、生々しい・・ですかね?^^ でも、決して 病んでいる のではありません!^^
こんな内容を、ここまでまじめに読んでくれる人がいるかどうかわかりませんが、読んでくれた人には・・・ 感謝
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最初にもどって、、明るいレンズが欲しいんだけど、、今の物欲は、カメラ本体。。
欲深く・・・ まだまだ、境地 には達する事はできません。 いつできる事やら。。
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