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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

恋愛と経済

2014-02-13 | その他
今朝の地元紙に、「遼寧省の男性が恋愛絡みで支出する金額の割合は全国2位」なる記事がありました。

記事を読んでみましょう。

このたび、男性が恋愛絡みでどの程度のお金を使っているのか、全国調査が行われたそうです。
この結果、大連が所属する遼寧省は、月平均で1,607元を消費していることがわかったそうです。
この金額は、総収入のうち38%に当たるのだそうです。
この38%という数値が、全国2位だというのです。
ちなみに1位は、黒竜江省の40%です。


(こんな記事です)

いやはや、すごい統計があるものです。
いったいどんな目的があって何の役に立てようとして作られたデータなのか、ちょっと分かりません。
ともかく、記事を読み進んでみましょう。

消費のうち主要な支出項目は、デートのときの食事代、映画などの娯楽代、女性へのプレゼント代の3つだそうです。
収入が低ければ低いほど、学歴が低ければ低いほど、収入に占める恋愛消費の割合が高くなる傾向があるそうです。

・・・中国の男性陣は大変ですね。
どこまで甲斐性が求められるのでしょうか。本当に気の毒だと思います。

お相手探しが大切な問題であることはどこの国も同じだとは思いますが、それにしても収入の4割というのはいかがなものでしょう?
家賃も払わなければならないし、メシも食わなければならないし、たばこ代もスマホ代も必要なわけです。衣服や本やコーヒーも買うでしょう。
きっと、みんながんばって切り詰めているんでしょうね。

これを、自分のこととして考えてみます。
僕は4割を恋愛方面に回せるでしょうか?

一口に恋愛消費といっても、恋愛には段階というものがあります。
自分の彼女になってくれるかくれないかの微妙な段階では大量投資することもあるでしょう。この段階で4割はあるかもしれません。
しかし、やがて関係が安定してくれば、4割に及ぶほど消費する場面がないように思います。

中国では映画代やワイン代などの恋愛絡みのコストが高いのでしょうか?
あるいは、プレゼントの頻度が高いのでしょうか?

一方、恋愛をすれば、お金を使う場面は確実に増えますので、経済全体の問題として考えた場合、案外、経済成長にも影響するのかもしれません。
中国の男性が全員恋愛すれば、GDPが二桁ぐらい上がるかもしれませんね。なんせ4割ですから。

近年の中国の経済成長は、実は献身的な独身男性が密かに支えてきたのかもしれませんね。
アベノミクスにも、「男性の恋愛推奨」を柱のひとつに入れてみる、というのはどうでしょうか。
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日本の良さを再確認

2014-02-09 | その他
今回も東京への一時帰国で感じた話です。

中国での長期滞在を経てして帰国するたびに気付かされるのですが、日本人のマナーの良さ、秩序、ショップやレストランでの隅々まで行き届いたきめ細かいサービス、料理の繊細さ、製品のクオリティ・・・。こういったものは極めてレベルが高いと思います。
中国生活に慣れた僕には、改めて驚きです。日本人ってすごいなあ、と思います。世界最高水準でしょう。
突き抜けていると思います。

至れり尽くせりであまりに快適すぎて、かえって居心地の悪さを感じてしまうぐらいでした。

この春節期間中、多くの中国人が日本を訪問して、大量の買い物をしていく様子を伝えるニュースが報じられていましたが、納得です。
そりゃそうだろうな、と思います。
中国人観光客の目には、確実に日本の素晴らしい魅力が伝わったことだと思います。

こうした点を再発見できるのも、海外生活ならでは、ということなのでしょう。

中国生活のおかげで、ますます日本の魅力を知ることができました。


(浅草も中国人でいっぱいです)


(優美な東京駅)


(上野駅は大連駅のモデルです)


(サザンカが咲いていました)
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10ヶ月ぶりの東京

2014-02-08 | その他
春節休暇を利用して、一時帰国してきました。
大連への着任以来初、約10か月ぶりの東京です。


(久しぶりのスカイツリー)

短い滞在でしたが、久しぶりに日本のごはんを食べたり、買い物をしたり、荒川の土手を走ったりと、東京を楽しみました。

旧友たちも時間を作って食事やお茶に付き合ってくれました。
これまで同様、暖かく迎えてくれました。
本当にありがたく、涙が出てくるような思いでした。

僕にとって、こういう一時帰国での交わりは、海外生活の中で気付かないうちに少しずつ歪が出ていた価値観や倫理観の軸を元に戻す働きがあると思っています。
話題は冗談や打ち明け話ばかりであっても、親しい旧友らと楽しい杯を重ねることで、無意識のうちに歪を矯正し、軸を確認することができたように思います。

この感覚は、僕が東京から故郷の九州に帰省するときにも意識することです。
自分の価値観や倫理観のベースは、やはり生まれ育った九州にあって、それら以外の自分らしさの原点も九州にあると思っています。
東京生活でも年に1度ほど九州へ帰省し、親の手料理を食べて、親族や旧友たちと話をすることで、原点回帰へのメンテナンスを行っていました。
これと同じことですね。

つくづく自分は人に支えられているな、ということを実感した東京でした。

皆さま、ありがとうございました。


(日本人やってて良かったと思います)


(焼き鳥にもこだわりです)


(バーニャカウダとかいう食べ物だそうです。大連では見たことがありません)


(喜多方ラーメンは、感涙の味わいです)


(テーブルにこんなオシャレなロウソクがさりげなく置いてあったり・・・)


(ビール道場では色々なビールを楽しみました)


(大量のポテト。B男がドカ食いです)


(ビール道場の仲間からこんな小粋なプレゼントもいただきました)
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レンタル彼女

2014-01-24 | その他
今日の地元紙朝刊に、「レンタル彼女」なるビジネスを紹介している記事がありました。



中国では来週末が旧正月、いわゆる「春節」ですが、この時期に繁盛する商売なのだそうです。

春節には、普段は離れている親族が集って食卓を囲み、楽しく団らんするわけですが、適齢期の独身男性は両親や長老たちから結婚を迫られることになります。
これが当事者にとっては大変なプレッシャーになるそうです。

もちろん、本物の彼女がいれば堂々と連れて行けばいいわけですが、彼女がいない場合は大変です。
今の適齢期の人たちは皆一人っ子なので、親からの期待も半端ではありません。

そこで生まれたのがこのビジネスです。
偽物の彼女を家に連れて行って親を安心させるのですね。今の中国の若者は大変だと思います。

記事によると、当地の相場は、1,000元/1日だそうです。
ふだんは700元だそうですから、需要の増す春節は特別価格ということですね。

この商品、オプションもあるそうです。

家で掃除などの家事を手伝ってもらう場合は、60元/1時間です。
団らんの場で家族と一緒にお酒を飲んでもらう場面もあるでしょう。
この場合、白酒なら50元/100ミリリットル(ただし、アルコール46度以上の白酒の場合は追加20元)、ワインも50元/100ミリリットル、ビールならば30元/1瓶です。

この相場が高いのか安いのか、よくわかりませんね。

子どもも親も、それぞれの立場で心配事があって悩ましいことです。双方に同情します。
しかし、このビジネス、親を喜ばせ、安心させるためとはいえ、一種の詐欺行為とも言えそうです。
息子としては、とりあえず今年はごまかしておいて、来年こそは頑張るぞ・・・。そんな感じでしょうか。

話題や認識がずれないように、クライアントとレンタル彼女との間で事前の入念な摺り合わせが必要になりそうです。

そこまでするのであれば、いっそ息子は家に帰るのを見合わせたらいいのではないかと思ったりもしますが、そうはいかない事情があるのでしょう。

僕としてはどうしても息子側の立場に立ってしまうのですが、こんな理不尽なことまで強いられるとは気の毒で仕方ありません。
結婚など、親じゃなく本人が決めることじゃありませんか。

日々、考えさせられます。
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2014年

2014-01-01 | その他
新年を迎えました。

大連で迎える初めての新年です。
大連に赴任してから、早いもので9カ月です。

いまだに戸惑いもありますが、毎日が新鮮で、大連の街を楽しんでいます。
考えてみると、この9カ月で信じられないぐらいの多くの人と知り合い、友達になりました。飲んだくれました。
交換した名刺は1,000枚を超えました。

しかし、いかんせん覚えが悪いので、そのうち顔も名前も覚えているのは200人ぐらい、顔か名前のどっちかだけ覚えている方がそれぞれ100人ぐらいです。
しかし、それでも400人とは何らかの関わりができたということになります。

日本で見守っていただいている方を含め、色んな方に助けられ、支えて貰っています。
本当に恵まれていると思います。
2013年、充実した年を過ごせました。

今年もしつこく、飲んだくれながら大連の街の様子をお伝えしていこうと思います。
どうか、今年もお付き合いいただきますようお願いします。


(旅順の旧市街の一角です)
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2013年十大流行語

2013-12-21 | その他
中国でも、年末のこの時期、その年の流行語が選出されているそうです。
昨日の新聞でトップテンが紹介されていました。
日本と同じで、世相を表すキーワードが並んでいます。



いくつかご紹介します。

【中国夢】
おなじみ、習国家主席のスローガンですね。チャイニーズドリームです。

【光盤】
普通、中国語で光盤というとCDのことを指すのですが、ここは違います。
出された料理を残さずきれいに食べる、という意味です。
現政権の「ぜいたく禁止令」、「浪費防止運動」から生まれた完食キャンペーンです。

【倒逼】
否応なしに~をさせる、強制的に~させる、ということを指す強い言い方です。
これまで権力側が情報を統制して不都合を隠ぺいしてきたり、ごまかしてきたことが、微博(マイクロブログ)や微信(中国版のLINE)などのSNSを利用して市民の間で情報共有されるようになり、それらが力となって権力側の改善措置を促したことから生まれた言葉だそうです。
「下剋上」のような意味もあると思います。

【逆襲】
これは日本で今年流行した半沢直樹に影響された言葉でしょうか?
意味は日本語と同じですが、僕の中国語辞書を引いても「逆襲」という単語は出てきません。すなわち、新語でしょう。
貧しかったり地位の低い人が、上の立場の人物を打ち負かすことを指します。「逆襲成功了」などという言い方をするようです。

【女漢子】
男っぽく、たくましいタイプの独身女性を指す言葉です。
日本で90年代に流行したオヤジギャルみたいな感じですね。決して悪い意味で使われるわけではなく、自分で何でもできる自立している女性、という意味もあります。
晩婚化が進んでいることも影響しているのでしょう。

【土豪】
成金のことです。
いい意味では使われません。庶民から急に富裕層に転じた、趣味の悪いお金持ち、みたいな意味で使われます。
新聞でよく目にする言葉です。

・・・どこの国でも日々新しい言葉が生まれ、消えていくのですね。
数年後にこれらのキーワードをみたとき、「ああ、あのときの・・・」という具合に思い出すのだと思います。
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レモンミルタ - LOOKのご友人

2013-12-16 | その他
久しぶりにご友人ネタです。

先週日曜日のことです。

中国人同僚の結婚式に出席しました。
その際、新郎新婦から「喜糖」と呼ばれるキャンディの小さな詰め合わせを貰いました。
祝いの席で振る舞われる、幸せのお裾分けの習慣です。

今日、そのひとつを食べようと思って手に取ってみました。
見覚えのあるロゴで「LOOK」と大きく表記されています。日本語表記もあります。不二家のルックキャンディです。

中国でも製造しているようです。やはり日本メーカーの食品は安心しますね。

・・・しかし、よくみると、なんかちょっと違います。


(妙な日本語が並んでいます)

どうやら、これはルックキャンディではありません。ご友人です。
メロンミルタ」と書いてあります。メロンミルクの誤植でしょう。
「ク」と「タ」は似ていますし、まあこれはいいでしょう。

ナゾなのは、その左側にある「じゆんしびぁゐ」なる表記です。
じゆんしびぁゐ・・・。何を書きたかったのでしょうか。しばらく考えてみましたが、まったく見当が付きません。

暗号でしょうか? ご友人からの、何か重要なメッセージのような気もします。

食べてみたらなんか判るかも・・・と思い、頬張ってみましたが、いたって普通の、甘いキャンデーでした。

中国のご友人ビジネスの底深さを思い知らされます。

どなたか解読に成功された方がいたら、ご一報をお願いします。
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上海 - 懐かしい老上海の風情

2013-12-08 | その他
先週、上海を訪問したときの話です。

上海はとにかく近代的で便利な街になったな、という受け止めでした。新しいビルが続々と建設され、快適な生活をサポートする環境も着々と揃っています。外国人を見かける割合も高く、本当の国際都市だな、と思わせます。
特に、地下鉄網の整備ぶりは目を見張るものがありました。上海は市街区がかなり広いのですが、地下鉄を利用すればどこにでも行けそうです。
やはり、都市の規模が大連とはふた回りほど違う印象です。

一方で、まったく変わらない一角がありました。
旧上海城内(今の人民路と中華路に囲まれたエリア)の、昔ながらの中国人居住区です。地下鉄では老西門駅付近です。


(オールド上海です)

僕は上海に住んでいた時代、この付近の雰囲気がことのほか好きで、ときどき遊びに出かけていました。

この一帯は租界時代の中国人居住区で、今もほとんど当時のままの姿をとどめています。生活感たっぷりで、昔ながらの上海の姿です。

煌びやかで近代的な高層ビルも上海らしさですが、こうした下町の庶民の生活感も上海らしさです。


(ところ狭しと洗濯物が干してあります)

今回、6年ぶりにこの一帯を街歩きをして感じたのですが、街で見かけたのは高齢者ばかりでした。
ここで生まれた育った若者は、今や便利で快適な場所に出て行ってしまい、高齢化だけが取り残されてしまった・・・。そんな印象を受けました。

文廟近くにあった当時の行きつけの店に行ってみました。
「孔乙己酒家」といいます。
気のいい夫婦が経営しているカジュアルな紹興料理の店で、10種類以上の紹興酒をリーズナブルな価格で楽しませてくれます。今もやっているでしょうか・・・。
営業中でした。


(6年ぶりの訪問です。ちょっと小じゃれた感じにリフォームされていました)

店名の「孔乙己」とは、魯迅の小説に出てくる主人公です。
インテリ崩れで酒好きの孔乙己は、紹興の酒場で回香豆をつまみながら、財布と相談しながら紹興酒を注文します。
僕も孔乙己と同じ組み合わせで、のんびり紹興酒を楽しんでみました。


(これがその紹興酒と回香豆です)


(紹興酒の甕が並んでいます。地元の愛好者も量り売りを買いに来ます)

街の景色が急速に変わる上海にあって、この一帯だけは別の時計があって、ゆったりとした時が流れているようです。
ずっと変わってほしくない風景です。

やはり、ときどきは違う街に出かけてみるものですね。
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2013上海国際マラソン(記録)

2013-12-07 | その他
12月1日、2013上海国際マラソンに出場してきました。

その詳細をご報告します。

フルマラソンの挑戦は6回目、上海国際マラソンは6年ぶり2回目です。


(大会パンフレットです)

9月下旬に出場を決めてから2ヶ月あまり、準備期間としてはかなり短い方です。
春先に大連で生活を始めてから、野外での練習を積むことができず、練習量が不足しがちだったのですが、国慶節休暇中に集中して走り込み、その後も時間を見つけては足腰づくりをしてきました。

その結果、故障もなく、比較的順調に仕上がったと思います。11月上旬には30キロ走もやりました。
ジムのトレーニングマシンを使って膝や背筋、ふくらはぎの筋肉も鍛えました。
あえて心配事を挙げれば、練習不足とレース勘です。こればかりは、走ってみないとわかりません。

目標タイムは4時間としました。
僕の自己最高タイムは、2011年12月に出場した故郷宮崎でのレースで出した3時間43分30秒(ネット)なのですが、これはコースもレース環境も極めて良好、体調も練習量もバッチリ、という好条件で出た奇跡的な記録です。
今のコンディションはこの時には遙かに及びません。4時間とするのが妥当なところです。

レースには、上海時代の同僚だったY先輩(函館在住)も出場します。
Y先輩は、膝に不安を抱えながらも数多くのレースをこなす強者で、マラソンの楽しさも苦しさも知り抜いています。今回で4年連続の上海国際マラソンの挑戦だそうです。
Y先輩とはお互いランニングを趣味のひとつとしながら、いつもビールを痛飲するばかりで、まだ一緒に走ったことがありません。
いつか同じレースに出場したいと思っていました。
今回、ついに念願が叶いました。

Y先輩とは、レース後に互いにビールで稽古することを約束して、レースに臨みます。

●スタート

レースは朝7時のスタートです。
しかし、なんでこんなに早いのでしょう? 昼間に気温が上がる真夏ならわかりますが、12月です。
とはいえ、不満を言っても仕方ありません。出場者は、決められた条件に従うのみです。
4時に起きて早めの朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトし、始発の地下鉄に乗ってスタート地点である外灘に向かいます。

明け方の外灘は大変な人だかりです。気温は8度、晴れです。
しかし、空気が澱んでいるのか、黄浦江の向こうに見える上海のシンボル・東方明珠塔が霞んで見えます。
手元のスマホでPM2.5の濃度をチェックすると、138マイクログラムとありました。前日は空気も澄み渡っており、数値も2桁だったのですが、今日になって数値が上がったようです。

ちなみに、日本でのPM2.5の外出自粛勧告となる暫定基準値は70マイクログラムですので、この時点でほぼ2倍ということになります。いかにも中国らしいマラソン大会です。
レース後に知ったのですが、この日のマラソンは、「深刻な大気汚染の中で開催されたマラソン大会」として、日本でニュースになったそうです。


(スタート直前の様子です)

スタートまで20分になりました。
外灘の和平飯店前のスタートブロックに入ります。

大変な人だかりで、身動きが取れません。すし詰め状態です。
屈伸運動もできないし、シューズの紐を結び直すことすらできません。これは明らかにおかしいです。

なぜこんなことになっているのでしょう?
おそらく、選手たちが自分の指定されたブロックを守らず、前に前にと押し寄せてきているためではないかと思われます。
僕はフルマラソンのA・Bブロックだったのですが、ゼッケンをみるとCブロックの選手やハーフマラソンの選手がかなり混ざっています。

できればレース前にY先輩と会っておきたかったのですが、もはやそれどころではありません。
身動きできないのですから、無理もありません。
主催者側が出場者の動きをコントロールできていません。
でもまあ、これもご愛敬でしょう。よしとします。

気温8度の中をTシャツで待つので、本来はかなり冷え込むはずなのですが、満員電車状態になっているので、それほど寒さを感じません。
決して悪いことばかりでもありません。

7時です。外灘を一斉にスタートしました。

満員電車から押し出されるように、選手たちがぞろぞろと走り始めました。
僕がスタート地点を踏んだのは、1分10秒後でした。

5キロごとのペースの目安は、27分台と仮設定しました。
レース前に決めつけることは避け、体調やレースの流れをみて調整することにしました。仮に27分台で行けば、後半のペースダウンを加味しても3時間50分台後半でゴールできる計算です。

●懐かしい街

スタート地点付近にはたくさんの観衆とカメラの視線がランナーに集まります。

右側には、旧香港上海銀行や旧ラッセル商会ビルといった租界時代の美しい西洋高層建築が立ち並んでいます。
外灘を南下し、金陵東路を西に向かいます。
すぐに河南南路を北に折れると、ウェスティンホテルが見えてきました。蓮の花をイメージした気品のある屋上のオブジェが目を引きます。

沿道は早朝にもかかわらず、多くの観客で賑わっています。
ダンスのチームと思われる綺麗なユニフォームを着たおばちゃんたちが太鼓や鈴を鳴らしながらリズムよく、「加油! 加油!」と声を張り上げています。

南京東路に入ってきました。上海最大の繁華街である歩行者天国です。
左右から高層ビルが迫ってくるようです。ここから西側に向かう2キロほどは、6年前のレースと同じコースです。
というより、この2キロ以外は、6年前とまったく違うコースを辿ります。
街の変化の早い上海らしく、マラソンコースも年々変化をしているということでしょう。

上海大劇院、上海美術館、ポートマン・リッツカールトンホテルが過ぎていきます。どれも懐かしい建物です。

5キロを通過しました。時計を確認すると、28分57秒です。
やや時間が掛かりすぎのようにも思いますが、これだけ多くの選手の中を、人の壁を避けながら走るわけですから、やむをえません。
レースはまだまだ始まったばかりです。焦らずに進みます。
伊勢丹、久光百貨店、静安寺が見えてきました。どれもよく通いました。懐かしい姿で、優しく語りかけてくるようです。

南に進路を取り、華山路に入りました。
左手に英国租界時代の老房子を見ながら進みます。道を覆う街路樹のプラタナスの葉はまだ色づき始めたぐらいで、緑も多く残っています。おそらく、2週間以内には落葉が終わるでしょう。初冬の上海らしい風景です。

1.5キロほど走ると、准海西路に合流します。
ご存じ、上海のメインストリートです。30メートルほどある街路樹に囲まれた美しい広い道は、ランナー専用として全面開放されています。粋です。これまた懐かしい光景で、風景とプラタナスの葉の色のコントラストが上海風情を引き立てます。
よく考えられた、いいコースだと感じ入ります。


(コース地図です)

10キロ地点を迎えました。
この5キロ、26分09秒です。スピードが上がってきました。

11キロ過ぎで西蔵南路を右折し、南下します。
この一帯は旧上海城付近です。高層ビルの隙間からのぞく細い路地裏通りには、ところ狭しと洗濯物が干してある様子が目に入ってきます。
上海の生活感が伝わる風景です。とても微笑ましく、絵になります。

今の気温は10度ぐらいでしょうか。10月に大連に遊びに来てくれたb.stone先輩がプレゼントしてくれた半袖の機能性Tシャツを着ていますが、じわりと汗がにじんできます。快適なコンディションです。


(b.stone先輩がプレゼントしてくれたTシャツです。全力疾走を誓います)

西蔵南路を4キロほど直進し、黄浦江の手前を左折します。
ほどなく、眼前に巨大な南浦大橋が目に入ってきました。上海の浦西と浦東をつなぐ大動脈、美しいハープ橋です。上海で暮らしていた頃は何度も通った橋ですが、改めて間近で見るとかなり大きく見えます。橋脚の高さは50メートルぐらいはありそうです。
この上海国際マラソン、数年前まではこの橋を渡って川向こうの浦東を走るコースを辿っていたそうです。ということは、当時のランナーはこの50メートルの高低差を昇り降りしていたわけです。
一度走って渡ってみたいような気もしますが、おそろしくスタミナを奪われそうです。

橋脚を抜けて、川沿いの外馬路を北に向かいます。目の前にはPM2.5で霞むように東方明珠塔や金茂大厦など浦東陸家嘴地区の高層ビル群が目に入ってきます。

沿道の応援はやや少ないながらも、「加油、加油!」と暖かい応援を送ってくれます。
この手の応援部隊は、主催者から出演料を貰って応援をするおばちゃん軍団がいると聞いたことがありますが、必ずしもそれだけではないようです。本気で応援してくれている普通の市民もいるように思います。
決して自分を応援してくれているわけでもないのですが、力になります。

●マイペース

15キロ経過です。
この5キロ、26分21秒です。
快調です。走っていて、非常に楽しいです。今がランナーズハイのピークでしょう。
だからこそ、調子に乗ってはいけません。スピードを上げようと思えば上げられないこともありませんが、自分を戒めてマイペースで足を運びます。

この川沿いの外馬路は、往復ランナーが交差するコースで、先行している折り返しのランナーたちの姿を見ながら走ります。Y先輩がどこを走っているのか、僕より前なのか、後ろなのか、わかりません。このため、折り返しランナーの顔も見ながらの走りです。

18キロ手前で折り返しポイントがきました。
ここまでY先輩の姿は見かけていないので、どうやら僕より後方を走っているようです。
折り返しから1.5~2分が経過した頃でしょうか。向こうから走ってくるY先輩の姿が見えてきました。

「Y先輩、Y先輩!」

手を上げて名前を叫ぶと、すぐに気付いてくれたようで、「おう!」と手を返してくれました。
自分との差は3、4分程度とみました。ほとんど差はありません。

「Y先輩、自分に追いついてくれないものかな・・・」

と思いますが、そんなに思うようにはいきません。お互い、自分のペースというものがあります。マイペースを貫くのみです。
再び南浦大橋の足元を通りながら南に向かいます。

5キロごとに設置されている給水ポイントでは、すべての場所でスポーツドリンクを補給します。
紙コップに3分の1ぐらい入ったドリンクを一口で飲むと、すーっと体に吸収されていくようです。

20キロ地点が見えてきました。
ここまで1時間47分44秒、この5キロ、26分17秒です。
5キロのスプリットは想定より1分程度早いですが、それだけ調子がよいということでしょう。リズムに任せて走ります。

そろそろ距離的にはレースの半分、というところに差し掛かってきました。
右足のかかとに若干の違和感を感じ始めました。これが一時的なものなのか、やがて痛みに変わるのか、わかりません。

ここは鎮痛剤を飲んでおくタイミングでしょう。

ウエストポーチから錠剤を取り出します。
このウエストポーチ、東京を離任する前にビール稽古仲間のW嬢、S嬢、O嬢の3人娘がプレゼントしてくれたものです。


(ウエストポーチです。レースでは初めて利用しました)

錠剤を右手に納めて次の給水ポイントを待ちます。
レースの残りはあと2時間程度です。次に別のどこかが痛み始めても、ここで1錠飲んでおけば、最後まで効果が持続するはずです。

●万国博覧会と再開発

正面に盧浦大橋のアーチが霞んで見えてきました。
この辺り、黄浦江左岸は、2010年上海万国博覧会の会場となったエリアです。
今も多くのパビリオンが当時のままの姿で残っています。
自分が住んでいた当時、ここには何があったのか記憶していませんが、おそらく古い住宅街か工場があったのではないかと思います。
再開発が行われたためか、道路が素晴らしく整然と整備されています。路面も補修された跡やマンホールがなく、フラットです。
上海市街地の道といえば、狭くて街路樹に覆われて曲がりくねっている、というのが定番ですが、ここだけ見ると上海とは思えません。
実に走りやすいです。

3年前、この地に中国内外から数千万の見学客やVIPが集まり、世界最新技術の展示が行われたわけです。熱気で賑わう当時の様子を空想しながら走ります。

25キロ地点が近づいてきました。
少し、大腿に痺れを感じるようになってきました。
走りそのものには影響がありませんが、この痺れは消えることはないでしょう。
毎回、これぐらいのタイミングで痺れが出てくるものです。上手くごまかしながら乗り切るしかありません。

●応援

盧浦大橋を過ぎました。引き続き川上に向かいます。

25キロを通過です。
この5キロ、26分31秒です。ペースは維持できています。
ポケットからY先輩に貰ったペース早見表を取り出し、予想ゴールタイムを確認します。


(Y先輩特製の早見表。優れモノです)

このペースで走り続けると、ゴールは3時間45~50分ぐらいです。
レースは残り約1時間半・・・。
現在の疲労度や体調、この後のペースダウンを計算に入れて、レース後半の作戦を考えます。

すると突然、「○○さーん!」と、沿道から日本語で僕を呼ぶ声が聞こえました。
慌てて声の方向に目を転じると、上海在住の知人、ZHとZYが大きく手を振っています。

応援に来てくれたようです。これは驚きました。

「うわ、応援に来てくれたの? これはありがとう!」

「がんばってー!」

これは図らずも、心強い応援を貰いました。
時間はまだ午前9時30分前です。彼女たちは早起きして、地下鉄に乗ってここまで応援に来てくれたのです。
力になります。ありがたいことです。
手を振って別れを告げ、ゴールを目指します。

宛平路に入りました。
ここはたしか、上海に住んでいた時代にクルマの整備のために来たことがある場所ですが、当時よりかなり街が整備されている印象です。ここも再開発が行われたのかもしれません。

再び黄浦江沿いの道に出てきました。
龍騰大道を川下である南側に向かいます。この道も最近整備されたらしく、道幅が広く、走りやすくなっています。
直線4キロを往復します。
対向車線からは、折り返しのランナーが走ってきます。彼らは、僕より約8キロ前方を走っていることになります。サブスリーに挑戦しているランナーでしょう。
それもそのはずで、サブフォーを目指して走っている自分たちの集団に比べると、足取りが軽快です。

朝食をとってから5時間が経過しています。
少しだけ、空腹感を感じてきました。
このレースでは、エードステーションがありません。食料は、自分で調達する必要があります。
ウエストポーチ入れておいた小さめのスニッカーズを取り出し、かじりながら走ります。
レース中の栄養補給は、この1本で十分です。

29キロ地点に来ました。
コースの延長線上に、大きな橋が見えてきました。
どうやら、この橋を越えなければならないようです。高低差15メートルほどでしょうか。気が重くなります。
息を整えて、腕を強く振って、歩幅を狭くして登ります。心拍数が上がります。やはり、坂道はスタミナを奪われます。
上海は平坦な街なので、この橋がレース唯一の登りかもしれません。唯一といっても、後から折り返してここに戻ってくるわけですから、2度、登り降りをすることになります。
意識としては、この辺りをレースの中間点と考えるようにしました。

●自分自身と向き合う

30キロ地点を通過です。
この5キロ、26分48秒です。これで5回連続26分台です。順調です。
鎮痛剤が効いてきたのか、かかとの違和感は消えました。大腿の痺れは相変わらずです。
このままアクシデントがなければ、目標の4時間は十分クリアできそうです。

僕は普段から、練習での走り込みは最高30キロまでと決めています。
それ以上は走りません。そこから先はレースのみです。経験から生まれた、故障をしないための工夫です。

さて、残り12キロになりました。
ここからです。ここからがマラソンです。ここからゴールまでの1時間あまりが、自分自身と向き合う時間です。

周囲には、足を止めたりストレッチをするランナーが目立つようになってきました。
僕も右のふくらはぎに軽い張りを感じます。このスピードで30キロ走り続けてきたわけですから、当たり前です。
31キロ過ぎ、龍騰大道を折り返します。今度は黄浦江沿いを南下します。ここから約4キロの直線が続きます。
やや逆風が吹いています。風向きが変わることを祈りながら、うつむき気味に走ります。

トイレに立ち寄りたい気もしますが、そうすると少なくとも1分のロスがありますし、トイレのために立ち止まることによって、脚の筋肉が硬直しそうで怖いような気もします。
今のペースを維持できれば、レースはあと1時間ほどで終わります。トイレは最後まで我慢することにしました。

それにしても、この道、住宅地から離れているせいか、沿道の応援がかなり少ない場所です。
心が少しずつ弱りかけている今こそ、応援が欲しいところです。

時間は午前10時前です。さらに気温が上がってきたようです。額から落ちてくる汗が目に入ってきます。
32.5キロ地点に設置されていた水を含んだスポンジを手に取り、汗を拭き取ります。
冷たくて気持ちがいいです。

35キロ地点が見えてきました。
この5キロ、27分18秒です。少しペースが落ちていますが、許容範囲内です。むしろ、この程度のペースダウンで済んでいるのなら上出来です。

残り7キロになりました。最後の折り返し地点を迎えます。
ここからは北西側にある上海体育場を目指します。

脚の痺れが大きくなってきました。走るフォームが乱れてきました。道路をつま先で蹴り上げる力が出ないため、足の裏全体で着地して足の裏全体で蹴るような、ロボットのような走りになっています。体の軸が左右にぶれているのがわかりますが、もはや修正が利きません。
このまま走り続けるしかありません。

●だます

苦しいです。
ほかのランナーに抜かれることはほとんどありませんが、とにかく苦しいです。残り7キロ、まだまだ長い道のりです。

どうすれば乗り切れるでしょうか。
・・・こう考えることにしました。

「このレースは僕のために用意されている。僕が走るために、これだけ大勢の警察官やボランティアが動員されて、クルマが入ってこないように厳しい交通規制をして、ご丁寧にスポーツドリンクまで用意してくれて、応援までしてくれている。こんな素晴らしいお膳立てをして僕を楽しませようとしてくれている。実にありがたいことじゃないか。この楽しさも、あと40分で終わってしまうのだ。残り40分、精一杯楽しまなければもったいないじゃないか。な、そうだろ・・・?」

自分だましです。今の状態を「楽しい」と思い込ませます。発想を変えないと、およそこの先の苦しさは乗り切れそうにありません。

36キロになりました。対向車線側からY先輩が走ってくる姿が目に入ってきました。
手を振って、

「Y先輩、Y先輩! もう少し! がんばりましょう!」

と叫びます。
先輩は、「おうっ!」と手を上げて応じてくれました。

言葉は少ないですが、ともに戦っているお互いを確認し、励まし合います。
考えてみると、僕は今回のマラソンが6回目ですが、知人と一緒に出場したのはこれが初めてです。同じ時間に同じコースを走る・・・。
やはり、特別なものを感じます。
先輩もがんばっています。僕も走り抜かなければなりません。

とはいえ、やはり苦しいです。ふくらはぎの張りも強くなり、痙攣を起こしそうです。
37キロ表示が見えました。1キロごとに設置されているキロ表示が待ち遠しくて仕方ありません。
「まだか? まだか? 1キロってこんなに長かったっけ?」
そう感じます。

残り5キロです。弱気の虫が顔を出してきます。

「少しだけ歩いてみるか・・・。貯金もあるし、少しぐらい歩いても4時間内はいけるだろ・・・。んん、でも歩くのはカッコわるいよなぁ・・・」

もう1人の自分が制止します。

「あとたった5キロじゃないか! 30分だぞ! 普段、鼻歌でも歌いながら平気で走ってる距離じゃないか!」

「いや、でも、もういいだろ・・・。脚も痛いし、歩いても言い訳ができる理由は十分揃っているじゃないか・・・」

「42キロのうち、37キロ走ったんだぞ! もう9割は終わったんだぞ! あとたった1割だけなんだぞ! おまえ、なんのためにわざわざ大連から飛行機に乗ってきたんだ!」

すさまじく葛藤します。

39キロです。龍華路に入りました。
上海最古の禅宗寺院・龍華寺の塔が見えてきました。
塔がずいぶん大きく、立派に見えます。最近、修復したのかもしれません。
しかし、今はそんなことはどうでもいいことです。早く終わりたい、その一念です。

ますます脚が重くなってきました。歩幅が伸びません。意識して腕を振りますが、なかなか続きません。沿道の応援も多くなってきました。
多くのカメラもこっちを向いています。しかし、もはや笑えません。
汗が容赦なく両目に入ってきて、痛みます。鬱陶しいです。必死で拭います。

●出し切る

ついに40キロを通過です。
この5キロ、27分49秒です。トータルで3時間36分ちょっとです。
思ったほどペースは落ちていません。このまま行けば、自己ベストは無理だとしても、3時間40分台は確保できそうです。
予想外の出来映えです。自分、なかなかやるものです。

最後の2キロ、あと12分の辛抱です。もう一度ギアチェンジをして加速できないものでしょうか。
しかし、脚は言うことを聞いてくれません。力が入らず、惰性で回転させているだけの状態です。どこかに力が残っていないものでしょうか。体中の余力を脚に集中させるよう、イメージします。

「・・・もう、ゴールしたら腕が筋肉痛になっても構わん。腹痛が起きてもいい。歯痛でも頭痛でも受け入れる。とにかく今、この脚に力を・・・」

歯を食いしばって腕を振り、自分を鼓舞します。
目の前には上海体育場や周辺の高層ホテルの姿が見えてきました。あれがゴールです。あとはあそこに飛び込むだけです。

柔軟性のないドタドタ走りになっているので、脚が着地するたびに体全体に衝撃が伝わってきます。かなり不格好な走りになっているはずです。顔もひどいことになっています。
こんな姿、人様には見せられません。

苦しいです。でも、苦しいのは僕だけではありません。みんな苦しいはずです。
目の前にいる体格のいい兄ちゃんも、横を走っている背の高い西洋人も、向こうに見える鉢巻きのおじさんも、みんな苦しいのです。

体育場が大きく見えてきました。残り1キロです。目の前のランナーをひとりひとり抜き、ゴールを目指します。

「早く終わりたい・・・。もうやめたい・・・。ああ、もう・・・」

龍華東路から体育場の敷地内に入ってきました。大変な人だかりです。大勢がランナーに声援を送っています。いたるところから「加油! 加油!」の掛け声が聞こえてきます。

最後の力を振り絞ります。
自分の口から、勝手に「はあっ、はあっ」と大きな息が漏れてきます。

「力を出し切れ・・・。全部出し切れ・・・。お釣りを残すな・・・」

自分に言い聞かせます。
ゴールのゲートが目に入ってきました。待ちに待った、愛しかったゴールです。
ゴールに設置された計時表示は3時間47分台を示しています。
もうすぐです。もう一度強く腕を振って加速しました。

両手を握りしめ、空を仰ぐようにゴールに飛び込みました。

【2013上海国際マラソン】 2013/12/01 晴れ 8度

距離  通過時間 スプリット

05km 0:28:57
10km 0:55:06 (0:26:09)
15km 1:21:27 (0:26:21)
20km 1:47:44 (0:26:17)
25km 2:14:15 (0:26:31)
30km 2:41:03 (0:26:48)
35km 3:08:21 (0:27:18)
40km 3:36:10 (0:27:49)
Goal 3:48:15 (0:12:05)
Net 3:47:05

ゴール後、人垣を離れた場所でへたり込んでしまいました。汗が大量に落ちてきます。
Y先輩のことが気になります。
立ち上がって、ゴールを目指すY先輩の応援に行きたいのですが、体が動きません。
15分ほどして、ようやく立ち上がって水を受け取りました。
500ミリリットルのペットボトルを一気に飲みきりました。体に染み入っていくようです。

記録は3時間48分15秒(ネット:3時間47分05秒)でした。
過去2番目の、望外の好記録です。大満足です。
レース後にスマホで大気の状況を調べてみたところ、268を指していました。驚愕の「重度汚染」カテゴリです。
準備期間が短く、この空気の中です。我ながら、よくやったと思います。

その後、ゴール地点の隣のホテルに宿泊していたY先輩にシャワーを借りて、打ち上げの稽古に繰り出しました。
やはり、マラソンはいいものです。
またひとつ、いい思い出ができました。


(大会記念Tシャツです)
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2013上海国際マラソン(とりあえず報告)

2013-12-02 | その他
上海国際マラソンに出場してきました。

通算6回目、2年ぶりのフルマラソン挑戦です。上海で走るのは、2007年以来です。

なんとか走り切りました。
久しぶりに訪れた上海は、当時よりさらに高層ビルの数が増え、より洗練された街になっていました。それでも、僕には懐かしい街でした。
函館のY先輩とともに、仲間の声援を貰いながら、ふるさとに帰ってきたような気分でレースを楽しむことができました。

詳しくは改めて報告しますが、とりあえず、完走の報告です。


(完走のメダルです)


(旧フランス租界。上海らしい街角です)


(よく通った路です)
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「北海の密豆」

2013-09-17 | その他
今日、「北海の密豆」という商品を見つけました。
・・・どんな商品をイメージしますか?


(パンです)

スーパーで朝食用のパンを選んでいたときに見かけた商品です。新商品のようです。
大きめのコッペパンに、大粒の豆が練り込まれています。
商品名は日本語風に表記されていますが、日本人客目当てに開発された商品ではないと思います。裏面もみても、日本語は商品名にある「の」1文字だけです。
気になります。ひとつ買ってみました。

この商品名の意図について、自分なりに分析してみました。

「北海」とは北海道を想起しているのだと思います。
英国とスカンジナビア半島に挟まれた海域も「北海」と呼びますが、それではないでしょう。
北海道は中国人に最も人気のある日本の観光地ですし、美味しいものが食べられるイメージのよい場所として知られています。
本当は、ズバリ「北海道」と書いてしまいたいところですが、北海道産のパンではないし、北海道産の材料も使っていないので、さすがにそれはインチキだろうと。そこで、「道」を省略して「北海」にしてみた、というところでしょうか。

「密豆」は、砂糖で煮詰めた甘い豆をイメージした造語でしょうか。

「の」は、オシャレ感の演出だと思います。
中国ではよく、「●●の■■」という商品を見かけます。
「の」の文字があると、それだけでオシャレ感が出るようです。

例えば、こんなのもあります。


(「豆の初乳」・・・。豆乳の一番搾りみたいなものですかね)

さて、「北海の密豆」、どんな味でしょう? 北海道気分になれるでしょうか。
明日の朝が楽しみです。
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甲子園 - 故郷勢の活躍に興奮

2013-08-23 | その他
夏の甲子園が終わりましたね。

僕の故郷である宮崎代表の延岡学園が準優勝という快挙をみせてくれました。

自分の母校ではありませんが、延岡学園の快進撃は、夢か幻でも見ているような気分でした。
何かの間違いではないかと思い、何度もネットのニュースを見直したりしました。

というのも、宮崎勢は例年、初戦敗退が当たり前、勝っても初戦のみ、2回勝てば大健闘、というレベルでした。
九州で優勝経験のない唯一の県で、過去の最高成績は1965年のベスト4です。
僕が生まれる前の話です。

ジャイアンツをはじめプロ野球のキャンプも行われているように、野球はそこそこ盛んなのですが、甲子園の常連校が存在せず、優勝候補になるような代表校がなかなか出てきません。
毎年のように代表校が変わるような群雄割拠の状態であるのも理由のひとつかもしれません。

今年も決して有力校には数えられていなかったはずです。
大連では中継を観ることができないため、映像でナインの戦いぶりを知ることはできませんが、連日、ネット上に踊る速報記事に胸が熱くなりました。

監督を中心にチームがまとまり、選手それぞれのコンディションも最高の状態でのびのびとプレーできたのでしょう。
心から誇りに思います。選手には喝采を送ります。

僕は幼少のころから野球が好きで、子どもの頃の夢は月並みですがプロ野球選手、甲子園出場でした。
しかし、事情があって野球を習うことができず、小学校から高校まで、不本意ながら水泳一筋でした。
夏休みは水泳の練習時間以外は、高校野球中継にクギ付けです。
野球部で甲子園を目指す友人たちが羨ましく、眩しく映ったものです。

ただ、いかんせん、宮崎代表はいつも弱かったのです。
僕の母校も弱かったのです。

いつ頃からか、

「いつか自分が生きているうちに宮崎勢が決勝に進む日がくるだろうか・・・」

「いつか自分が生きているうちに母校が甲子園に出場する日がくるだろうか・・・」

と思うようになりました。
今年は、そのうちひとつが実現しました。

ところで、甲子園といえば、大連からも代表校が参加していた時代があります。

大正10年(1921年=第7回大会)から昭和9年(1934年=第20回大会)までの間、大連勢は「満州代表」として大連商業と南満州工業学校が計13回出場したという記録があります。
なかでも、大正15年に出場した大連商業は、準優勝という快挙を果たしています。

この辺りの話は、また改めてご紹介しようと思います。


(近所の路上で売られていた洋なしです。これも大連の名物です)
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トラッキー? - これもご友人?

2013-07-06 | その他
昨日ご紹介したアンパンマンのご友人と同じレールの上を走っていた「ご友人」です。
誰のご友人か、ちょっと判別が難しいですね。


(細かい部分に注目してください)

虎のようです。帽子をかぶっていますね。
しばし見つめながら、

「うーん、誰だろ・・・」

と考えていたら、NNくんが言いました。

「トラッキーじゃないっすか?」

トラッキーとは、阪神タイガースのマスコットキャラクターです。
甲子園球場でバク転を連発する、彼です。
しかし、はたして友好関係があるでしょうか・・・。
まあ、虎は虎ですが、顔つきがだいぶ違うように思います。帽子の色も違います。

もう一度写真を見てください。
額に「王」の文字が刻まれています。この文字は何を指すのでしょうか? ホームラン王でしょうか?
青い帽子も気になります。


(アディダス製のようです。マジックペンで書かれたようです)

ちょっと彼がトラッキーのご友人という確信がありません。
指名手配させていただきます。

どなたか、「彼は○○のご友人だ!」というご意見をお持ちの方、情報をお願いします。
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アンパンマン?

2013-07-04 | その他
先週末、遊びに来てくれたNNくんと大連市開発区駅付近で見かけた「ご友人」です。

子どもを乗せて直径5メートルほどのレールの上をぐるぐる回る遊具のひとつです。


(おなじみです)

いかがですか?
ちびっこのヒーロー・アンパンマンのご友人ですね。

しかし、どうなんでしょう。
このご友人、顔色は真っ白、鼻もほっぺも緑色で統一されてしまっています。顔色が悪すぎです。カゼでもひいたんでしょうか? 心配です。
こんな状態でばいきんまんと戦えるんでしょうか? ジャムおじさんも気が気ではありません。

目もどうでしょう。
本家アンパンマンは黒目しかありませんが、ご友人はちゃんと白目があるようです。ちょっとリアルな感じがしますね。

想像ですが、このご友人、作製された当初は、かなり本家に近い姿だったのではないかと思います。それが時間を経て、風雨にさらされて劣化したのでしょう。
そして、おめかしを迫られたのだと思います。
そのとき、おめかしを担当した技術者が、アンパンマンの本来の姿を知らなかったのだと思います。ご友人として、あるべき姿が分からないまま、テキトーに配色されてしまったのではなないかと思います。
それが、悲劇につながってしまったのでしょう。

アンパンマンのご友人、お姿からは相当のベテランであることがうかがえます。数万人の子どもを乗せて楽しませてきたことでしょう。
せめて最後は、あるべき姿に戻って安らかに休んでほしいと願います。
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ストラップ(3)

2013-06-06 | その他
先日買ったストラップの続きです。3人目をご紹介します。
この方です。


(オラだぞ~)

そう、クレヨンしんちゃんのご友人ですね。中国でも人気者です。
それにしても、このしんちゃんのご友人、デフォルメが利きすぎです。
元々しんちゃんは下膨れの顔立ちですが、ご友人は、いくらなんでも下膨れが過ぎるというものです。


(角度を変えて撮影してみました)

いかがでしょう?
もう、極度の下膨れのため、目の位置が上に押し出され、つむじのあたりまで後退しています。これでは前が見えません。ほぼ真上を向いているので、日中はさぞや眩しいでしょう。しんちゃんのご友人、これではちょっと気の毒です。

念のため、店主のおばちゃんに聞いてみました。

「ねえ、これって誰だっけ?」
「ん? これか・・・。赤ん坊だよ! 男のな! あんた、買うのか?」
「そうか、赤ん坊か。そうだね。で、この赤ん坊、名前はないの?」
「ないよ!」
「うん、わかった。買うから」

おばちゃんは、彼がしんちゃんのご友人との認識はないようです。
興味がないだけかもしれませんし、何か約束があるのかもしれませんね。

いずれにしても、いい買い物ができました。
次なる「ご友人」を求めて、街歩きを続けたいと思います。
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