とは、「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」とのこと。
自分の後援会報などには、以前は「趣味:読書、スポーツ観戦」と書くことが多かったのですが、最近は「読書」が無くなって、「趣味:スポーツ観戦」としています。
これは、別に読書をしなくなったということではなく、それまでよりも読書の時間が増えて、しかも、それが毎日になったため、”趣味”というよりは、”生活の一部”のような感覚になったからかもしれません。
(毎朝、新聞を読むのと同じようなことでしょうか…)
その読書も、「いつも新しい本を買って…」ということばかりではなく、以前読んだ本を引っ張り出してきて読むことも、なぜか最近は多くなっています。
ちなみに今日現在読んでいるのは、
○日本経済の不都合な真実(辛坊治郎、辛坊正記)
○竜馬がゆく(司馬遼太郎)
○坂の上の雲(司馬遼太郎)
○父は信長(新井政美)
○超訳 ニーチェの言葉(フリードリヒ・ニーチェ)
(?? 政治関連の本がありませんでした…)
そこに加えて、雑誌のプレジデントと歴史街道。手の空いた時には、赤川次郎と美味しんぼ。
(美味しんぼは、また1巻から始まって、ようやく55巻まで来ました。まだ、先は長い道のりです…)
これらを、それぞれ一気に読むということはなく、毎日少しずつ、一冊を一週間から10日程かけて読むのが、私には合っているようです。
一方の「スポーツ観戦」には、しばらく行けていません。
「今年こそは!」と思い、今月、プロ野球観戦を計画していましたが、応援しているチームが低迷しているので、見に行く気が失せました。
(次は、大相撲を計画したいと思っています。)
あとは、旅行、城巡り、ウォーキング、ウェイトトレーニング、ガーデニング…
(ウォーキングは、ほぼ毎日ですが、あとは、なかなかできません…)
最近は、ゴルフのお誘いも増えていますが、どうしても気持ちが乗りません。
(来年あたり、考えてみます…)
ということは、一番続いているのは、おいしいお酒を飲むこと…
(これは、20年近いキャリアがあります。)
でも、これも、どちらかといえば、”趣味”というよりは、”生活の一部”という方が、正しいかもしれません…
自分の後援会報などには、以前は「趣味:読書、スポーツ観戦」と書くことが多かったのですが、最近は「読書」が無くなって、「趣味:スポーツ観戦」としています。
これは、別に読書をしなくなったということではなく、それまでよりも読書の時間が増えて、しかも、それが毎日になったため、”趣味”というよりは、”生活の一部”のような感覚になったからかもしれません。
(毎朝、新聞を読むのと同じようなことでしょうか…)
その読書も、「いつも新しい本を買って…」ということばかりではなく、以前読んだ本を引っ張り出してきて読むことも、なぜか最近は多くなっています。
ちなみに今日現在読んでいるのは、
○日本経済の不都合な真実(辛坊治郎、辛坊正記)
○竜馬がゆく(司馬遼太郎)
○坂の上の雲(司馬遼太郎)
○父は信長(新井政美)
○超訳 ニーチェの言葉(フリードリヒ・ニーチェ)
(?? 政治関連の本がありませんでした…)
そこに加えて、雑誌のプレジデントと歴史街道。手の空いた時には、赤川次郎と美味しんぼ。
(美味しんぼは、また1巻から始まって、ようやく55巻まで来ました。まだ、先は長い道のりです…)
これらを、それぞれ一気に読むということはなく、毎日少しずつ、一冊を一週間から10日程かけて読むのが、私には合っているようです。
一方の「スポーツ観戦」には、しばらく行けていません。
「今年こそは!」と思い、今月、プロ野球観戦を計画していましたが、応援しているチームが低迷しているので、見に行く気が失せました。
(次は、大相撲を計画したいと思っています。)
あとは、旅行、城巡り、ウォーキング、ウェイトトレーニング、ガーデニング…
(ウォーキングは、ほぼ毎日ですが、あとは、なかなかできません…)
最近は、ゴルフのお誘いも増えていますが、どうしても気持ちが乗りません。
(来年あたり、考えてみます…)
ということは、一番続いているのは、おいしいお酒を飲むこと…
(これは、20年近いキャリアがあります。)
でも、これも、どちらかといえば、”趣味”というよりは、”生活の一部”という方が、正しいかもしれません…
政治関連の本では、阿比留瑠比著「政権交代の悪夢」なんかどうでしょ。
スポーツ観戦は、サッカー特にアントラーズの応援も加えたらと思いますが。一度観戦してから病みつきになりました。
参考にさせていただきます!