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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

頤和園 万寿山/仏香閣

2023-10-09 | 北京を歩く
万寿山と仏香閣は、頤和園のシンボルといえるスポットです。

乾隆帝の時代に昆明湖をつくるために採掘した土砂を積み上げた高さ59メートルの築山である万寿山は、およそ人工のものとは思えません。



この山の湖側・南側斜面に張り付くように仏香閣がそびえます。



あまりに有名なのでここでの説明は省きますが、清朝の皇帝の力を示すのには十分な景観と規模感を今に伝えます。

仏香閣はその後アロー戦争で英仏連合軍に破壊されたのち、西太后が莫大な再建費用を投じて1894年に再建しました。清朝末期の混乱の時代です。

高さ36メートルの八角形三層の仏閣の姿は手が込んでいてかなり複雑に作り込んでいることがわかります。





あまり見かけない形ですが、破壊される前からこの形だったのでしょうか。



皇帝建築らしく緑と黄色の瑠璃瓦で覆われています。

再建から180年近くが経過しますが、近くで見るとそんなに古さは感じません。

世界遺産ですので国が関与してきっちり手入れが施されているのだと思いますが、ともあれ、見応え十分です。

西太后は毎月1日と15日にここに来て焼香して、誕生日のお祝いをしたのだとか。



1599年製とされる千手観音像です。



北京市内は平地なので、こうやって高低差がある景観に出くわすとより美しさを強く感じます。

広大な昆明湖を1周してみましたが、ほとんどの場所から仏香閣は視界に入りました。
湖越しに見る万寿山の景色はなんとも美しく、歴代皇帝を楽しませたことでしょう。

北京の中心地からここまでは約20キロほどあります。
歴代皇帝たちは水路を船に乗ってここまで来たのだと思います。

頤和園はかつて日本軍が北京を支配していた時代にも日本人向けの定番観光地としてにぎわいました。当時の文献や古写真にもよく出てきます。









日本人は頤和園より万寿山という呼称で頤和園全体を表していたようです。

西太后による頤和園造営計画はちょうど日清戦争の頃で、当時の北洋海軍の戦費を流用して頤和園再建に充てたことが清国の敗戦の一因になった、と伝わります。

歴史的にみればそんな微妙な側面を持つ頤和園ですが、1948年に発行されたこの国初の20元札のデザインにはこの頤和園の万寿山/仏香閣が採用されています。

今の20元札デザインは桂林ですが、かつてはここでした。



頤和園は英語にすると、Summer Palaceです。
いつからこういう言い方をしているのか知りませんが、たしかに夏に来るのが一番美しい景色を楽しむことができそうです。



一番上まで登ると、西側には玉泉山と香山が見えます。







仏香閣は、浅田次郎の小説「蒼穹の昴」の最後の場面で出てくる場所です。

主人公の春児はこの仏香閣で西太后と2人きりになって言葉を交わします。
西太后から、自分の持っているものすべてをくれると告げられた春児は、初めて西太后に向かって自分の田舎言葉を使って、こんな糞まみれの手にお宝なんかもらっちゃいけないのだと断り、西太后もまた自分の本音を語ります。

とても印象的な、感動的なシーンです。

頤和園は、今や世界文化遺産として北京を代表する人気観光地です。
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