江戸幕府の瓦解により、三人に二人は江戸を去り、東京府の人口は60万ほどに減った(江戸は当時
世界一の100万を誇った)という。元佐賀藩士大木喬任は府知事になり、処置に困った旧大名及幕
府旗本の邸宅(損壊が激しい)へ桑茶を植え付けて殖産興業の道を開こうとさえ思ったようだ。しか
し、首都としての体面を繕うために、考案されたのが銀座煉瓦街計画(これは度重なる大火に対応す
るものでもあり、道路の拡幅も含まれる)。東京府と大蔵省との対立もあり難行するが、地区整理、
道路拡幅、歩道設置、街灯整備という実績を上げる。事業としては失敗と評されることもあるが、筆
者は後の銀座の隆盛(日本橋の衰退)も見るべきと言う。
江戸から東京に変貌するための都市計画には、様々な有力者、識者が、それぞれの思いを胸に意見表
明をする。例えば山崎直胤(内務大書記官)はパリを参考に、道路、公園、市場、官庁街、劇場、ホ
テル、モニュメントの必要性を提言している。この案に対し、新札でお馴染みの渋沢栄一は東京商工
会を率い、商都化を推し進めるように求める。
現在の東京の基礎はこの時代に造られた。自己の目の前の利益をあえて求めず、将来を見据えた計画
を考え抜き、実践に移す先人たちは誇らしい。豊富な史料、図版を掲載し立体的に東京改造計画が解
説され、さらに内務省系と外務省系の暗闘と確執も描かれており、非常に興味深く面白い。
明治の東京計画 藤森昭信 岩波書店