万葉集に山上憶良の次のような歌がある。
ひさかたの 天地は遠し なほなほに
家に帰りて 業を為まさに
当時、自らを「倍俗先生」(倍は、そむくという意味で、世俗に背いた「先生」)
と称し、生業を捨てて山に篭ることが流行したそうだが、
それを戒めた歌である。
「遥かな天の道は無限に遠い。おとなしく家に帰って仕事に励みなさい。」
という意味である。
この「業を為まさに(なりをしまさに)」(仕事しろ)という文句が
胸に重く響く。
昨年の秋、AUAで一緒にタイ語を勉強したKさんと福岡で会った。
Kさんは大学の教授で研究休暇でチェンマイに来ていたのだが、
そのKさんを慕ってチェンマイに遊びに来た学生とも再会。
Kさんはもとより、当時学生だったS君もいまでは立派に社会で活躍している。
再会を喜びおいしい酒を飲み、楽しいひと時を過ごしたものの、
大いなる疎外感を感じた。
チェンマイに長期滞在し、いわば「外こもり」状態であり、社会とのつながりが
切れてしまっていることが、その疎外感の原因である。
私は春と秋に日本に帰るが、昔の仲間と会うことはない。
まだ現役で活躍している人と会うとそういう疎外感を味わうことがわかっている
からである。
昨年11月に日本からチェンマイに戻るとき、偶然、成田で職場の先輩に会った。
私は、チェンマイで長期滞在していて、次に日本に帰るのは3月だと言うと、
その先輩は、じゃあ3月に一杯飲もう、と言う。
その先輩とは特別に親しかったという訳でもないので、メールアドレスは交換
したが、酒の誘いは一種の社交辞令と受け取り、3月に日本に帰ったとき
私からはあえて連絡しなかった。
すると「3月と聞いていたけど具体的な帰国日は決まった?」という
メールが入った。
私はあわてて「今日本にいますが、ADSLの再開手続きに手間どって・・・」
と見え見えの言い訳をすることに。
その先輩は、当時私が親しくしていた同期にも声をかけてくれ、
久しぶりに昔の仲間と再会することができた。
懐かしく、また旨い酒で楽しかったが、
やはり、一方では、何もしていない自分に劣等感を感じてしまうことになった。
仕事をしていたときは、社会につながってるとか、まして社会に貢献している
とかいった意識は全く感じなかったが、
無職になってみると、普段は意識してなくても、現役の人に接すると
疎外感を感じるのである。
以前に何度かチェンマイの日本人子弟に勉強を教えたことがある。
ほんの数時間なのだが、それだけでも社会につながっているという
満足感を覚えたものである。
まあ、自分で無職を選び、異国の地で勝手気ままに生活していながら、
社会とのつながり・・・、などというのは、所詮たわ言であるのは承知している
のだが。
まあ、愚痴はこの辺にして。
チェンマイでは諸物価が上がっているとはいえ、まだまだ十分安い。
特に住居(アパート)については、日タイ間の価格差だけでなく、
「保証人」などとうるさいことは言われず、パスポートだけで簡単に入居できる
のは実にありがたい。
また気候については、
徒然草に、
「家の作様は夏を主とすべし。冬はいかなるところにも住まる」とある。
京都の冬は相当に厳しいものと思われるが、夏の酷暑に比べればはるかに
マシだというのである。
日本の夏の暑さは尋常ではない。
一昨年、さすがに暑さの峠は過ぎただろうと、9月中旬に日本に帰ったところ、
あまりの暑さに驚いたものである。
チェンマイの「穏やかな暑さ」に慣れた身では、もはや日本の酷暑には
耐えられないと悟ったものである。
一昨年の9月でそんな状況だったのだが、記録的猛暑と言われた昨年夏は
どんなものだったのだろう?
日本人でありながら、もはや想像できなくなっている。
タイはもちろん問題は多い。
インフラ未整備、公害、食への不安、などなど。
そして外国人ゆえのビザの問題。
そして、それらプラスとマイナスを比較勘案し、
私の場合、当面は、チェンマイに長期滞在しときどき日本に帰る、
というパターンを続けるものと思われる。
5年後、10年後はどうしているだろう?
まだチェンマイにいるのだろうか、それとも日本に帰っているのだろうか?
そんな先のことを考えてもしかたない。
とりあえず、ビールだ。
サバーイ、サバーイ。
・・・
これにてブログは終了いたします。
読者の方には深く感謝するとともに、皆様のご多幸をお祈りいたします。
ひさかたの 天地は遠し なほなほに
家に帰りて 業を為まさに
当時、自らを「倍俗先生」(倍は、そむくという意味で、世俗に背いた「先生」)
と称し、生業を捨てて山に篭ることが流行したそうだが、
それを戒めた歌である。
「遥かな天の道は無限に遠い。おとなしく家に帰って仕事に励みなさい。」
という意味である。
この「業を為まさに(なりをしまさに)」(仕事しろ)という文句が
胸に重く響く。
昨年の秋、AUAで一緒にタイ語を勉強したKさんと福岡で会った。
Kさんは大学の教授で研究休暇でチェンマイに来ていたのだが、
そのKさんを慕ってチェンマイに遊びに来た学生とも再会。
Kさんはもとより、当時学生だったS君もいまでは立派に社会で活躍している。
再会を喜びおいしい酒を飲み、楽しいひと時を過ごしたものの、
大いなる疎外感を感じた。
チェンマイに長期滞在し、いわば「外こもり」状態であり、社会とのつながりが
切れてしまっていることが、その疎外感の原因である。
私は春と秋に日本に帰るが、昔の仲間と会うことはない。
まだ現役で活躍している人と会うとそういう疎外感を味わうことがわかっている
からである。
昨年11月に日本からチェンマイに戻るとき、偶然、成田で職場の先輩に会った。
私は、チェンマイで長期滞在していて、次に日本に帰るのは3月だと言うと、
その先輩は、じゃあ3月に一杯飲もう、と言う。
その先輩とは特別に親しかったという訳でもないので、メールアドレスは交換
したが、酒の誘いは一種の社交辞令と受け取り、3月に日本に帰ったとき
私からはあえて連絡しなかった。
すると「3月と聞いていたけど具体的な帰国日は決まった?」という
メールが入った。
私はあわてて「今日本にいますが、ADSLの再開手続きに手間どって・・・」
と見え見えの言い訳をすることに。
その先輩は、当時私が親しくしていた同期にも声をかけてくれ、
久しぶりに昔の仲間と再会することができた。
懐かしく、また旨い酒で楽しかったが、
やはり、一方では、何もしていない自分に劣等感を感じてしまうことになった。
仕事をしていたときは、社会につながってるとか、まして社会に貢献している
とかいった意識は全く感じなかったが、
無職になってみると、普段は意識してなくても、現役の人に接すると
疎外感を感じるのである。
以前に何度かチェンマイの日本人子弟に勉強を教えたことがある。
ほんの数時間なのだが、それだけでも社会につながっているという
満足感を覚えたものである。
まあ、自分で無職を選び、異国の地で勝手気ままに生活していながら、
社会とのつながり・・・、などというのは、所詮たわ言であるのは承知している
のだが。
まあ、愚痴はこの辺にして。
チェンマイでは諸物価が上がっているとはいえ、まだまだ十分安い。
特に住居(アパート)については、日タイ間の価格差だけでなく、
「保証人」などとうるさいことは言われず、パスポートだけで簡単に入居できる
のは実にありがたい。
また気候については、
徒然草に、
「家の作様は夏を主とすべし。冬はいかなるところにも住まる」とある。
京都の冬は相当に厳しいものと思われるが、夏の酷暑に比べればはるかに
マシだというのである。
日本の夏の暑さは尋常ではない。
一昨年、さすがに暑さの峠は過ぎただろうと、9月中旬に日本に帰ったところ、
あまりの暑さに驚いたものである。
チェンマイの「穏やかな暑さ」に慣れた身では、もはや日本の酷暑には
耐えられないと悟ったものである。
一昨年の9月でそんな状況だったのだが、記録的猛暑と言われた昨年夏は
どんなものだったのだろう?
日本人でありながら、もはや想像できなくなっている。
タイはもちろん問題は多い。
インフラ未整備、公害、食への不安、などなど。
そして外国人ゆえのビザの問題。
そして、それらプラスとマイナスを比較勘案し、
私の場合、当面は、チェンマイに長期滞在しときどき日本に帰る、
というパターンを続けるものと思われる。
5年後、10年後はどうしているだろう?
まだチェンマイにいるのだろうか、それとも日本に帰っているのだろうか?
そんな先のことを考えてもしかたない。
とりあえず、ビールだ。
サバーイ、サバーイ。
・・・
これにてブログは終了いたします。
読者の方には深く感謝するとともに、皆様のご多幸をお祈りいたします。