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国書・親書にみる明治の日本外交 外務省外交史料館

2018-05-26 16:52:00 | 博物館・美術館・エンタテイメント・イベント

 外務省外交史料館は、幕末以来の日本の外交資料を保存している外務省の公文書館です。公文書は全て竹橋の公文書館だと思い込んでました。
 展示では、外交史料館が所蔵する国書・親書を通して、明治期の日本外交の歩みをご紹介してます。

 日米和親条約です。阿部伊勢守は老中の阿部正弘です。嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約です。(保存のため、複製です。他の資料もそうです)

 日米修好通商条約です。安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約です。蝋缶(ろうかん)が付いているので、実物かもしれません。

 ロンドン海軍軍縮条約(認証謄本)です。1930年に開催された列強海軍の補助艦保有量の制限を主な目的とした国際会議で結ばれた条約で、イギリス、日本、アメリカ、フランス、イタリアが調印しましたが、補助艦については対英米6.975割となり、のちに脱退しました。
 中学生のころに軍艦のプラモデルを作った時の説明書に必ず出てくる条約です。



 日本の降伏文書です。昭和20年9月2日(1945年)、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ前方甲板上において調印されました。
 カナダ代表のエル・コスグレーブ大佐が署名する際、自国の署名欄ではなく1段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した。しかし、次の代表であるフランスのフィリップ・ルクレール大将はこれに気づかずオランダ代表の欄に署名、続くオランダのコンラート・ヘルフリッヒ大将は間違いには気づいたものの、マッカーサー元帥の指示に従い渋々ニュージーランド代表の欄に署名した。最後の署名となるニュージーランドのレナード・イシット少将もアメリカ側の指示に従い欄外に署名することとなり、結果的にカナダ代表の欄が空欄となりました。
 
 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約です。いわゆる旧日米安保条約(きゅうにちべいあんぽじょうやく)と呼ばれるものであり、1951年(昭和26年)9月8日の日本国との平和条約の同日に署名された。1960年(昭和35年)に日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)が発効したことに伴い、失効しました。


 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約です。1960年(昭和35年)1月19日に、ワシントンD.C.で締結されました。条約の中に日米地位協定が付属してます。
 左側のページの署名の一番右が、安倍首相のおじいさんの岸信介です。

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