初めてタイに来たのは1995年か96年で、
そのときの為替レートは1バーツ4.5円ぐらいであった。
次に来たのは1997年10月で、直前の7月にバーツ危機があり
1バーツ2.5円ぐらいに暴落していて驚いた。
バーツはそこからもさらに下落していった。
チェンマイに長期滞在し始めたのは2000年であるが、
1バーツ2.7円を底に、2.9円ぐらいに上がるとまた下落、という
狭いレンジで推移してきた。
バーツが2.9円に近づいてくると、ずいぶん高くなったなと感じ、
円からの両替を控えたりしていた。
それでも3円を超えるバーツ高はなかったので、
円に換算するときはバーツの価格を3倍しておけば、
その3倍の数値より少し安いぐらいか、と思っていればよかった。
しかしながら、上値だった2.9円を超え、さらに、岩盤だと思ってきた
3円も超えるバーツ高が続いている。
これからは、円への換算にあたりバーツの価格を3倍したのでは
足りなくなった。
3.1倍しなければと思う。
バーツが従来の高値2.9円に近づいたあたりから、円からの両替は
行っていないが、
昨年まとめて両替して銀行に預けておいたので、その後のバーツ高に
あたっても、そのうちまた下がるだろ、と気楽に考えていた。
しかし、バーツが高値で推移しているうちに、手持ちのバーツが
どんどん減っている。
9月に日本に一時帰国する予定だが、帰国までの2か月は持ち堪えられそうなので、
用意してきた円は、いったんはまた日本に持ち帰ることになりそうである。
このバーツ高、私の解釈では、
原油高のタイ国内への影響を緩和するための、金利を上げることによる
通貨高誘導、である。
2%程度であった定期預金の金利が、あっと言う間に4%の後半にまで
上がっている。
こういう政策は、内需を冷え込ませ、輸出も減らすので、
副作用が大きく長続きしないはずである。
また金利を引き下げざるを得ず、それによりバーツも下がってくるはず、
と考えている。
まあ、こういうのをポジション・トークという。
ポジション・トークとは、自分の願望に沿うような理屈を考え出すというもので、
たいていはハズれる。
手持ちのバーツがなくなれば、為替レートにかかわらず両替せざるを
得なくなるわけで、
結局はそんなことになるんだろうな。
そのときの為替レートは1バーツ4.5円ぐらいであった。
次に来たのは1997年10月で、直前の7月にバーツ危機があり
1バーツ2.5円ぐらいに暴落していて驚いた。
バーツはそこからもさらに下落していった。
チェンマイに長期滞在し始めたのは2000年であるが、
1バーツ2.7円を底に、2.9円ぐらいに上がるとまた下落、という
狭いレンジで推移してきた。
バーツが2.9円に近づいてくると、ずいぶん高くなったなと感じ、
円からの両替を控えたりしていた。
それでも3円を超えるバーツ高はなかったので、
円に換算するときはバーツの価格を3倍しておけば、
その3倍の数値より少し安いぐらいか、と思っていればよかった。
しかしながら、上値だった2.9円を超え、さらに、岩盤だと思ってきた
3円も超えるバーツ高が続いている。
これからは、円への換算にあたりバーツの価格を3倍したのでは
足りなくなった。
3.1倍しなければと思う。
バーツが従来の高値2.9円に近づいたあたりから、円からの両替は
行っていないが、
昨年まとめて両替して銀行に預けておいたので、その後のバーツ高に
あたっても、そのうちまた下がるだろ、と気楽に考えていた。
しかし、バーツが高値で推移しているうちに、手持ちのバーツが
どんどん減っている。
9月に日本に一時帰国する予定だが、帰国までの2か月は持ち堪えられそうなので、
用意してきた円は、いったんはまた日本に持ち帰ることになりそうである。
このバーツ高、私の解釈では、
原油高のタイ国内への影響を緩和するための、金利を上げることによる
通貨高誘導、である。
2%程度であった定期預金の金利が、あっと言う間に4%の後半にまで
上がっている。
こういう政策は、内需を冷え込ませ、輸出も減らすので、
副作用が大きく長続きしないはずである。
また金利を引き下げざるを得ず、それによりバーツも下がってくるはず、
と考えている。
まあ、こういうのをポジション・トークという。
ポジション・トークとは、自分の願望に沿うような理屈を考え出すというもので、
たいていはハズれる。
手持ちのバーツがなくなれば、為替レートにかかわらず両替せざるを
得なくなるわけで、
結局はそんなことになるんだろうな。