仏教はインドから中国を経て日本に伝わって来たものである、ということを誰もが学ぶ。そして日本に
おいてはインドの言葉ではなく、中国で解釈された言葉をそのまま使っているということ。つまりイン
ドから中国に伝わった時に中国の背景が強く出されていて、元々の意味がズイブン違っているかもしれ
ない事は昔から言われていた。例えば本文中にあるのがインド原語の仏教文献で「母父」という順番の
表記で、これが中国では儒教の影響で「父母」という訳がされているという。
一番心に響いたのが、釈尊の中道の生活が教育の目的だという言葉で、欲を貪り執着することはいけな
いとしながら、体を痛めつけるような苦行もいけないとしていること。釈尊はあらゆる欲を完全に否定
していない。そして自ら古代インドの修行者が行った苦行を6年間実践し、それが永遠の安らぎを得る
方法ではないと悟る。肉体が衰えれば精神も鈍ってしまうという結論に至る。
さらに出家と在家に対する考え方で、中国や日本では出家というと山奥深く分け入り世間との交流を絶
ち修行をするイメージがあるが、釈尊のいう出家は世間と交流し托鉢し修行を続けることで、ここでも
修行の違いが浮き彫りにされる。今や仏教家と世間の人々との距離は余りにもありすぎ、それが仏教を
世間から遠ざける一因になっている。
宗教は人生に必要だとずっと思っている。無宗教と言われる日本に暮らしている私たちも宗教を身近に
感じることはある。それでも宗教には近寄りがたいものを常に感じている。これはまだ宗教の知識が乏
しいことにもあると思う。知ることでより安寧を得ることが出来る。
仏陀のいいたかったこと 田上太秀 講談社学術文庫
おいてはインドの言葉ではなく、中国で解釈された言葉をそのまま使っているということ。つまりイン
ドから中国に伝わった時に中国の背景が強く出されていて、元々の意味がズイブン違っているかもしれ
ない事は昔から言われていた。例えば本文中にあるのがインド原語の仏教文献で「母父」という順番の
表記で、これが中国では儒教の影響で「父母」という訳がされているという。
一番心に響いたのが、釈尊の中道の生活が教育の目的だという言葉で、欲を貪り執着することはいけな
いとしながら、体を痛めつけるような苦行もいけないとしていること。釈尊はあらゆる欲を完全に否定
していない。そして自ら古代インドの修行者が行った苦行を6年間実践し、それが永遠の安らぎを得る
方法ではないと悟る。肉体が衰えれば精神も鈍ってしまうという結論に至る。
さらに出家と在家に対する考え方で、中国や日本では出家というと山奥深く分け入り世間との交流を絶
ち修行をするイメージがあるが、釈尊のいう出家は世間と交流し托鉢し修行を続けることで、ここでも
修行の違いが浮き彫りにされる。今や仏教家と世間の人々との距離は余りにもありすぎ、それが仏教を
世間から遠ざける一因になっている。
宗教は人生に必要だとずっと思っている。無宗教と言われる日本に暮らしている私たちも宗教を身近に
感じることはある。それでも宗教には近寄りがたいものを常に感じている。これはまだ宗教の知識が乏
しいことにもあると思う。知ることでより安寧を得ることが出来る。
仏陀のいいたかったこと 田上太秀 講談社学術文庫
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