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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

漢口英国租界 英文楚報館(The Central China Post)旧址

2023-12-16 | 武漢を歩く
旧漢口英国租界の勝利路を歩いていると、こんな5階建て鉄筋コンクリートのクラシックリバイバル風の洋館がポツンとありました。



これはなんのビルだったのでしょうか。

湖北省文物保護単位を示すプレートに英文楚報館と書いてあります。



調べてみました。

「英文楚報」(The Central China Post)は、戦前の漢口に存在した英国資本の英字メディアでした。

ここはその新聞社の社屋だったようです。

ビルは1924年に建てられました。
当初の構造は鉄筋コンクリート造4階建てで、後に5階部分が増築されたようです。



英文楚報は明代末期の1904年に作られた英国資本のメディアでした。

創設者は英国人宣教師で漢口聖教書店の支配人だった人物で、主に中国各省のニュースを伝えた英字新聞でした。

当初は隔日の発行で、1911年に日刊化しました。1924年に建物が完成した後、ロイター通信もこの建物にオフィスを置きました。

1938年の日本軍による武漢陥落後、英文楚報は漢口で発行される唯一の英字新聞になりました。

「英文楚報」は1920年代から30年代にかけて、英国が中国で発行した四大新聞のひとつでした。

英文楚報は湖北省、湖南省、四川省、陝西省などの地方からのニュースを掲載するために教会ルートを頼りにしていました。当時、外国の新聞に掲載する武漢に関するニュースは、ほとんどがこのメディアから発せられました。

日中戦争が始まると、武漢の防衛に関する多くのニュースもここから欧米に発出されました。

1941年、日本軍は英文楚報を接収し、すべての財産を没収しました。

現在は別の名前のビルとなっていますが、近隣の住民は今でも新聞大楼と呼んでいるそうです。

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