【じごく耳】基本的人権は~現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

『双葉町の井戸川町長「辞意の真意」を語る』 ☆真実を発信する町長の言葉☆

2013年01月25日 | ☆ツブヤキ・つぶやき☆

 福島県双葉町の井戸川克隆町長は、一昨日1月23日に辞意を表明した。定数8人の町議選は、これで前職8人が無投票当

選する見込みだったが、本日、元職が立候補して9名となった。(投開票は2月3日)井戸川町長と対立していた前職全員は、

原発災害への対応で、福島県と政府の意向に沿っている。原子力ムラの似非広報に再び騙されない為には、真実を見極める

努力が民の側にも必要だろう。

*辞意を決めた井戸川町長が「辞意の真意」を語っておられるので、文字に残します。(以下、動画より)

Q「何時、辞職しようと思ったのですか?」

井戸川氏「だいぶ早いです。町長を拝命するという事は、町民の総意の中で穢してはいけないとの思いで、今までやってきまし

た。ずっと、その思いは通しました。

しかし、その思いと今回の事故の中で、どうしても妥協できないのは、今の『避難基準』す。

それを議会に強引に、いわきに役場機能の移転を決めました。あの時から気持ちは、芽生えてきましたね。

やはり、今の被曝基準は、おかしい。20ミリシーベルトというのは、おかしい。日本では、1ミリシーベルトというのが最高裁の判

例の中でさえ謳われているのに、何故、20ミリシーベルトなのか?議会とのギャップは、そこから始まったのです。給料の削減

案も2度も否決してきました。その辺からですね。方向性がどうも違う方向へ向いてきたという危険がありました。

 昨日、出したという事は、私は、自分の持論は正しいと思ってますから、福島県に戻る事は出来ません。

したがって、町長は辞して“戻れない”という事をずっと続けていきたいと思っています。(町民を)戻すのも私の手で戻したくな

いと思っています。責任、持てませんから。25年後の双葉町の姿を見た時に、私は、責任持てません。

まだまだ、もっと多くの町民を県外に今は、出すべきだと思っています。

Q「会議に欠席した理由は?」

井戸川氏「私は、身体張って『中間貯蔵施設の勧め方』を止めたかったのです。どんな事をしても。

何故、あの会議に欠席したかというのは、本来であれば双葉郡の約束事は、町村会と知事と国とで、8+1+1の会議で検討し

ようという事で始まったのです。

ところが、(昨年)11月28日の会合では、突如として知事名で各町村長宛に出した会議だったんです。ですから、ボタンの

掛け違いも甚だしい、とんでもない事をやっているのです。

本来ならば、町村会という事で私の所へ入ってきて、私が会員である各町村長に出欠の伺いをする。そして、その後に報告を

して会議を開くというのが本来の姿なのです。

それを破ったのは、県知事です。県知事が一方的に相談も無しに集めてしまったのです。そんな会議ってありますか?あれ

は、無謀な会議ですね。

そこで、多数決で決めてしまって、もうそろそろ時間だから知事に一任して頂きたいという事で、あの会議はまとめています、会

議録を見ますと。あってはならない会議です。私は、そういうのを察知したから、出席出来ないと“筋が違いますからね” これを

県側に前日、しっかりと届けてあります。

詳しく説明しなかったのは、私の責任かもしれません。が、町長として、すべて町民に説明出来る事ばかりではないのです。

色々プロセスの中で。未だ結論の出ていない部分に付いては、しゃべれるものではなかったです。

しかし、町民にも誰にも断りもなく、私が出て行って“賛成とか反対とか”言えないです。これは、私に与えられた権限には入っ

ていないのです、中間貯蔵施設のことは。新しい事ですから。

であれば、広く町民と議論してこの問題は、やっていかないと。長に与えられた権限ではないのですから。それを私は、主張し

ているのです。

後で県に確認しました。“双葉町の分まで決めたのですか”(県側) “いや、それは決められません”と。(県側)“それは、町で

やる事で県の立場として話をしただけです。”という事です。

けれども、新聞等、環境省の扱いでは、“県知事の了解があるから~”と言っていますが、これは今後、私達はしっかりと立証し

ていきたいと思っています。民主主義の根幹を揺るがす大きな問題ですから。大事件です。

小さく扱われていますが、事件としては。地方自治法に基づいた手法じゃない方法で、あの場で決めた事は、あってはならない

こと。暴挙ですね。

身体を張って止めた事は、個人的に私にとって最大の仕事だったのかと。

そして、受け入れるか受け入れないかは、今後、新しい町長の下で町民の総意の下で決めればいいなと思っています。

と、云う思いで昨日、『双葉町よ永遠に』の中にも、私の気持ちを織り込んであります。

Q「もう一回、選挙で戦うという選択肢もあったかと思うのですけれど、その選択肢を選ばなかったというのは、どういう事なんでしょうか?」

井戸川氏「この問題は、非常に大きいのです。双葉町だけの問題じゃなくて、福島県、日本の問題なんですよ。双葉町の首長

をやっていると、それは、限られたところしか活動ができません。やはり、悩んでいる方も福島県内にいっぱいおられるのです

ね。その方達と今後連携を図って、どうすればよいのかが出てくると思うのです。

県内あちこちで、不満に思われている方もいっぱいいますから。そういう方達と連携を図って。

この事故は、このままで終わりではないと思うのです。終わらせてはいけない、大きな犯罪ですから。

これから、今後どうやって立証して立件していくかを汗を流さないといけないと思います。

【ホールボディカウンターの贈呈式】の様子。(拍手に大変違和感を覚えた次第です・・・ブログ主)

Q「1ミリシーベルトの基準の遵守と避難の権利をご自身の中でも決断に影響しているのかなと思うのですけれども」

井戸川氏「とにかく、私自身も多くの町民も300人~400人位、職員も大なり小なり被曝しました。双葉町が全国一の(放射線量

の)濃い地域もあります。上羽鳥地区の1590μ㏜/h。これは、爆発前にもうすでに観測されていたのです。

その地域には、妊婦も子供もおりました。そういう事を考えた時に、やはり今の基準はおかしい。20ミリシーベルトというのは、お

かしい。放射能に晒されるというのは、“虐待”ですよね。それでも、平気で置かれている。マスクをしてガラスバッチを付けて、

学校に通わされる、あの姿を見た時に。とんでもない異常な状態ですよ。異常な状態に置く為に、ああいう形で納得させるなん

て、有り得ないことです。

そういう危機感からジュネーブに行って訴えたのです。

Q「自分の責任は、どうなのか。佐藤県知事がプルサーマルを推進していた時に井戸川さんも推進していたのではないか」

井戸川氏「“町長、心配しなくていいです。絶対、事故は起きません。”とずっと言い続けてきたのが東電と原子力安全保安院

ですね。その言葉を信じてきた事は、理解できなかったのかと思いますが。

こういう事故が起きて初めて、(分かった)月の正面だけを巧みに見せられ、何処の場所にいても正面だけを見せてきた、こちら

(裏)を見せてこなかった。今回、こちら(裏)を見て、初めて実態が分かりました。

私は、自分の責任がどうあるのか自分なりに整理していきたいと思います。そして、同時に国・県・東電の責任も整理していきた

いと。

そして、皆さんに知って頂きたい、真実を。

全く、あの時の政府は、人の道から外れています。人の心を持っている人達じゃありませんでしたね、彼らは。

そういう事も含めて、責任を果たすという意味では、色々と今後、終わった訳じゃなくて、更に突っ込んでいかなければならない

と。」

☆下記が動画です。双葉町の井戸川町長「辞意の真意」を語る

http://www.youtube.com/watch?v=6UwCsjSty8w 

 

☆【双葉町は永遠に】

http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20130123.html/ 


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