鳩山新政権が掲げる「ムダな公共事業見直し」の象徴的存在として、にわかに注目を集める群馬県の八ツ場ダム。「建設中止」を表明した前原誠司・国土交通相に対し、反発する地元という構図は、早くも民主vs.自民の焦点となった。しかし、その背景には、「ダム官僚たち」による巧妙な〝仕掛け〟があった。国会の質問王、保坂展人前衆院議員が現場を歩く──。
「ここは、『死の川』だったんだ」
暗闇の迫るダム予定地を見下ろして、ぽつりと地元の古老がつぶやいた。
八ツ場(やんば)ダムの建設が進む吾妻(あがつま)川(群馬県)は、かつて、上流からの硫黄分などを含む強酸性の水質で生き物を寄せつけなかった。飲用水どころか農業用水にもならない、文字どおり「死の川」だった。
57年前の1952年、旧建設省がダム計画をぶちあげた時、猛烈に反対した地元住民は、この強酸性の水質を問題にした。いったんはスローダウンしたダム計画が再浮上したのは、上流に「酸性の川に大量の石灰を投下して中和する」ための中和工場と、石灰生成物というヘドロをためるための品木ダムの完成をみてからだった。
品木ダムについては後述するが、国土交通省の“ダム官僚”たちの執念と、自然の障壁を力ずくでも突破する手法がここにある。
「果たして、石灰を混ぜて中和したからといっても、こんな水を飲めるのか。下流の人たちのためにも、ダムに反対しなければ、と立ち上がった」
と、冒頭の古老は振り返った──。
9月17日未明、前原誠司国交相が就任直後の記者会見で「八ツ場ダムの建設中止」を明言してから騒ぎは始まった。「八ツ場ダム」の名は全国に知れ渡り、9月下旬には現地を一目見ようと観光客が押し寄せた。
間もなく開かれる臨時国会での与野党論戦の焦点にしようと、「政治」も動いている。23日の前原大臣の視察の際、地元住民との意見交換は実現しなかった。
だが、その前日には公明党の山口那津男代表が、10月2日には自民党の谷垣禎一総裁が、それぞれ住民と意見交換するなど、住民感情を“代弁”して、自公両党は「八ツ場ダム断固建設」で足並みをそろえる。
これまで私は「公共事業チェック議員の会」の事務局長として、八ツ場ダムには何度も足を運んできた。私から見て、前原大臣の「中止宣言」によって巻き起こったのは、国交省のダム官僚にとって都合のいい「詭弁」「すり替え」「ウソ」の羅列を垂れ流す一方的な報道ラッシュだった。代表的なウソは、
「工事の7割はすんでいて、あと3割の予算を投入すればダムができる。ここで中止するのは、かえって税金の無駄だ」
というものだ。実は、「7割」というのは事業予算に対する「進捗率」に過ぎず、単に予算の7割を使っただけに過ぎない。総工費4600億円の7割は3220億円だが、あと1380億円でダムが完成するというのはダム官僚の詐術である。
そもそも、八ツ場ダム建設にかかる事業費は、水源地域対策特別措置法事業費(997億円)と水源地域対策基金事業費(178億円)を含めると約5800億円になる。さらに、国と地方が借金をして建設費用負担をしているから、将来にわたる利息を計算に入れると8800億円という公金が費やされる途方もない規模となる。しかも、この事業費が今後、さらに膨れ上がらない保証はどこにもない。
総工費も当初は2110億円だったが、04年に現在の4600億円とすでに倍以上に膨らんでいる。
巧妙に作られた「地元の怒り」
実は、工事が延び延びになり、総工費が膨れることでダム官僚たちが失うものは何もない。もともと、こうした大型公共事業にコスト意識は希薄で、半世紀を超えて工事を続け、どれだけ予算が超過しようとも責任を問われることもない。
「無駄の横綱」と呼ばれる八ツ場ダムが中止となれば、天下りを狙うダム官僚たちの“百年王国”が崩壊に向かうのは必至で、だからこそ抵抗が強い。
次に、「治水、防災対策を放棄していいのか」というのは、とっくに破綻した言い分だ。
関東地方で死者1100人の被害を出した1947年のカスリーン台風の再来に備えるために計画されたのが八ツ場ダムだが、そんなに防災上重要で緊急を要する工事なら、半世紀以上かけてなお未完成であることをダム官僚たちはどう説明するのか。
昨年6月には民主党・石関貴史議員の質問主意書に対する政府答弁書で、カスリーン台風と同規模の台風が到来した場合、下流の観測ポイントで計測されるピーク流量は、八ツ場ダムの有無によって違いはないと国交省自らが認めている。
さらに、
「異常気象が深刻化しており、日本もいつ干ばつにさらされるかわからない」(石原慎太郎・東京都知事)
という話も鵜呑みにされやすい。
しかし、渇水対策に八ツ場ダムはほとんど役に立たない。利根川水系にはすでに11のダムがあり、これらのダムの夏の利水容量は約4億3千万立方メートルにもなる。渇水が心配される夏に、八ツ場ダムは洪水調節で水位を下げるため、利水容量は2500万立方メートルが加わるに過ぎない。わずか5%強のプラスである。しかも、節水型家電製品の普及によって、首都圏の水需要は、このところ減少を続けている。
また、報道では、水没予定地に住む住民たちは「突然の中止決定で怒りに震えている」と伝えられた。これもダム官僚たちにより、巧妙に仕掛けられた「地元の声」ではないのか。
たしかに、すでに代替地に家を新築して移り住んだり、引っ越しを予定している人たちにとって、ダム建設が宙に浮いた状態となれば困惑の極みだろう。
ダム官僚たちは、そうした住民感情を利用して、ダム建設中止に対する“最後の抵抗”の第一線に地元住民たちを突き出したのだ。
実際のところ、ダム事業費の補償額の多くは、鉄道や道路の付け替え工事に費やされていて、水没地域の住民への補償は決して十分ではない。造成した代替地は坪17万円(周囲の山林は坪5千円)と高額に設定されたため、補償金だけでは土地代・建築費をまかなえず、移転を逡巡する人たちもいる。反対派を切り崩すために補償金を釣り上げ、代替地の土地代で回収するというのであれば、まったくの騙し討ちではないか。たとえば、川原畑地区の移転代替地には現在、17世帯が移転を希望している。8年前の01年には95世帯が住んでいたが、大半は代替地の完成を待たず、町外へ流出してしまった。
実際、現地を歩くと、
「ダムができないならそれでも構わないが、ここまで犠牲を払ってきた以上は、生活再建をしっかり補償してほしい」
という声がいくつもあった。ダム官僚たちが、
「ダムを受け入れないとカネはビタ一文出さないぞ」 と住民をいじめ続けてきた結果、
「ダムを造らなければ何もかも中途で放り出される」
という不安が表面化しているのだ。私たち公共事業チェック議員の会でも、八ツ場ダムの中止に備えて「中止後の生活再建」のための立法を準備していたし、前原大臣もダム補償新法案を来年の通常国会に提出したい旨を表明している。むしろ「何がなんでもダムを造れ」というのは少数派、さらにいえば、利害関係者ではないのか。
ダム官僚たちが黙り込むタブー
そもそも、半世紀にわたって住民をいじめてきたのは、その間ずっと政権与党だった自民党だろう。
群馬県から輩出した4人の首相も、国策としての「八ツ場ダム」に対し、際限なく予算と時間を膨張させてきた責任がある。ダム官僚と一体化してきた自民党が「(民主党の)強引なやり方はよくない」と住民の味方のような顔をするのは、責任逃れも甚だしい。
いま、「来夏の参議院選挙で自公が逆転すれば、やがて工事は復活する」と地元住民を煽り立て、「政争の具」にすることで、最終的に犠牲を払うのは誰なのか。
現地では、こんな声もあった。
「前原大臣はああ言うけど、1~2年もすれば、やっぱりダムは造りますということになるんじゃないの? みんな頭の中は真っ白だよ。嫌々ながら頭を切りかえてやってきたのに、その気持ちをダメにすることなんだから」(地元農家)
これ以上、ダム工事も進まず、中止後の生活再建のスキームもできないという泥沼に、住民を追い込むことは絶対に許されない。
もう一人、現地で出会った老女はこう言った。
「やっぱり昔の家のほうが住みやすかった。いま隣近所は若い人ばかりで、同世代は死んだり、近隣の町へ移り住んだり……。昔は、建設に反対だったんだよ。でも、この年まで生きてきたんだから、一度、ダム湖を見てから死にてえさ」
半世紀という途方もない時間は、激しい反対運動を繰り広げた住民たちに疲れと諦めを与え、他方で「国策には逆らえない。それなら前向きに受け入れよう」という姿勢をもたらした。かつて反対運動一色だった川原湯温泉でも、戸惑いの声が上がる。
「今さらやめるわけにはいかないんだよ。ここらの旅館も全部、代替地に移る。中途半端にやめられても困る」(ある旅館の主人)
しかし、ダム観光で成功しているところがどれだけあるだろうか。
ダム湖は、夏には洪水調節のためにぐんと水量を下げる。吾妻川には、上流にある嬬恋村のキャベツ畑の肥料や、牧場からの汚泥などが流入している。人が憧れ、癒やされるような魅力的な湖面とは似ても似つかない水質悪化も心配されているのだ。
実は、何事も、もっともらしく説明する技術にたけているダム官僚が黙り込んでしまう“タブー”が八ツ場ダムには隠れている。
ズバリ、浅間山や草津白根山という活火山の存在だ。
水没予定地の川原湯地区で牛乳の製造・販売をしている豊田武夫さん(58)は、1783(天明3)年の浅間山大噴火の被害を振り返り、噴火と八ツ場ダムについて考えてきた。
「浅間がハネ(噴火し)た時、泥流が一気に流れてきたそうだ。大きな釣り鐘が、いまの嬬恋村から川原湯の駅まで流れてきたと。天明の噴火ぐらいの泥流が、ダムに押し寄せたらどうなるのか、国交省に何度も聞いたけどハッキリしない」
当時のことを書いた「天明浅間山噴火報告書」(中央防災会議)によると、浅間山の火口から20キロ離れた八ツ場に、泥流は高さ50メートル、時速72キロの速さで押し寄せてきたという。その豊田さんの質問に対して、あるダム官僚は苦笑しながらこう言ったという。
「まあ、俺たちが生きているうちにはそんなことにはならねえから。死んでから先のことだよ」
また別のダム官僚は、
「大噴火は予知できるから、まずは水を抜きます。ダムを空にして火山灰をためるんです」
私も国交省河川局に聞いてみたが、
「八ツ場ダムは、洪水調節と水道の供給を目的としているダムで噴火対策のものではありません」
とトンチンカンな答えが返ってきた。「噴火時にダムはどうなるのか」と聞いても、「担当ではないので……」と言葉を濁す。
国交省は、浅間山などの「噴火対策」にも取り組んでいるが、驚いたことにダム事業と噴火対策の相互の連携はまだないという。
ヘドロで溢れる石灰の中和事業
問題は、これだけではない。吾妻渓谷は、バームクーヘンのように浅間山の噴火の堆積物が重なり合っている地層で、地滑りが頻繁に起きている。
台風による豪雨や、地震などで大規模な地滑りがダム湖に向けて起きたらどうなるのか。しかも、八ツ場ダムの水没予定地住民に提供されている代替地はダム湖畔の山を削り、谷を埋めて造られている。災害を防止するために造られるダムが、災害の原因となることもあるのだ。
「安全性が確認されない限り、ダムには賛成できない。今度の前原大臣の方針でダム建設が中止になっても、もともとJR吾妻線は雨になると危ないんでいつも止まるし、安全のために工事は必要だった。何も無駄にならないですよ」
と豊田さんは語る。
冒頭の中和工場もまた、ほとんど知られていない。
八ツ場ダムの予定地から車で40分、草津温泉街の外れに国交省の「草津中和工場」がある。さらに、そこから山を十数分走ると、日本初の石灰生成物をためる品木ダムがある。
この世のものとは思えない絵の具のような薄緑色のダム湖は、ヘドロで今にも水が溢れる寸前だ。1965年の完成当時、深さ40メートルだった品木ダムは、今や「いちばん深いところで5~6メートル」(同ダム水質管理所)という状態になっている。88年から、ダム湖面に浚渫(しゅんせつ)船を浮かべて、たまったヘドロを毎日運び出し、さらに脱水・圧縮して山に捨てている。これを、「究極のリサイクル」と語るダム官僚の感覚に私は驚愕(きょうがく)した。すでに46年間にわたって、毎日計60トンという大量の石灰が、吾妻川上流の湯川と谷沢川で投下されている。年間約10億円をかけて石灰を投入し続ける事業も、八ツ場ダムの陰にあったのだ。
八ツ場ダムという巨大事業の根は深い。だからこそ、与野党論戦の前に、国会は内閣に対して国政調査権を行使し、ダム官僚たちに、すでに使われた予算と今後の支出明細の提出を命じるべきである。
前原大臣は、一切手がつけられていないダム本体工事は中止にする一方で、周辺の道路工事は続ける方針だ。その際にコスト検証は欠かせない。交通量の裏づけもなく、突然、4車線の道路が建設されている現場を見た。不要な工事は見直すか圧縮し、地元住民の「生活再建」にあてるべきだ。
さらに、臆面もなく地元住民を「新政権との対決の構図」に位置づけようとするダム官僚の野望を砕くために、議論が平行線となって「生活再建」の道筋が危うくなることを政治家は品位をもって止めなければならない。住民の苦悩をこれ以上長引かせないために、「ダムが止まった八ツ場」を国をあげて応援していく仕組みをつくりたい。
ほさか・のぶと 1955年、宮城県生まれ。16歳で内申書の内容を争う原告となり、定時制高校を中退。教育ジャーナリストとして活動。96年の総選挙で社民党から初当選。今年8月の総選挙で落選した。3期務めた在任中の質問回数は546回を数え「国会の質問王」の異名をとった
【八ツ場ダム】
利根川の洪水対策のために1952年、群馬県長野原町を流れる利根川支流・吾妻川に計画が浮上、高度成長期に首都圏の水資源確保も目的に加わった。当初、地元住民の激しい反対運動が起きたが、地元選出の福田赳夫、中曽根康弘両元首相の「福中対立」の構図に巻き込まれることに。その後、国・県による反対派切り崩しが進み、85年、同町が県の生活再建案に同意し、事実上、ダム建設を受け入れた。
貯水容量1億750万立方メートル。総事業費4600億円は国内最高額。本体工事は未着工だが、今年3月末までに、3200億円が鉄道や国道の移転費、水没地区の住民の代替地確保などに使われた。移転対象は470戸で、357戸が移転済み。6都県(東京、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬)で、約1985億円の負担金を払っている。2015年度の完成予定だったが、建設中止を打ち出した民主党が先の総選挙で政権奪取し、鳩山内閣の前原誠司国交相が9月、中止を正式に表明した。
「八ツ場」の由来 「八ツ場」をなぜ「やんば」と読むのか。その地名の由来には諸説ある。①谷に獣を追い込んで、矢で猟をする場所【矢場】 ②猟をする落とし穴が八つあったから【八つの穴場】 ③谷川の流れが急なところであったから【谷場】 そのほか、アユを竹のスノコで取る古式漁法【梁漁】からきているという説もある。
建設に賛成の人はいない でも中止には代替案がない
高山欣也・群馬県長野原町長
前原誠司・国土交通大臣のダム中止宣言に反発することで、我々が悪いように言われますが、ここで国を信用しろと言われても無理な話です。
「中止」が先にあって、これから「生活再建」について考えるという。疑って申し訳ありませんが、補償金と代替地だけで終わったと思われ、そのまま放り出されるのではないかと考えてしまうのです。
住民は、国の方針を押しつけられ、やむを得ずここまできました。川原湯でダム建設に賛成の人なんていませんよ。私も川原湯出身です。最初はみんな、反対でした。それが、国の政策で軟化していく人も出てきて、最終的には疲れ果ててしまった。
国と地元の仲介役として群馬県は80年に、「ダム湖のほとりの温泉街」という生活再建策を示しました。国は信用できないが、県ならば裏切らないだろう──そういう経緯があるのです。
「ダム観光」の成功例はないという意見があるのは知っています。しかし、国は引かず、年月ばかりがたっていく中で、孫の代まで、この状態を長引かせたくないという気持ちで、いまようやく生活再建の「目標」が見えてきたところなんです。
住民はみんな、建て替えもせずに我慢してきた。家を移っただけでは生活は厳しい。隣近所も遠くなり、すでに代替地に移った人たちとの間で二重生活になっている。それも、あと半年で5地区の代替地すべてが完成し、新しい生活が始まる予定です。ダムができれば、湖畔にハード事業を興してもらって、雇用、収入もできる。「道の駅」で野菜を売るなど生活の手段ができる。町には、水利権から生じる交付金も入ります。やっとここまできたのに、それを止めたくはない。
私どもにも闘ってきたメンツがあります。前原大臣が言うのは、ダム本体がなくなって、コレという具体的な代替案もない。そこで「何らかの措置をとる」と言われても、信用できますか。
これまで57年間、翻弄(ほんろう)され続けて、ここからさらに50年も60年も闘う気はありません。長引くのが、いちばん怖い。我々が困っている原因は、国にあるのです。
(週刊朝日、nifty)