マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

梅をかざして

2006年02月09日 23時45分20秒 | 梅 - 2月
地方梅花札2月は梅、これまでお話したように古くより畿内人から蝦夷の一族に至る全ての日本人に愛されてきました。
さりながら。
庶民たちは生活に追われ、季節になってもゆっくり楽しむこともできません。
万葉集に面白い歌があるんですよ。

  ももしきの 大宮人は 暇あれや 梅をかざして ここに集へる

あぁあ、梅の花なんかかざしてまあ、都人ってのはよっぱど暇なんだろうよ、
やっかみ半分、ユーモラスですね。

さて、僕の尊敬する万葉学者の犬養孝博士は、富士山の歌を例にそこらの事情をこう解説されてました。

>神亀天平の歌人山部赤人は、富士を仰いで創作意識を自在に駆使し、かの有名な不盡山歌をつくった。
>それはなによりも旅の宮廷人の感覚であって、土地の人には、生活の山ではあっても美の対象ではない。
>人間と風土との関連はみごと一つの富士を現出している。

そして先生は、「赤人と現地の人とでは、全く富士の見方が違う。現地の人は(赤人と違って)美しいなんて思って見てない。そんなことしてたら仕事にもなんにもなりゃしないから。」
と、おっしゃってました。

うーん、いくら犬養博士のお説でも、僕、これだけは賛成できないんです。

昔、浦安ディズニーランドにいった折のことです。
帰り際にキャストと呼ばれている清掃員の人たちが、「今日の花火は綺麗だったね」と話していたのを聞いたことがありました。
随分小さいじぶん(←掛詞)のことでしたが、はっきりと覚えています、だって僕も花火が綺麗だと思ったから。

人の感性にも最大公約数みたいなものがあるもの、綺麗だと思うものは大抵の人が綺麗だと思うものです。
旅人であろうが現地人であろうが、業務中であろうが業務外であろうが。
いや、むしろ『業務中』の人のほうが、こういった小さな楽しみを見つけて『心の休み時間』にするのではないでしょうか?

万葉集に登場する歌人は天皇から乞食まで種々雑多な人たち、この種の『最大公約数』が『万』葉の心なのではないでしょうか? 先生。
と、この言い回し、



犬養先生のお説でも

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!