心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

常識の再構成

2022-04-02 11:01:58 | 新しい心持へ

自分を見つめ直し、学び始めてから「知る痛み」がある、ということを知った。

私は「至らぬ未熟な自分」を「知る」ということに、抵抗感はあまりなかった。

もちろん痛いし、知りたくないという気持ちもあるけれど、知りたい欲求のほうが大きかった。

「知れば変えられる」から、わからないまま怒られるほうが嫌だった。

ずっと「何かが違う」という違和感を抱えて生きて来た、自分が自分でわからなかった。

おぼろげながらずっと探し求めてきたのは「自分の本心」なのかも知れない。

問題に直面した時、まず最初に考えるのは「何を求められているか」だったから。

何を演じればいいのか分からないことが不安だった、演じる何かがあれば楽だから。

いろいろな媒体から情報を得て、注意深く自分を探っている。

この苦しみから逃れたい、自分が自分である事が辛いのは、もう嫌なんだ。

気づきが多く、知らなかったことが多くて、まだまだ先は長いけれど。

希望を持ち、情熱を持ち、自分を信じて、今日も先に進む決意を新たにする。

ゆっくりでいいと自分を労わりながら。


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