鈴木家家訓。

主婦 鈴木園子の日常。 知恵袋。ボヤき。 思いつき。 内容の無いあーだこーだ。 などです。  

桜の木の下で。 

2021-05-17 20:19:21 | 誰かさんのこと。

昨年 死にかけた父。 
当初在籍してた老健から。 
誤嚥性肺炎で ブラックな病院への入院を余儀なくされて。
退院決まった日に 背骨骨折。 
患部にセメント注入の手術。 
退院決まったら また背骨5センチ上を 骨折。
またセメント注入の手術。 
退院きまったら また今度は。 
不整脈があるから・・・・ うんぬん・・・ 

退院後に 決まってた施設から。 
こんな病気のデパートみたいな人は 内定を
反故にします。 と。 

たまりかねて 病院に 無理矢理 退院を 迫って。 
どうにか 次の一時預かりの施設 探してもらって。 
昨年秋に 引っ越し。
ほんと 昨年は 父だけじゃなく。 
ママや 園子も地獄でした。 
それまで 張りつめてたから わからんかったけど。
冬に 右目が 視界 悪くなり。 
(飛蚊症の一種やけど 網膜剥離 なるかもって) 
家も 仕事も 家族も 自分の体の管理も
何一つ まともに できんで。 
仕事 辞めることにしたり。 

そこから 老健を経て。 
今年の4月に 2年前まで 2年間入所させてもらってた 
特養に 再度 受け入れしてもらえることになって。 
お引越し。 

本当に 昨年は 激動の1年やったわ。 
コロナで 父に会えないから。 
手術の同意や 父の意思や。 
そんなのも きっと 違う年なら スムーズにいけてたやろな。 

父に会えないのわかってて行く病院や施設は。 
やるせない気持ちと もどかしい気持ちと。 
歯がゆく 悔しい・・・ 
いつもの倍 疲れるわ。 
父「園子 すまんかったな」 とか。 
そんな簡単な一言で。
や そんなん 言えんようになっても。  
父の 泣いたり笑ったりの顔だけで。 
まだ 頑張れてたんやな。 

2年前まで 2年間。
入所してた特養の施設は 古いし。
これと言って 特筆すべきとこは なかったけど。 
担当してくれてた人が。 とても 良くて。(コウさんとしよう)
そういうのは 相手にも 通じるものがあるというのか。 
コウ「こんなん言うたらあかんけど。
お父さんも ママちゃんも チャンドラさんも。 
とても 良い家族さんですね。 僕は 大好きです」 
って 言うてくれてはって。 

そんな特養に 戻れて ほんと 良かった。
ご縁が あったんやね~。 

4月に 老健から ここへ 引っ越す時も。 
施設では 父に会えない。 リモートやし。 
移動する 車に乗る。 
その時だけ。 

施設出て 車椅子で 父を 車に乗せる。 
そのたった30mを コウさんは ゆっくり歩いてくれて。 
しかも 満開の桜の木の下に止めてた車。 
びっくりするくらい モタモタしてくれて。 
(ママちゃんと おとん その間 話して~。 
コロナで 直接会えるのは 今だけやろ~) 

そんな粋なはからいが。 
涙 出そうやった。 
 
父は もう ボケてきてて 言葉が うまく出てこやん。 
ただ ママちゃんを 見て 泣くだけ。 
ママちゃんは それが 居心地悪くて。
しかも イラチで。 
「なんか 言いたいことあるん? ん? 
ないか? ほな 行こか。 
コウさん 行って」 

言うて。 
コウ&園子 「え・・・」 って なったわ(笑) 


メチャ 笑えた。 
コウさんの 優しい 粋なプレゼントが 台無し。ププ。 

けれど。 
そんな 穏やかなピンク色のひと時が 
素敵な思い出になりました。 

コウさんのいる施設にもどれて。 
父も メキメキ 元気を 取り戻した様子。
あと10年は 生きるな。  
ママちゃんも 園子も 昨年の地獄から 
やっと抜け出して。 

これからは 少しは 自分の時間。 
持てるかな~~。 

って思った4月でした。 










コメント
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