WHAM!といえば、1980年代に世界中の人気を集めた英国のポップデュオです。
今でもクリスマスの時期になると、中国でも彼らのヒット曲「ラスト・クリスマス」が街角で流れてムードを盛り上げます。
彼らの活躍期は僕がちょうど洋楽に親しみ始めた時期でした。
FMラジオから流れてくる曲をせっせとエアチェックして、ラジカセやウォークマンで再生して楽しみました。
今のように手軽に音楽が手に入る環境ではなかっただけに、録音したカセットテープは宝物のようでした。
少年から青春にかけての時代の、懐かしい時代です。
今でも歌詞が口をついて出てくるのは、いずれもこの頃に聴いていた音楽です。それぐらい聴き込んでいたということだと思います。
そのWHAM!が、1985年に北京を訪れ、公演をしていたことを知りました。

この公演で、WHAM!は中国で公演を行った初の西欧のアーチストになったそうです。
昨年末にBS朝日で放送されたベストヒットUSAでWHAM!特集があり、小林克也DJがこの時の秘話を披露してくれました。
小林DJの説明によると、当時、中国進出を狙ったプロモーターが中国政府の役人を説得。公演開催のメリットを説明して決断を迫ります。
その際、アーチストの候補としてクイーンとWHAM!が挙がりますが、役人はどちらにするか迷います。両グループとも人気絶頂、英国を代表するスーパースターです。
ここで当時のWHAM!の敏腕マネジャーが一計を案じます。
クイーンのフレディ・マーキュリーのど派手さを強調、一方、WHAM!は持ち前の健康的なイメージを強調してプレゼンを行います。マネジャーは、これなら保守的な中国の役人がクイーンを選ぶことはないと踏んだのです。
その結果、WHAM!が選ばれました。
なんとも興味深い逸話です。
文化大革命が終わってからまだ10年も経っていない頃です。
さらに、この頃は例の事件に至る民主化の萌芽が生まれつつあった時代です。
西洋文化に対する警戒は少なからずあったと思いますが、よく決断したものだと思います。
小林DJがこのエピソードを紹介した後に番組で放送されたPVが、彼らの代表作のひとつ、「フリーダム」です。
日本でも大ヒットしました。
なんとこの公式PV、WHAM!の1985年4月の訪中の様子が映像化された作品でした。
画面には古い北京の映像が映し出されています。
人々は人民服を着て、多くの自転車が街を往来しています。その中をジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーが楽しそうに闊歩し、市民と交流し、コンサートを行います。



万里の長城を訪れたジョージ・マイケルです。

目から鱗でした。
僕は彼らのファンでしたし、このPVも過去に観ているはずですが、まったく印象に残っていませんでした。
ときは彼らの絶頂期です。
公演を行った1985年4月は、全米で「ケアレス・ウィスパー」が大ヒットしていました。
そして北京で撮影した「フリーダム」は同年7月にシングルカットされ、9月に全米3位を記録しています。
つまり、中国公演が終わったらすぐにPVを製作し、リリースしたということになります。
フリーダムのPVに写っていて、今も残っている場所を訪ねてみました。

これは公演が行われた工人体育館です。

今も健在です。
1万5千人を収容します。北京の中心にあって、東京で言えば日本武道館のような場所です。
今も現役で使われていますが、当時はここが最先端の施設だったのでしょう。
最近ではこの近くで市民一斉の新型コロナウイルスのPCR検査が行わていました。

これは彼らが宿泊した北京長城飯店です。





北京長城飯店は1983年に開業した北京初の5つ星ホテルです。
一時期、シェラトングループが参加して北京シェラトン長城飯店と呼ばれていた時期もあったようです。
竣工から40年近くを経ていることもあり、かなり老朽化が目立ちますが、WHAM!が訪れたときはキラキラの最新ラグジュアリーホテルだったはずです。
偶然ですが、僕も3年前に出張でこのホテルに泊まったことがあります。
その時は、正直なところ施設にもサービスにも料理にもまったく満足がいかず、このホテルが5つ星を名乗るのはいかがなものか、という感想を持ったのですが、WHAM!が泊まったホテルという情報があれば、もっと違った楽しみ方があったな、と今さらながらに思います。
WHAM!の中国公演は36年前の出来事です。
ジョージはすでに星になりましたが、時を隔てて今の北京の発展ぶりを見たら、どんな感想を持つでしょうか。
貴重な情報を教えてくれた小林DJ、ありがとうございます。
僕が昔からベストヒットUSAと小林DJのトークを無類の楽しみにしているのは、こちら(2018年12月25日の日記)に書きました。
フリーダムの公式PVはyoutubeで閲覧できますので、ぜひチェックしてみてください。
今でもクリスマスの時期になると、中国でも彼らのヒット曲「ラスト・クリスマス」が街角で流れてムードを盛り上げます。
彼らの活躍期は僕がちょうど洋楽に親しみ始めた時期でした。
FMラジオから流れてくる曲をせっせとエアチェックして、ラジカセやウォークマンで再生して楽しみました。
今のように手軽に音楽が手に入る環境ではなかっただけに、録音したカセットテープは宝物のようでした。
少年から青春にかけての時代の、懐かしい時代です。
今でも歌詞が口をついて出てくるのは、いずれもこの頃に聴いていた音楽です。それぐらい聴き込んでいたということだと思います。
そのWHAM!が、1985年に北京を訪れ、公演をしていたことを知りました。

この公演で、WHAM!は中国で公演を行った初の西欧のアーチストになったそうです。
昨年末にBS朝日で放送されたベストヒットUSAでWHAM!特集があり、小林克也DJがこの時の秘話を披露してくれました。
小林DJの説明によると、当時、中国進出を狙ったプロモーターが中国政府の役人を説得。公演開催のメリットを説明して決断を迫ります。
その際、アーチストの候補としてクイーンとWHAM!が挙がりますが、役人はどちらにするか迷います。両グループとも人気絶頂、英国を代表するスーパースターです。
ここで当時のWHAM!の敏腕マネジャーが一計を案じます。
クイーンのフレディ・マーキュリーのど派手さを強調、一方、WHAM!は持ち前の健康的なイメージを強調してプレゼンを行います。マネジャーは、これなら保守的な中国の役人がクイーンを選ぶことはないと踏んだのです。
その結果、WHAM!が選ばれました。
なんとも興味深い逸話です。
文化大革命が終わってからまだ10年も経っていない頃です。
さらに、この頃は例の事件に至る民主化の萌芽が生まれつつあった時代です。
西洋文化に対する警戒は少なからずあったと思いますが、よく決断したものだと思います。
小林DJがこのエピソードを紹介した後に番組で放送されたPVが、彼らの代表作のひとつ、「フリーダム」です。
日本でも大ヒットしました。
なんとこの公式PV、WHAM!の1985年4月の訪中の様子が映像化された作品でした。
画面には古い北京の映像が映し出されています。
人々は人民服を着て、多くの自転車が街を往来しています。その中をジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーが楽しそうに闊歩し、市民と交流し、コンサートを行います。



万里の長城を訪れたジョージ・マイケルです。

目から鱗でした。
僕は彼らのファンでしたし、このPVも過去に観ているはずですが、まったく印象に残っていませんでした。
ときは彼らの絶頂期です。
公演を行った1985年4月は、全米で「ケアレス・ウィスパー」が大ヒットしていました。
そして北京で撮影した「フリーダム」は同年7月にシングルカットされ、9月に全米3位を記録しています。
つまり、中国公演が終わったらすぐにPVを製作し、リリースしたということになります。
フリーダムのPVに写っていて、今も残っている場所を訪ねてみました。

これは公演が行われた工人体育館です。

今も健在です。
1万5千人を収容します。北京の中心にあって、東京で言えば日本武道館のような場所です。
今も現役で使われていますが、当時はここが最先端の施設だったのでしょう。
最近ではこの近くで市民一斉の新型コロナウイルスのPCR検査が行わていました。

これは彼らが宿泊した北京長城飯店です。





北京長城飯店は1983年に開業した北京初の5つ星ホテルです。
一時期、シェラトングループが参加して北京シェラトン長城飯店と呼ばれていた時期もあったようです。
竣工から40年近くを経ていることもあり、かなり老朽化が目立ちますが、WHAM!が訪れたときはキラキラの最新ラグジュアリーホテルだったはずです。
偶然ですが、僕も3年前に出張でこのホテルに泊まったことがあります。
その時は、正直なところ施設にもサービスにも料理にもまったく満足がいかず、このホテルが5つ星を名乗るのはいかがなものか、という感想を持ったのですが、WHAM!が泊まったホテルという情報があれば、もっと違った楽しみ方があったな、と今さらながらに思います。
WHAM!の中国公演は36年前の出来事です。
ジョージはすでに星になりましたが、時を隔てて今の北京の発展ぶりを見たら、どんな感想を持つでしょうか。
貴重な情報を教えてくれた小林DJ、ありがとうございます。
僕が昔からベストヒットUSAと小林DJのトークを無類の楽しみにしているのは、こちら(2018年12月25日の日記)に書きました。
フリーダムの公式PVはyoutubeで閲覧できますので、ぜひチェックしてみてください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます