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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

瀋陽 旧奉天中央郵便局

2014-10-02 | 東北を歩く
旧奉天中央郵便局は、瀋陽の中山路(旧浪速通り)沿いにその姿を残しています。


(2階建てで、建築面積は2,000平方メートルあまりです)

この一帯は満鉄付属地として、満鉄が管理権や行政権を握っていました。

1915年の建築だそうですので、来年で100年になります。

設計者は松室重光です。
松室は関東都督府(大連市)所属の技師でしたので、ここまで出張してきて設計を行ったのでしょうか。


(レンガの色は当時のままでしょうか)


(ルネサンス様式っぽいところは辰野式の感じも)

当時は426人の職員が郵便や電信などの業務を行っていたそうです。
今も太原街郵便局として、同じ用途で利用されています。


(郵便局のカウンターです。きれいにリフォームされていて築100年には見えませんね)

瀋陽市文物保護単位に指定されています。
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瀋陽 旧奉天ヤマトホテル

2014-09-30 | 東北を歩く
旧奉天ヤマトホテル(現遼寧賓館)は、瀋陽市の近代歴史建築です。

1929年の竣工です。
瀋陽の中心部・中山広場(旧奉天大広場)に面しています。


(地上3階、地下1階です。外壁の白いタイルは後から補修されたようです)


(アールヌーヴォーとルネサンスが融合したような優美な建築様式です)


(当時の写真です。今と比較してみてください)

奉天ヤマトホテルは満鉄が建設し、最新型の高級ホテルとして経営されました。

満州国時代の1930年代半ば、後に李香蘭を名乗ることになる山口淑子はこのホテルのバンケットのステージに立ち、美声を披露したそうです。

建設から85年が経過する今も、現役のホテルとして堂々と活躍しています。

ヤマトホテルといえば、これまで大連ヤマトホテル(2013年6月20日の日記)と旅順ヤマトホテル(2013年9月24日の日記)をご紹介しましたので、これが3か所目です。

設計者は横井謙介と太田宗太郎、施工は清水組(現清水建設)だったそうです。

ホテル内に入ってみました。


(当時のアールヌーヴォー調の装飾が残っています)


(典雅な階段です。当時のままでしょう)


(食堂です。築85年ですので改装されていると思いますが、重厚感は伝わってきます)

保存状態が良好です。しっかりとメンテナンスが行われていることがわかります。
ホテルのクラスは3つ星ですが、風格と気品はトップクラスです。

こうした実用的な装飾は昭和初期に日本でも一時流行したそうですので、昭和4年建築のこのホテルもその影響があったのかもしれません。


(ロビー付近です)

遼寧省級文物保護単位に指定されています。
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瀋陽 故宮

2014-09-24 | 東北を歩く
瀋陽の故宮は、17世紀の清王朝が建てた宮殿です。

清の初代皇帝・ヌルハチと2代皇帝・ホンタイジが暮らしました。





北京の故宮とともに、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。


(武功坊です)


(北京の故宮は皇帝の色とされる黄色の瑠璃瓦が基調ですが、こちらは黄色に加え、全体的に緑色が強調されています)


(草原の騎馬民族であった満州民族やモンゴル民族の記憶でしょうか)

瀋陽の故宮は、清王朝が北京に遷都された後も離宮として存続します。
康熙帝や乾隆帝など後の歴代皇帝がここを訪れました。


(撫近門です)


(龍は権力の象徴です)
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瀋陽駅

2014-09-22 | 東北を歩く
瀋陽に行ってみました。

大連で生活を始めて1年半ですが、瀋陽に行くのは初めてです。
そんなに遠くもないのですが、大連の快適さに馴染んでしまったこともあって、なんとなくその他の街に出掛けるが機会を作っていませんでした。

来月、日本から4人の先輩が遊びに来てくれるのですが、今回は瀋陽にも行く計画なので、軽い下見を兼ねて行ってみることにしました。

大連駅から新幹線に乗って2時間ちょっとです。
到着した瀋陽駅の優美な外観を見ただけで、早くも胸が高鳴りました。


(見覚えのある近代建築のデザインです)

これは東京駅そっくりですね。
東京駅といえば、日本の近代建築の傑作です。
一昨年、空襲で焼失したドームが復元されて話題になりましたね。
格調ある壮麗なレンガ造りで、僕もお気に入りの建築物です。


(似ていますが、パクリではありません)

実は、東京駅より瀋陽駅の方が先に建てられているのです。
東京駅は1914年、瀋陽駅は1910年の竣工です。

設計者を調べてみました。
東京駅の設計者は辰野金吾、瀋陽駅は辰野の弟子に当たる太田毅でした。
それなら納得です。

両駅の建設プロジェクトは同じタイミングの1908年頃からスタートしたようですので、師弟関係にあった辰野と太田との間で何らかの相談や情報共有があったことは確かでしょう。

大連駅は上野駅を模して設計されたことで知られていますが、瀋陽駅は東京駅だったのですね。

竣工から激動の1世紀の時間を経て、兄弟のような二つの駅が双方の中心都市の顔として今も活躍しています。
両国の間には色々ありますが、僕としてはこういう繋がりに強く励まされます。


(ちゃんとメンテナンスをされてきたことがよく判ります)
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