贈られてきた・・薔薇たち・・輝いて^^;

2005年06月03日 05時37分41秒 | 私とパソコン
心が静まるきいろ・・


横を向かないでね・・


女王様の如くに・・


あぁ~食べたい桃のシャーベット・・


貴女は此処では魔女です・・




みんな素敵ですこの素敵な

薔薇たちが何時までも誇らしそうに

咲き続けられる平和が続きますように・・



活字で・・見付けた・・名前(^^)

2005年06月03日 05時36分23秒 | つぶやき・・
先日も車の中で自分の名前について話が弾んだのでし
た。

何人かの人が自分の名前に満足していないのは何故
だろうか・・

何らかの不満を持っているのを面白く感じました。

何故なのか、私も子供の頃は自分の名前が嫌でした。三文字からなる名前が多い世代なのですが、中には小説の主人公のような素敵な名前の人も居ましたから。

どうしてこの名前が付いたか聞かない内に自分と同化していて、いつの間にか聞きそびれて年月が経ち未だに分からない侭です。

そしていつの間にか馴れてしまいこの年では気にもならなくなりましたが。

思春期の頃が、一番嫌だった様な気がします。孫達の話を聞いておりましてもそんな感じが致します。

母達のように明治生まれの人は、平仮名で二文字の名前が多く叔母達もみんなそうですから・

時代が変わって「子」が付く名前が多く成った頃「書き方」の時間に(今で言う習字の時間です)。

先生が名前の下に「子」を附けて良いと言われて喜んだ話を聞いた覚えがあります。

気の毒に附けることが出来ない人が居たことは言う迄もありません。

親はその子の幸せを願って附けるのでしょうが、時代と共に移り変わる流れの中でフット気が付いたときに気になるのが名前なのでしょうか。

昨日あるサイトで活字になった自分と同じ名前に出会って初めて良い名前だなぁ~と思えたのは月日が経って名前が符号のように自分と一体化したからでしょうか。

それだけでも無いような気も致しますが・・

一度付けたら余程のことが無い限り替えることの出来ないことだけに難しい問題です。