武漢の旧ロシア租界の黄陂路を歩いていると、こんな存在感のあるレンガ造りの洋館を見かけました。


交差点に面した外壁がカーブしながらギザギザの階段状になっていて3階のエントランスに繋がっています。
この建物は写真スポットになっているらしく、若者が入れ代わり立ち代わり、この建物の前でポーズを決めて写真に納まっています。

この建物はなんだったのでしょうか。
エントランス付近に掲げられている優秀歴史建築のプレートを見ると、怡和洋行住宅とあります。
怡和洋行とは英国資本のコングロマリットであるジャーディン・マセソン商会のことです。
1832年設立の東インド会社の後継となった企業で、アヘンと茶を貿易を担いました。
かの幕末の長崎で坂本龍馬らと交流して活躍した武器商人のグラバーが所属していた会社でもあります。
この建物はこの会社の漢口支店の役員クラスの住宅だったそうです。
エントランスを入って右に曲がると、階段が半円を描いて建物を取り囲んでいます。
非対称の3階部分と4階部分には開放的なベランダとバルコニーが設えられています。

なんだか子どもが積み木かレゴで作ったような遊び心満載のつくりです。子どもが見たら喜んでぴょんぴょんと階段を駆け上っていきそうです。
設計者などの詳しい情報がわかりませんが、優秀歴史建築のプレートに-1919-とあるので、これが建築年次なのでしょう。

当時の漢口租界の覇者だった英国を代表する会社の社員住宅ですから、ここで暮らした社員は肩で風を切って租界を歩いていたのではないでしょうか。


交差点に面した外壁がカーブしながらギザギザの階段状になっていて3階のエントランスに繋がっています。
この建物は写真スポットになっているらしく、若者が入れ代わり立ち代わり、この建物の前でポーズを決めて写真に納まっています。

この建物はなんだったのでしょうか。
エントランス付近に掲げられている優秀歴史建築のプレートを見ると、怡和洋行住宅とあります。
怡和洋行とは英国資本のコングロマリットであるジャーディン・マセソン商会のことです。
1832年設立の東インド会社の後継となった企業で、アヘンと茶を貿易を担いました。
かの幕末の長崎で坂本龍馬らと交流して活躍した武器商人のグラバーが所属していた会社でもあります。
この建物はこの会社の漢口支店の役員クラスの住宅だったそうです。
エントランスを入って右に曲がると、階段が半円を描いて建物を取り囲んでいます。
非対称の3階部分と4階部分には開放的なベランダとバルコニーが設えられています。

なんだか子どもが積み木かレゴで作ったような遊び心満載のつくりです。子どもが見たら喜んでぴょんぴょんと階段を駆け上っていきそうです。
設計者などの詳しい情報がわかりませんが、優秀歴史建築のプレートに-1919-とあるので、これが建築年次なのでしょう。

当時の漢口租界の覇者だった英国を代表する会社の社員住宅ですから、ここで暮らした社員は肩で風を切って租界を歩いていたのではないでしょうか。
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