ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◆『ヘンリ・ライクロフトの私記』 ジョージ・ギッシング 著 平井正穗 訳 岩波文庫

 

 経済的な安定。
 面倒なことを言う家族や親戚もない。
 好きなだけ読める本があり、時間がある。
 そして、窓辺に風の音を感じ、小鳥の声さえずりを聞き、そんな田園風景の四季に棲む。
 これが、ヘンリ・ライクロフトの日々である。
 ため息が出るほど、憧れの余生である。 

 荷風なんぞ、晩年、きっと、こういう日常を送りたかったんだろう、と思ったりするが、荷風には、少々世俗への好奇心を昇華せなんだために、ヘンリ・ライクラフトのような静寂な日々に棲むことはなかった。
 まぁ、現実とは、多分、荷風のごときだろうか。実際、著者のジョージ・ギッシングの日常も、荷風に極めて近く、己が描いたヘンリ・ライクロフトとはほど遠い。

 解説を読むと、ジョージ・ギッシングは、南イングランドの裕福な家庭に生まれ、しっかりとした教育と教養を身につけ、研究者として嘱望されるほどの才気ある学生であったが、娼婦に入れ込んで窃盗を働き、大学は放校、親からは勘当される。
 その娼婦と結婚するも、結局は離婚。その後再婚するも、それもうまくいかず、執筆業に頑張るが、売れない。
 結局は若くして栄養失調で亡くなる。 

 『ヘンリ・ライクロフトの私記』は、ジョージ・ギッシングの死後に見つけられた、いわば遺稿である。
 なんとも、哀しい。
 どのような思いで、ジョージ・ギッシングは、机に向かい、ペンを走らせていたのだろう。

 ジョージ・ギッシングが、学生時代に娼婦に入れ込んで、学友の財布からお金を盗みさえしなかったら、ヘンリ・ライクロフトの日常は、そのままジョージ・ギッシングの日常であったろうか。

 ジョージ・ギッシングは、食事にも窮すこのような日々に在って、にもかかわらず、或いはだからこそ、なのか『ヘンリ・ライクロフトの私記』の世界に漂う静寂は、まるで菩提樹の元で人生を悟った者の如くなのである。
 
 ジョージ・ギッシングの短編集。
  

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