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[街歩き]川崎市生田6丁目あたり(前)(神奈川県)

小田急線は多摩川を越え神奈川県に入ると、線路は「谷」部分を通り、両側の斜面に宅地が広がる。この写真のように。

 

歩いたのは、川崎市麻生区生田6丁目あたり。南斜面の勾配のきつい住宅地。開発されたのは古いのだろう。写真のような昭和30年代くらいの家が、結構残っている。とは言っても住んでない家も多い感じ。

何しろこの急な坂道なので、高齢になって住み続けるのには、ちょっと厳しいのだろう。

一番最初に見付けたこの家・・昭和30年代?と思われるが、板張りの外装を塗り変えたばかりのようで塗装の匂いがまだ残っている。

それなりの大きさの家で、何世帯かで住んでいるのだろうか?ともかく若い人が住み始めたのかもしれない。

こちら、玄関部分。塗り変えられたドアと周囲の壁天井の白さがまぶしい。外壁は「濃紺」。白と紺の組合せが若々しい。

 

この家もやはり30年代?。40年代くらいまでだいたい共通する部分だが、勾配の緩い大屋根。それが家をおおらかに感じさせるのと、庇を長くする事ができる。

この家の2階は増築かもしれない。そう遠くない時期にリフォームされているようだけど、現在は住んでいない気配。

2階板張りの外壁の茶、屋根の軒の白、屋根および庇の長い「ライン」、とてもモダンな感じがする。住んでいないのがもったいない。

 

**

ここからさらに道を上ると、緩やか北勾配の土地になる。

そこでもさっそく見付けた『昭和の家』。こちらはちゃんと手入れをされて住み続けている。

この頃の家の特徴かもしれないけれど、屋根が軽やかに積み重なる。
元々なのか・・増築なのかはわからないが。

昭和40年代くらいまで、日本の家の基本みたいのがあって、勾配屋根である事、軒の出が長い事。窓には庇(もしくは霧除け)がついている事、があった。

現在の家と比較すれば、屋根の軒の長さは十分にあるように思うが、昭和のその当時、これでも「出」が短く、それで外壁に板が使われたそう。現在のサイディングの元だそうだ。それ以前は、外壁は「土壁」。その壁を雨から守るために軒の出はもっとあった。この写真の家も屋根に近い部分はしっくい塗り。

「雨に濡れてもいいように」という事で板壁になったので、定期的な塗り変えが必要。大変だけどそれは現在のサイディングも同じ事。板壁の家でも定期的に塗り変えている家は、ちゃんと元気な姿で残っている。

またこの頃の家の窓には鉄の格子がつけられている。それがなかなか手の込んだ素敵なものがある。

この家のは・・・

なかなかいいですよね。こういうアールヌーボー的な模様が使われているのが多い。

これは鉄骨屋さんの仕事なのか?・・・とても好き。当時はどれくらいの金額だったのだろう。。今頼むと、それなりの金額になるので、こんな形をデザインするのはためらう。

 

この家は昭和50年代に入っているだろうか。。こういう門構え。そこにつづく勝手口がある事・・・私が大学で学んでいた頃の「教科書的」な設計だ。

作家による鉄の門扉?のような気もするがこういう既製品のアルミかも。。落ち着きと品があって”大人の家”という感じがする。

門扉があるなしではなく、家のアプローチ部分の形って、大切。狭小地ではそもそも門扉なんて無理な場合がほとんどだが、ちゃんとそういう所を考えないといけないなと、改めて思いました。

 

この家は、新しく建てたのか、古い家を改修したのか?。家自体はシンプルな形で好感は持てる。でも残念なのは、カーポートの屋根、塀、左奥に見えるプラスチック板で囲った入口回り。もう少し丁寧に作ったら、すごくよくなっただろうに。。

 

こちらは、昭和50年代末から60年はじめ頃か?。洋風な家。ヨーロッパのイメージか。。

若い頃にはなんとも思わなかったし、むしろ「キライ」だったかもしれない。

でも今は、「かわいらしい~」と思えます。「ささやかな幸せ」の一つの形だと思います。

 

 

ずいぶんとうろうろしました。「家視点」で歩くと結構面白かったです。

まだあるので、次回へ。

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