ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◆『幕末・南部藩大一揆 白赤だすき 小○の旗風』 後藤竜二 著 高田三郎 画 新日本出版社



既に、時計の針は午前1時を過ぎているので、日にちが変わって3月12日だ。
でも、気持ちは、3月11日のまま。
そう、きっと誰しも忘れることができない、あの東北一帯を襲った大震災が起きた日だ。

今日は、テレビのどのチャンネルも、東日本大震災の慰霊であったり、当時の状況を検証する番組だった。改めて、TV局の検証によって識ったこともあった。

しかし、阪神淡路大震災が起きた朝、テレビの画面を視て、ただただ唖然として驚くばかりだったが、結局、とどのつまり、阪神淡路との大震災と大きく異なる問題は、原発の爆発だ。
このことを、踏まえずして、なにをか語らんである。
特集番組は、津波の検証に終始し、一部のTV局を覗いて殆どのTV局原発のメルトダウンはスルーだった。
地震や津波は、天災である。
寺田寅彦の名言「天災は忘れたころにやってくる」に、あるように有史以来、幾多の天災を日本人は乗り越えてきた。
原発は、人災である。
しかも、この上もない人災だ。
それが、この五年間、私の裡に於いて、やるせなく気持ちがモヤモヤ片付かない所以である。

そんなことを、思いつつ、TVの画面を視ていたら、田野畑村の小学校の校長先生が作ったという切り絵の紙芝居(絵本かも)が紹介された。
それが、岩手南部の最大の一揆、小○の文字を染め抜いた旗印の、南部三閉伊一揆を題材としているのだ。
どんなに、困っても、辛くても、ほらほら、先祖に見習ってガンバロウ!的な、実にヤダね、嫌悪。
小学生相手に、いかにもこれだ!みたいに情緒的に煽るような策略って、チョー感じワル!!
もう、なんとも、いやーな感じのドラマ作りで、オイオイ、教師だろう、しかも地元じゃないか。
もっと、ちゃんと調べて下さいよーと思う内容だった。

南部三閉伊一揆は、幕末、この田野畑村やその周辺の村々の人たちが、一致団結(一味神水)し、当時の南部藩の悪政について、冷静に状況を分析し、時間をかけ相談に相談を重ねて、その上で起こした一揆なのだ。
貧に窮した農民が、闇雲に、窮鼠が猫に噛みつく如くの一揆なんぞ、成功するかい!

一揆を起こした彼らは、木綿の旗に、小○と染め抜いて、四十九箇条の要求を南部藩に出した。(土一揆と言えばその象徴が、ムシロ旗というのは、映画『七人の侍』からのイメージ。資料によると、木綿、或いは和紙)
痛快なのは、藩主交代まで要求し、これが通ったことだ。
農民は、無学文盲だとする概念を植えつけたのは、黒澤明の『七人の侍』と、ひとえにTVの『水戸黄門』である。
農民が、無学文盲であるなら、南部三閉伊一揆の資料は、農民の筆によって、後世にこれほど、残ってあるまいに!!

この一揆について、後藤竜二が物語として、書いている。
初版は、講談社から1976年に出た。


(講談社版 画 岡野和)

その後、2008年に版元が変わって、書名も若干変わって、新日本出版社から出版された。
作品の内容は、同じである。
この講談社版『白赤だすき小○の旗風』は、数々の賞を受賞し、後藤竜二の代表作となる。
その後、絶版になっていた『白赤だすき小○の旗風』を、新日本出版社版から出版。
書名、表紙の画を、見るにつけ、後藤竜二のこの作品に込める思いを痛感する。

この作品を書くにあたって、後藤竜二は10年の歳月を掛けて、アカデミックな南部三閉伊一揆の研究論文、研究者の書籍から、地域に残る資料、現地取材など、徹底的に行ったと言う。
後藤は言う。
一揆というものは、窮鼠猫を噛むというようなことでは、為し得ないのだと。
時間を掛けて、何度も寄り合いを行い、互いに信頼し、協力し合い、準備をしっかり行い、冷静に計画されたものなだと。
実は、一揆は、凶作の年にではなく、むしろ豊作の年に起きている事例が、なんとも多い。
更に江戸時代にあって、その成功率は90%以上で、首謀者の家族全員が、処刑されたという事例は、実は資料に一切ないのだ。
つまり『ベロ出しチョンマ』が、いかに、史実とかけ離れていたかということか。

私は、この作品を通して、多くを学んだ。
そんな、こんなを、思いながら、『幕末・南部藩大一揆 白赤だすき小○の旗風』の表紙に高田三郎が描いた、この田野畑村の絶景も、津波の被害甚大だったことを、すでに、その大震災の前年に逝かれた作家後藤竜二は識る由もない。

そんなことなど、思いながら、過ごした一日だった。
合掌


(2011年3月12日 読売新聞の一面に掲載された僧)(画像は読売新聞から拝借しました。)

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