12月1日、2013上海国際マラソンに出場してきました。
その詳細をご報告します。
フルマラソンの挑戦は6回目、上海国際マラソンは6年ぶり2回目です。

(大会パンフレットです)
9月下旬に出場を決めてから2ヶ月あまり、準備期間としてはかなり短い方です。
春先に大連で生活を始めてから、野外での練習を積むことができず、練習量が不足しがちだったのですが、国慶節休暇中に集中して走り込み、その後も時間を見つけては足腰づくりをしてきました。
その結果、故障もなく、比較的順調に仕上がったと思います。11月上旬には30キロ走もやりました。
ジムのトレーニングマシンを使って膝や背筋、ふくらはぎの筋肉も鍛えました。
あえて心配事を挙げれば、練習不足とレース勘です。こればかりは、走ってみないとわかりません。
目標タイムは4時間としました。
僕の自己最高タイムは、2011年12月に出場した故郷宮崎でのレースで出した3時間43分30秒(ネット)なのですが、これはコースもレース環境も極めて良好、体調も練習量もバッチリ、という好条件で出た奇跡的な記録です。
今のコンディションはこの時には遙かに及びません。4時間とするのが妥当なところです。
レースには、上海時代の同僚だったY先輩(函館在住)も出場します。
Y先輩は、膝に不安を抱えながらも数多くのレースをこなす強者で、マラソンの楽しさも苦しさも知り抜いています。今回で4年連続の上海国際マラソンの挑戦だそうです。
Y先輩とはお互いランニングを趣味のひとつとしながら、いつもビールを痛飲するばかりで、まだ一緒に走ったことがありません。
いつか同じレースに出場したいと思っていました。
今回、ついに念願が叶いました。
Y先輩とは、レース後に互いにビールで稽古することを約束して、レースに臨みます。
●スタート
レースは朝7時のスタートです。
しかし、なんでこんなに早いのでしょう? 昼間に気温が上がる真夏ならわかりますが、12月です。
とはいえ、不満を言っても仕方ありません。出場者は、決められた条件に従うのみです。
4時に起きて早めの朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトし、始発の地下鉄に乗ってスタート地点である外灘に向かいます。
明け方の外灘は大変な人だかりです。気温は8度、晴れです。
しかし、空気が澱んでいるのか、黄浦江の向こうに見える上海のシンボル・東方明珠塔が霞んで見えます。
手元のスマホでPM2.5の濃度をチェックすると、138マイクログラムとありました。前日は空気も澄み渡っており、数値も2桁だったのですが、今日になって数値が上がったようです。
ちなみに、日本でのPM2.5の外出自粛勧告となる暫定基準値は70マイクログラムですので、この時点でほぼ2倍ということになります。いかにも中国らしいマラソン大会です。
レース後に知ったのですが、この日のマラソンは、「深刻な大気汚染の中で開催されたマラソン大会」として、日本でニュースになったそうです。

(スタート直前の様子です)
スタートまで20分になりました。
外灘の和平飯店前のスタートブロックに入ります。
大変な人だかりで、身動きが取れません。すし詰め状態です。
屈伸運動もできないし、シューズの紐を結び直すことすらできません。これは明らかにおかしいです。
なぜこんなことになっているのでしょう?
おそらく、選手たちが自分の指定されたブロックを守らず、前に前にと押し寄せてきているためではないかと思われます。
僕はフルマラソンのA・Bブロックだったのですが、ゼッケンをみるとCブロックの選手やハーフマラソンの選手がかなり混ざっています。
できればレース前にY先輩と会っておきたかったのですが、もはやそれどころではありません。
身動きできないのですから、無理もありません。
主催者側が出場者の動きをコントロールできていません。
でもまあ、これもご愛敬でしょう。よしとします。
気温8度の中をTシャツで待つので、本来はかなり冷え込むはずなのですが、満員電車状態になっているので、それほど寒さを感じません。
決して悪いことばかりでもありません。
7時です。外灘を一斉にスタートしました。
満員電車から押し出されるように、選手たちがぞろぞろと走り始めました。
僕がスタート地点を踏んだのは、1分10秒後でした。
5キロごとのペースの目安は、27分台と仮設定しました。
レース前に決めつけることは避け、体調やレースの流れをみて調整することにしました。仮に27分台で行けば、後半のペースダウンを加味しても3時間50分台後半でゴールできる計算です。
●懐かしい街
スタート地点付近にはたくさんの観衆とカメラの視線がランナーに集まります。
右側には、旧香港上海銀行や旧ラッセル商会ビルといった租界時代の美しい西洋高層建築が立ち並んでいます。
外灘を南下し、金陵東路を西に向かいます。
すぐに河南南路を北に折れると、ウェスティンホテルが見えてきました。蓮の花をイメージした気品のある屋上のオブジェが目を引きます。
沿道は早朝にもかかわらず、多くの観客で賑わっています。
ダンスのチームと思われる綺麗なユニフォームを着たおばちゃんたちが太鼓や鈴を鳴らしながらリズムよく、「加油! 加油!」と声を張り上げています。
南京東路に入ってきました。上海最大の繁華街である歩行者天国です。
左右から高層ビルが迫ってくるようです。ここから西側に向かう2キロほどは、6年前のレースと同じコースです。
というより、この2キロ以外は、6年前とまったく違うコースを辿ります。
街の変化の早い上海らしく、マラソンコースも年々変化をしているということでしょう。
上海大劇院、上海美術館、ポートマン・リッツカールトンホテルが過ぎていきます。どれも懐かしい建物です。
5キロを通過しました。時計を確認すると、28分57秒です。
やや時間が掛かりすぎのようにも思いますが、これだけ多くの選手の中を、人の壁を避けながら走るわけですから、やむをえません。
レースはまだまだ始まったばかりです。焦らずに進みます。
伊勢丹、久光百貨店、静安寺が見えてきました。どれもよく通いました。懐かしい姿で、優しく語りかけてくるようです。
南に進路を取り、華山路に入りました。
左手に英国租界時代の老房子を見ながら進みます。道を覆う街路樹のプラタナスの葉はまだ色づき始めたぐらいで、緑も多く残っています。おそらく、2週間以内には落葉が終わるでしょう。初冬の上海らしい風景です。
1.5キロほど走ると、准海西路に合流します。
ご存じ、上海のメインストリートです。30メートルほどある街路樹に囲まれた美しい広い道は、ランナー専用として全面開放されています。粋です。これまた懐かしい光景で、風景とプラタナスの葉の色のコントラストが上海風情を引き立てます。
よく考えられた、いいコースだと感じ入ります。

(コース地図です)
10キロ地点を迎えました。
この5キロ、26分09秒です。スピードが上がってきました。
11キロ過ぎで西蔵南路を右折し、南下します。
この一帯は旧上海城付近です。高層ビルの隙間からのぞく細い路地裏通りには、ところ狭しと洗濯物が干してある様子が目に入ってきます。
上海の生活感が伝わる風景です。とても微笑ましく、絵になります。
今の気温は10度ぐらいでしょうか。10月に大連に遊びに来てくれたb.stone先輩がプレゼントしてくれた半袖の機能性Tシャツを着ていますが、じわりと汗がにじんできます。快適なコンディションです。

(b.stone先輩がプレゼントしてくれたTシャツです。全力疾走を誓います)
西蔵南路を4キロほど直進し、黄浦江の手前を左折します。
ほどなく、眼前に巨大な南浦大橋が目に入ってきました。上海の浦西と浦東をつなぐ大動脈、美しいハープ橋です。上海で暮らしていた頃は何度も通った橋ですが、改めて間近で見るとかなり大きく見えます。橋脚の高さは50メートルぐらいはありそうです。
この上海国際マラソン、数年前まではこの橋を渡って川向こうの浦東を走るコースを辿っていたそうです。ということは、当時のランナーはこの50メートルの高低差を昇り降りしていたわけです。
一度走って渡ってみたいような気もしますが、おそろしくスタミナを奪われそうです。
橋脚を抜けて、川沿いの外馬路を北に向かいます。目の前にはPM2.5で霞むように東方明珠塔や金茂大厦など浦東陸家嘴地区の高層ビル群が目に入ってきます。
沿道の応援はやや少ないながらも、「加油、加油!」と暖かい応援を送ってくれます。
この手の応援部隊は、主催者から出演料を貰って応援をするおばちゃん軍団がいると聞いたことがありますが、必ずしもそれだけではないようです。本気で応援してくれている普通の市民もいるように思います。
決して自分を応援してくれているわけでもないのですが、力になります。
●マイペース
15キロ経過です。
この5キロ、26分21秒です。
快調です。走っていて、非常に楽しいです。今がランナーズハイのピークでしょう。
だからこそ、調子に乗ってはいけません。スピードを上げようと思えば上げられないこともありませんが、自分を戒めてマイペースで足を運びます。
この川沿いの外馬路は、往復ランナーが交差するコースで、先行している折り返しのランナーたちの姿を見ながら走ります。Y先輩がどこを走っているのか、僕より前なのか、後ろなのか、わかりません。このため、折り返しランナーの顔も見ながらの走りです。
18キロ手前で折り返しポイントがきました。
ここまでY先輩の姿は見かけていないので、どうやら僕より後方を走っているようです。
折り返しから1.5~2分が経過した頃でしょうか。向こうから走ってくるY先輩の姿が見えてきました。
「Y先輩、Y先輩!」
手を上げて名前を叫ぶと、すぐに気付いてくれたようで、「おう!」と手を返してくれました。
自分との差は3、4分程度とみました。ほとんど差はありません。
「Y先輩、自分に追いついてくれないものかな・・・」
と思いますが、そんなに思うようにはいきません。お互い、自分のペースというものがあります。マイペースを貫くのみです。
再び南浦大橋の足元を通りながら南に向かいます。
5キロごとに設置されている給水ポイントでは、すべての場所でスポーツドリンクを補給します。
紙コップに3分の1ぐらい入ったドリンクを一口で飲むと、すーっと体に吸収されていくようです。
20キロ地点が見えてきました。
ここまで1時間47分44秒、この5キロ、26分17秒です。
5キロのスプリットは想定より1分程度早いですが、それだけ調子がよいということでしょう。リズムに任せて走ります。
そろそろ距離的にはレースの半分、というところに差し掛かってきました。
右足のかかとに若干の違和感を感じ始めました。これが一時的なものなのか、やがて痛みに変わるのか、わかりません。
ここは鎮痛剤を飲んでおくタイミングでしょう。
ウエストポーチから錠剤を取り出します。
このウエストポーチ、東京を離任する前にビール稽古仲間のW嬢、S嬢、O嬢の3人娘がプレゼントしてくれたものです。

(ウエストポーチです。レースでは初めて利用しました)
錠剤を右手に納めて次の給水ポイントを待ちます。
レースの残りはあと2時間程度です。次に別のどこかが痛み始めても、ここで1錠飲んでおけば、最後まで効果が持続するはずです。
●万国博覧会と再開発
正面に盧浦大橋のアーチが霞んで見えてきました。
この辺り、黄浦江左岸は、2010年上海万国博覧会の会場となったエリアです。
今も多くのパビリオンが当時のままの姿で残っています。
自分が住んでいた当時、ここには何があったのか記憶していませんが、おそらく古い住宅街か工場があったのではないかと思います。
再開発が行われたためか、道路が素晴らしく整然と整備されています。路面も補修された跡やマンホールがなく、フラットです。
上海市街地の道といえば、狭くて街路樹に覆われて曲がりくねっている、というのが定番ですが、ここだけ見ると上海とは思えません。
実に走りやすいです。
3年前、この地に中国内外から数千万の見学客やVIPが集まり、世界最新技術の展示が行われたわけです。熱気で賑わう当時の様子を空想しながら走ります。
25キロ地点が近づいてきました。
少し、大腿に痺れを感じるようになってきました。
走りそのものには影響がありませんが、この痺れは消えることはないでしょう。
毎回、これぐらいのタイミングで痺れが出てくるものです。上手くごまかしながら乗り切るしかありません。
●応援
盧浦大橋を過ぎました。引き続き川上に向かいます。
25キロを通過です。
この5キロ、26分31秒です。ペースは維持できています。
ポケットからY先輩に貰ったペース早見表を取り出し、予想ゴールタイムを確認します。

(Y先輩特製の早見表。優れモノです)
このペースで走り続けると、ゴールは3時間45~50分ぐらいです。
レースは残り約1時間半・・・。
現在の疲労度や体調、この後のペースダウンを計算に入れて、レース後半の作戦を考えます。
すると突然、「○○さーん!」と、沿道から日本語で僕を呼ぶ声が聞こえました。
慌てて声の方向に目を転じると、上海在住の知人、ZHとZYが大きく手を振っています。
応援に来てくれたようです。これは驚きました。
「うわ、応援に来てくれたの? これはありがとう!」
「がんばってー!」
これは図らずも、心強い応援を貰いました。
時間はまだ午前9時30分前です。彼女たちは早起きして、地下鉄に乗ってここまで応援に来てくれたのです。
力になります。ありがたいことです。
手を振って別れを告げ、ゴールを目指します。
宛平路に入りました。
ここはたしか、上海に住んでいた時代にクルマの整備のために来たことがある場所ですが、当時よりかなり街が整備されている印象です。ここも再開発が行われたのかもしれません。
再び黄浦江沿いの道に出てきました。
龍騰大道を川下である南側に向かいます。この道も最近整備されたらしく、道幅が広く、走りやすくなっています。
直線4キロを往復します。
対向車線からは、折り返しのランナーが走ってきます。彼らは、僕より約8キロ前方を走っていることになります。サブスリーに挑戦しているランナーでしょう。
それもそのはずで、サブフォーを目指して走っている自分たちの集団に比べると、足取りが軽快です。
朝食をとってから5時間が経過しています。
少しだけ、空腹感を感じてきました。
このレースでは、エードステーションがありません。食料は、自分で調達する必要があります。
ウエストポーチ入れておいた小さめのスニッカーズを取り出し、かじりながら走ります。
レース中の栄養補給は、この1本で十分です。
29キロ地点に来ました。
コースの延長線上に、大きな橋が見えてきました。
どうやら、この橋を越えなければならないようです。高低差15メートルほどでしょうか。気が重くなります。
息を整えて、腕を強く振って、歩幅を狭くして登ります。心拍数が上がります。やはり、坂道はスタミナを奪われます。
上海は平坦な街なので、この橋がレース唯一の登りかもしれません。唯一といっても、後から折り返してここに戻ってくるわけですから、2度、登り降りをすることになります。
意識としては、この辺りをレースの中間点と考えるようにしました。
●自分自身と向き合う
30キロ地点を通過です。
この5キロ、26分48秒です。これで5回連続26分台です。順調です。
鎮痛剤が効いてきたのか、かかとの違和感は消えました。大腿の痺れは相変わらずです。
このままアクシデントがなければ、目標の4時間は十分クリアできそうです。
僕は普段から、練習での走り込みは最高30キロまでと決めています。
それ以上は走りません。そこから先はレースのみです。経験から生まれた、故障をしないための工夫です。
さて、残り12キロになりました。
ここからです。ここからがマラソンです。ここからゴールまでの1時間あまりが、自分自身と向き合う時間です。
周囲には、足を止めたりストレッチをするランナーが目立つようになってきました。
僕も右のふくらはぎに軽い張りを感じます。このスピードで30キロ走り続けてきたわけですから、当たり前です。
31キロ過ぎ、龍騰大道を折り返します。今度は黄浦江沿いを南下します。ここから約4キロの直線が続きます。
やや逆風が吹いています。風向きが変わることを祈りながら、うつむき気味に走ります。
トイレに立ち寄りたい気もしますが、そうすると少なくとも1分のロスがありますし、トイレのために立ち止まることによって、脚の筋肉が硬直しそうで怖いような気もします。
今のペースを維持できれば、レースはあと1時間ほどで終わります。トイレは最後まで我慢することにしました。
それにしても、この道、住宅地から離れているせいか、沿道の応援がかなり少ない場所です。
心が少しずつ弱りかけている今こそ、応援が欲しいところです。
時間は午前10時前です。さらに気温が上がってきたようです。額から落ちてくる汗が目に入ってきます。
32.5キロ地点に設置されていた水を含んだスポンジを手に取り、汗を拭き取ります。
冷たくて気持ちがいいです。
35キロ地点が見えてきました。
この5キロ、27分18秒です。少しペースが落ちていますが、許容範囲内です。むしろ、この程度のペースダウンで済んでいるのなら上出来です。
残り7キロになりました。最後の折り返し地点を迎えます。
ここからは北西側にある上海体育場を目指します。
脚の痺れが大きくなってきました。走るフォームが乱れてきました。道路をつま先で蹴り上げる力が出ないため、足の裏全体で着地して足の裏全体で蹴るような、ロボットのような走りになっています。体の軸が左右にぶれているのがわかりますが、もはや修正が利きません。
このまま走り続けるしかありません。
●だます
苦しいです。
ほかのランナーに抜かれることはほとんどありませんが、とにかく苦しいです。残り7キロ、まだまだ長い道のりです。
どうすれば乗り切れるでしょうか。
・・・こう考えることにしました。
「このレースは僕のために用意されている。僕が走るために、これだけ大勢の警察官やボランティアが動員されて、クルマが入ってこないように厳しい交通規制をして、ご丁寧にスポーツドリンクまで用意してくれて、応援までしてくれている。こんな素晴らしいお膳立てをして僕を楽しませようとしてくれている。実にありがたいことじゃないか。この楽しさも、あと40分で終わってしまうのだ。残り40分、精一杯楽しまなければもったいないじゃないか。な、そうだろ・・・?」
自分だましです。今の状態を「楽しい」と思い込ませます。発想を変えないと、およそこの先の苦しさは乗り切れそうにありません。
36キロになりました。対向車線側からY先輩が走ってくる姿が目に入ってきました。
手を振って、
「Y先輩、Y先輩! もう少し! がんばりましょう!」
と叫びます。
先輩は、「おうっ!」と手を上げて応じてくれました。
言葉は少ないですが、ともに戦っているお互いを確認し、励まし合います。
考えてみると、僕は今回のマラソンが6回目ですが、知人と一緒に出場したのはこれが初めてです。同じ時間に同じコースを走る・・・。
やはり、特別なものを感じます。
先輩もがんばっています。僕も走り抜かなければなりません。
とはいえ、やはり苦しいです。ふくらはぎの張りも強くなり、痙攣を起こしそうです。
37キロ表示が見えました。1キロごとに設置されているキロ表示が待ち遠しくて仕方ありません。
「まだか? まだか? 1キロってこんなに長かったっけ?」
そう感じます。
残り5キロです。弱気の虫が顔を出してきます。
「少しだけ歩いてみるか・・・。貯金もあるし、少しぐらい歩いても4時間内はいけるだろ・・・。んん、でも歩くのはカッコわるいよなぁ・・・」
もう1人の自分が制止します。
「あとたった5キロじゃないか! 30分だぞ! 普段、鼻歌でも歌いながら平気で走ってる距離じゃないか!」
「いや、でも、もういいだろ・・・。脚も痛いし、歩いても言い訳ができる理由は十分揃っているじゃないか・・・」
「42キロのうち、37キロ走ったんだぞ! もう9割は終わったんだぞ! あとたった1割だけなんだぞ! おまえ、なんのためにわざわざ大連から飛行機に乗ってきたんだ!」
すさまじく葛藤します。
39キロです。龍華路に入りました。
上海最古の禅宗寺院・龍華寺の塔が見えてきました。
塔がずいぶん大きく、立派に見えます。最近、修復したのかもしれません。
しかし、今はそんなことはどうでもいいことです。早く終わりたい、その一念です。
ますます脚が重くなってきました。歩幅が伸びません。意識して腕を振りますが、なかなか続きません。沿道の応援も多くなってきました。
多くのカメラもこっちを向いています。しかし、もはや笑えません。
汗が容赦なく両目に入ってきて、痛みます。鬱陶しいです。必死で拭います。
●出し切る
ついに40キロを通過です。
この5キロ、27分49秒です。トータルで3時間36分ちょっとです。
思ったほどペースは落ちていません。このまま行けば、自己ベストは無理だとしても、3時間40分台は確保できそうです。
予想外の出来映えです。自分、なかなかやるものです。
最後の2キロ、あと12分の辛抱です。もう一度ギアチェンジをして加速できないものでしょうか。
しかし、脚は言うことを聞いてくれません。力が入らず、惰性で回転させているだけの状態です。どこかに力が残っていないものでしょうか。体中の余力を脚に集中させるよう、イメージします。
「・・・もう、ゴールしたら腕が筋肉痛になっても構わん。腹痛が起きてもいい。歯痛でも頭痛でも受け入れる。とにかく今、この脚に力を・・・」
歯を食いしばって腕を振り、自分を鼓舞します。
目の前には上海体育場や周辺の高層ホテルの姿が見えてきました。あれがゴールです。あとはあそこに飛び込むだけです。
柔軟性のないドタドタ走りになっているので、脚が着地するたびに体全体に衝撃が伝わってきます。かなり不格好な走りになっているはずです。顔もひどいことになっています。
こんな姿、人様には見せられません。
苦しいです。でも、苦しいのは僕だけではありません。みんな苦しいはずです。
目の前にいる体格のいい兄ちゃんも、横を走っている背の高い西洋人も、向こうに見える鉢巻きのおじさんも、みんな苦しいのです。
体育場が大きく見えてきました。残り1キロです。目の前のランナーをひとりひとり抜き、ゴールを目指します。
「早く終わりたい・・・。もうやめたい・・・。ああ、もう・・・」
龍華東路から体育場の敷地内に入ってきました。大変な人だかりです。大勢がランナーに声援を送っています。いたるところから「加油! 加油!」の掛け声が聞こえてきます。
最後の力を振り絞ります。
自分の口から、勝手に「はあっ、はあっ」と大きな息が漏れてきます。
「力を出し切れ・・・。全部出し切れ・・・。お釣りを残すな・・・」
自分に言い聞かせます。
ゴールのゲートが目に入ってきました。待ちに待った、愛しかったゴールです。
ゴールに設置された計時表示は3時間47分台を示しています。
もうすぐです。もう一度強く腕を振って加速しました。
両手を握りしめ、空を仰ぐようにゴールに飛び込みました。
【2013上海国際マラソン】 2013/12/01 晴れ 8度
距離 通過時間 スプリット
05km 0:28:57
10km 0:55:06 (0:26:09)
15km 1:21:27 (0:26:21)
20km 1:47:44 (0:26:17)
25km 2:14:15 (0:26:31)
30km 2:41:03 (0:26:48)
35km 3:08:21 (0:27:18)
40km 3:36:10 (0:27:49)
Goal 3:48:15 (0:12:05)
Net 3:47:05
ゴール後、人垣を離れた場所でへたり込んでしまいました。汗が大量に落ちてきます。
Y先輩のことが気になります。
立ち上がって、ゴールを目指すY先輩の応援に行きたいのですが、体が動きません。
15分ほどして、ようやく立ち上がって水を受け取りました。
500ミリリットルのペットボトルを一気に飲みきりました。体に染み入っていくようです。
記録は3時間48分15秒(ネット:3時間47分05秒)でした。
過去2番目の、望外の好記録です。大満足です。
レース後にスマホで大気の状況を調べてみたところ、268を指していました。驚愕の「重度汚染」カテゴリです。
準備期間が短く、この空気の中です。我ながら、よくやったと思います。
その後、ゴール地点の隣のホテルに宿泊していたY先輩にシャワーを借りて、打ち上げの稽古に繰り出しました。
やはり、マラソンはいいものです。
またひとつ、いい思い出ができました。

(大会記念Tシャツです)