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災害続きの日本と世界!『人類にとって、神仏への畏敬と感謝は一丁目一番地』 (動画追加)

2016-08-30 14:05:15 | megamiyama

色々な意味で懸念されていたリオのオリンピックが無事大成功し、ほっとしたのもつかの間、今、世界中で、災害が多発しています。

「わが言葉の上に未来は築かれる」と未だかつて誰にも言えなかった言葉を世界に発し、実際、その通りになってきた実績を積み重ねてこられた大川総裁が年初から「2016年は革命的な変化が起こる年になるだろう」おっしゃってますが、逆にもし、日本(と世界)に革命的変化が起きなければ、(起きるまで?)未曾有の災害が起きるということでもあり、覚悟はしていたのですが…。(「天照大御神のご神示」では、「ワカラナイならワカルまで、艱難辛苦が終わることはない。」という内容の「御神託」あり。)

ついにソレが始まってしまったかのように、災害のニュースが続きます。(24日はイタリア地震と同時にミャンマーにも大きな被害が出てますし、日本も鹿児島から北海道まで台風による多大な被害が続いています。)

 

 

「これでもか!」と立て続けに飛び込んでくる災害や世界の異常気象のニュースに、「一寸先は闇!これから先、世界はどうなってしまうんだろう?!」と暗澹とした気持ちになりますが、何故こんなコトになってしまったのか?私達は胸に手をあて、考えるべき時が来たようです。

理想国家日本の条件 自立国家日本」で紹介された ”湖畔人さん”の「天変地異と神々」の記事の中では、ハッキリとこう書かれています。

『人類にとって、神仏への畏敬と感謝は一丁目一番地』

『よって、人類にとって神仏への畏敬と感謝は、必須であり、外すと大変な事になる、と考えた方がよろしいかと存じます。』

言葉にすると、昔から言われてきたことのような、どんな民族や宗教にも通じる人類共通の常識のような…当たり前のことを云っているように聞こえるのですが、コレをを表だって言える人が居なくなった(言っても一笑に付される?)のが、戦後の日本であり、唯物論共産主義国家であります。

特に「神などいない。あの世もない。死んだらオシマイ」が、”表向きのジョーシキ”となってしまった日本では、家に「仏壇」も「神棚」もないのも珍しいことではなくなり、日々の暮らしの中で「神仏への感謝」の気持を忘れず、謙虚に生きている人がどれくらいいるか?と考えると、戦後の日本人は以前に比べると、全体として大分見劣りするのだろうな~と思わざるを得ません。(自分の親を見ても、信仰心に厚いということもないのに、自然に、優しさや謙虚さや奥ゆかしさが身についていて、子供から見ても”心根の美しさ”が違うように感じます。信仰心にめざめたといっても、戦後の反日教育の影響は拭い去れず、日本人の生き方の基本が身についていない、自分の”心根の浅さ”にも気づきます。)

ほとんどの日本人は感謝を忘れて生きているのではないでしょうか?

先祖代々守り続けて、今も日本という国があることの有難さ。これを、教えないで、学校は何を教えてきたのでしょうか?良くも悪くも、子供の頃に仕込まれた教育は、その後の人生の土台となるというのに!

今の日本の情けない現状は、情けない日本人を育ててきた当然の帰結なのでしょう。

 

そして、今、日本が「存亡の危機」に立たされているのと同じように、人類も「宇宙船地球号」の乗組員として、このまま乗船が許されるかどうかの瀬戸際に立たされているようです。(今日明日の話ではないですが、5年10年の話ですよ!)

どう考えても

『人類にとって、神仏への畏敬と感謝は一丁目一番地』

は本当だと思います。

そして

『それ(神仏への感謝を忘れる反作用としての天変地異)が起こるのはむしろ情状的な物ではなく、それは仕組みであり法則なのであって、不可避であり、むしろそれを抑制する側に力の強い神々の力が効いていて、ブレーキ役を果たしているのではないか?と感じる事がございます。』

反作用(自然災害)があまりに激烈にならないよう、前もって人間に警告を与えたり、被害を抑えるよう計らったり、常に人間の為に働きかけておられるのが神々だとしたら、「天変地異」に天罰の意味があるとしても、ソレが起きる原因と結果責任は人間の側にあって、決して神々が人間を懲らしめようと起こしているのではないと信じることができます。

神仏のご加護を信じるからこそ、昔の日本人は神々に感謝し、誰が見ていなくとも“お天道さまに顔向けできない”ような道に外れたことだけはすまい。天に恥じない生き方をしようと思うことが出来たのだと思います。

かくいう私自身、信仰を持つ前と持った今とでは、考え方も(左から右へ)激変しましたが、入会した途端、見たいテレビや映画が変わって我ながら感心した(笑)のを覚えています

「神仏の眼」や「あの世」や「魂の永遠」を信じるようになると、人間、自然と向上心や向学心がわいてくる…ようです。

だからこそ、

「信じる者は救われる(真人間になる)」のです。

「神仏を信じる」とは、人間の立場をわきまえ、他人を自分の考えや力で抑圧したり、逆に他人に依存するのではなく、自立し、考えや個性の違いを尊重し、感化しあい、神(”わたしの主””永遠の「光」存在”)に向かって進化・成長し続けることなのだと思います。

信じようが信じまいが、今この瞬間も、神仏は分け隔てなく”すべてのわたし”の成長を見守っておられ、これからも見ておられると思ったら、「恥を知る」ようになります。(笑)

誰も見ていなくても、自分を見ている「目」があること(片時も目を離さず、見守っている慈悲深くも厳しい眼があること)を子供に教え、「神仏への感謝」の気持を持って生きる人から、地上を「天国」にしていくのでしょう。そして、この世に天国的な人の数が多くなれば、自然に人類の夢「世界平和」と「進化と発展」が実現されてゆくのでしょう。

結局、一人ひとりの心の問題。

「神仏への感謝」を忘れない、謙虚な生き方をしたいものです。(かといって、大人しくしていると、傍若無人な隣人が押し入って来ないとも限らないブッソーな時代なので、ヤラレナイ強さ(智慧)も必要です。)

大川隆法総裁も、「大悟」以来たった一人で、「人類の大問題」に取り組んでこられ、次から次に「解決のアイデアや処方箋」を打ち出しておられますが、「宗教」というだけで警戒する戦後の日本人の心には、この「一丁目一番地」がわからないので、手こずっておられます。

皆、プライドが高いのでしょう。「この世は人間の世界なのだから、人間の力で何とかしなければ。」と頑張るのは良いのですが、結果、惨憺たる結果を招いても、神をないがしろにした反作用だとは気づかないまま、苦しむハメになるのは、自業自得とはいえ、愚かなコトだと思います。

「今年が世界の転換点」となると決まった!?以上、大川総裁率いる「幸福の科学」と「幸福実現党」の動きをどう見るか?どう評価するか?で、日本の命運も分かれる処となるでしょう。

間に合わせないとタイヘンなことになる!と思えば、きっと間に合うでしょう。(笑)

そして、「その時(転換点)」が本当に来て、地上的にはどんなに最悪のことが起こったとしても、怖れることは何もないと思います。(何が起ころうと、魂は死なないんですから。最悪のコトなど、何も起こりませんが、地上でも、最悪の事態は避けられるでしょう。)

「世界平和」も「人類の覚醒」も夢じゃない!?

あんなに成功が危ぶまれた「リオ・オリンピック」だって、中国や北朝鮮の選手や国を追われた難民選手までオリンピック精神のもとに一堂に会し、正々堂々と戦い、国や民族を越え、お互いの健闘を讃えあうことができたのですから、神仏を信じ、世界の発展を信じさえすれば、心配することは何もおこらないでしょう。

政治の世界にも、是非オリンピック精神を導入してもらいたいものです。(国連会議とは違う、すべての国の参加が許される国際会議「地球会議」が、出来たらよいのに!コレが万が一「世界政府」の樹立をもくろむ勢力に乗っ取られたらエライことになりますが、すべての代表の演説が公開され、全地球人が観客として参加しようとおもえば参加できる公開世界会議が一つくらいあってもよいのに。自国の首脳の国際社会での発言力が国民にも分かり、選挙の段階から国民の選ぶ目も立候補者の志も自ずと変わってくるでしょう。)

今、世界の賢人が集まる「賢人会議」では何が議論されているのでしょう?(日本版「賢人会議」が必要な気がします。)

これから私達にどんな「艱難辛苦」や「天変地異」が襲おうとも、人類の智慧を結集してこの星の未来を拓くべきときが来ていますが、宗教をタブー視する限り、ヤバい!ということもハッキリしてきました。

いよいよ、「災い転じて福となす」チャンス到来のようです。

 

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/9f8f311f9c36b0fc4550f97e16e3c2b8

2016年08月29日 00時00分00秒 | お友達ブログ.SNS.土佐のくじらさん他

    

天変地異に関する大事なメッセージな感じがしたので転載、させていただきます

 http://blog.goo.ne.jp/kohanislakeman2016/e/ff66df56b1c1f9c36bc488da64b385a3 2016-08-28 湖畔びとのつぶやき さんより
 
第15話. 天変地異と神々 

湖畔人です。
本日は、天変地異に関して、またその天変地異と神々との関わりについて、思うところを書いてみます。

どう見ても神々の警告とも取れる様な天変地異、震災という物はある様に見えます。
歴史を見ると、政変等が起きた時や、人心が荒んだ時、天変地異が畳み掛ける様に起きた事例が過去多数見受けられます。
最近では、左翼政権時に大きな地震が来ると言うのも定説になりつつます。

日本神道の神々の意思や、それ以上の世界を指導する神々の意思がどこにあるのか、あったのか、正直言って判りかねますが、そもそも論として、神と人間の関係性をおさらいするとするならば、始めに神がいて、その神が自らの霊的エネルギー、光を分けて人類を作られたとするならば、人類は神の子達とも言えるし、神の構成一部とも言える存在となりますが、一方,

我々人類は、神そのものではないし、創造者と被創造者、全体と一部という大きな差があるのも事実と言えるかと思います。その差を知る事は人々が謙虚である為に大変重要なポイントです。

神と言う巨体を構成する細胞の一部である人類が、仮に神という全体を否定し破壊を願うとするならば、それは細胞のガン細胞化を意味する事になるかと思います。自らが自らの全体を攻撃しようとするのですから、その存在はもはや癌そのものと言えるかと思います。放置すればガンが転移し神という体全体に影響が及ぶ為、ガン細胞へは隔離処置が必要になりますね。それが霊的に見た時は地獄という存在の発生要因でしょうし、この世において大きな天変地異が誘発される要因になっているのではないかと推察されます。

神と言う全体の構成一部である人類は、その霊的なエネルギーを根源的なる存在(霊太陽とも呼ばれているようです)から受けて霊的に存在が可能になっていると思われますが、その神から受ける霊的なエネルギー、光は、神を信じ、神を畏敬し、神に感謝する事ではじめて神に戻すことが出来ると、以前聞いた事がございます。それ以外にも、他への愛の思いや、他への愛の思いを込めた親切業もきっとエネルギーの循環に寄与しているのではと推察しますが、神仏への畏敬と感謝を忘れた場合、神から受けたエネルギーが神へ戻らなくなってしまい、循環が止まってしまう。

一方神の、または宇宙のエネルギーの総量は一定とも以前学んだことがございますので、一定だとすれば、循環が止まり、どこかで滞っているとすれば、どこかに不具合が生じているはずで、全体としてバランスを崩し、体調不良を起こしているはずです。血流が滞り心臓に戻らず、何処かで血管に塊ができたり、結果、血管が破裂したり、血流が行き届かない箇所が壊死し始めたりする様な事態が霊的に発生していると推察されるのです。そうした時、神と言う全体は、その事態を正常化しようと試みる筈ですね。

神のエネルギー、血流の滞りを打開するために、神という体が、寝返りを打ったり、屈伸や背を伸び運動をしたり、様々に体を動かして血流を正常化しようと試みようとすると思うのです。その揺り動かしが、震災の様な形で現れて来るのではないかと推察されるのです。その揺り動かしにより、人類が神から受け取ったエネルギーを戻す事、畏れ敬い感謝する事でエネルギーを戻す事を人類に思い出させ、反省を始めさせ、エネルギーの循環が正常化する、復活する様に仕組まれたシステムなのではないか?と思う事があります。

ですから、天変地異の真相は、実は、人類が、神仏への信仰の欠如、畏敬の欠如、感謝の欠如によりエネルギーの循環を妨げた結果引き起こした、神の体全体としての揺り戻し作業、正常化作業の一環なのではないか?と推察されるのです。

簡単言えば人類の傲慢と不信仰がもたらした、反省せよ、基本に立ち返れ、という反作用なのではないかと推察されるのです。
よって、
人類にとって、神仏への畏敬と感謝は一丁目一番地と言えるかと思います。
神仏への畏敬と感謝は、人類が最初にすべき事、最重要事項なのかと存じます。それが最初に必要な精神態度であって、その後にはじめて様々な教えも意味を成してくるのではないかと推察されます。

畏敬とは恐れ敬う事、創造側と被創造側の違いをわきまえる事。全てを知るものと表層の一部しか知らない者の違いを弁える事。逆に言えば、そこさえ外さない限り、人類には殆どの事が許容されているのではなか?と思われます。ただ、神仏への畏敬と感謝という基本中の基本を外してしまうと、人類が生まれた本来の存在理由から大きく外れる事になるし、霊的エネルギー循環の観点から見ても、神仏への畏敬と感謝の不足は霊的光エネルギーの循環を妨げ、魂が腐り始め、壊死し始める事を意味する為、それは絶対に避けねばならず、結果、揺り戻しが起き、それが震災のような形で現れるのではないか、と推察するのです。

よって、人類にとって神仏のへの畏敬と感謝は、必須であり、外すと大変な事になる、と考えた方がよろしいかと存じます。それはむしろ情状的な物ではなく、それは仕組みであり法則なのであって、不可避であり、むしろそれを抑制する側に力の強い神々の力が効いていて、ブレーキ役を果たしているのではないか?と感じる事がございます。

いずれにせよ、人類にとって神仏のへの畏敬と感謝は、必須。
これは間違いない事であるかと存じます。
だから、ただ生きればいいというものではないし、そこそこ良い人ならそれで良い、と言う訳でもない。外してならないポイントを外してはならないのであって、人類がそもそも存在する、その大元の存在理由を外して勘違いしたまま継続的に存在する事は許されない、必ず矯正が入り、神への畏敬と感謝を取り戻す状況が出現するのではないか、とそう推察できるのです。

もちろん、積極的に人を害する悪魔のような人達が多い状態より、そこそこ良い人方が多い方が良いけれども、人類としての基本姿勢である、神仏への畏敬と感謝を忘れてのそこそこ良い人では不合格、と言う点をまずしっかり認識しておく必要があると思います。特に日本人にはそこそこいい人達は多いのですが、それだけでは足りませんよ、駄目ですよ、我々は神仏の子達であり、一部なのですから、その基本をまず押さえてください、と申し上げたいのです。


また、時々、“天変地異が神々の怒りだとして、それに関係ない善良な人達が巻き込まれるのは納得がいかない”、と言う意見も良く聞きますし、震災による死も被害も、肉体人間として当事者が悲しむのは肉体人間の一人として当然理解はできますが、もし、震災が多くの人類の、神仏への畏敬不足、感謝不足による霊的エネルギー循環の妨げにより発生しているとしたならば、まず、そもそも論として、そもそも神に作られた霊的な存在である人類として、霊性を高めるため、試練を想定して生まれたこの世において、神仏を軽んじ、畏敬を忘れ、霊的エネルギーの循環を妨げ、肉体人間としての安泰だけを多くの人類が求め始めたとしたならば、それはそもそものこの世に生まれ来る意味(輪廻の中で何度も生まれ変わっては、霊性を高め、より神仏に近い存在に成らんとする)からあまりにもかけ離れ過ぎていると言えるし、親である神仏の気持ちをあまりにも無視し過ぎだし、一体何のために生まれて来たの?と言う話になるかと思うのです。

人類は、この世に生まれて来る際、大きなリスクを想定し大変な覚悟で生まれて来ているにも拘わらず、いざこの世に慣れてくると、神仏への畏敬を忘れ、感謝も忘れ、さらに愚弄までし、霊的エネルギーの循環を妨げ、霊流の滞りにより魂が腐り始めている一群が数千万人の単位で仮に出現したとするならば、震災により一部の肉体人類が早めに霊界に戻る事による混乱と、この大量の魂の腐敗を比較したときに、どちらが深刻かと言えば、数千万人と言う大きな単位で魂の腐敗が起きガン化が拡大してしまうダメージの方が、神の視点から見た時に、ずーーと深刻に見えるであろうと言う事は容易に想像がつくと思うのです。


人はいずれ皆あの世に帰ります。それが大往生ならいいけど、色々です。交通事故もあれば、震災もあり、色々。でも皆、例外なく死を迎え、あの世に帰る定めなのです。ですから、肉体の死より、魂の死をもっと気に掛けるべきなのです。

それに、群業という視点も大事です。日本人は日本全体の群業を共有しています。群業としてメリットもデメリットも両方を共有しいているのです。多くの国民は一部の偉人達により築かれた繁栄の成果と恩恵を享受しています。日本の競争力も今ある国際的地位も、偶然の産物だと思いますか?日本人が優秀だからですか?日本人の努力だけで成せたと本当に思えますか?私は、そこには大いなる意志を感じます。神道の神々の熱意と、元々の神道系の人材の豊富さと、それを後押しする地球規模の指導グループの支援があって始めた成しえた成果としか見えないです。

数多くの神々がここ200年間ほどの間に日本に相当数継続投下されて来た成果、と言う風にしか見えません。経済界、政治、科学、芸術、スポーツ、宗教、その他と、綺羅星のごとく、相当数の神々が多分野で継続的に多数活躍してきた成果が、今のこの奇跡的な繁栄を成した国、日本の姿であるとしか見えないのです。世界を見渡せば、紛争と貧困に喘ぐ国ばかりです。どれだけ恵まれているか、どれだけありがたい環境下にあるか、日本人は知るべきです。そして、日本人としてその恩恵を受けるなら、国民が過ちを成した結果受けるデメリットも共同責任者として群業として受け入れるしかありません。

何も日本がこれだけ繁栄を謳歌しているのは、日本人だけに楽にさせてやりたいと依怙贔屓な神々が酔狂に思って実現している筈もないのです。理由があり、働きを期待しての今の繁栄があるに決まっています。これから世界に向けて手本となってもらいたい、役割を担ってもらいたいと、地球規模の指導グループが日本神道を支援しているからに他ならないはずです。
それは、本来の神々が人類に託した意思、その原点、それを日本人にしっかり再確認してもらい、理解し体現しもらい、広めてもらい世界で共有してもらいたいのだと推察されます。そして東西、南北、新旧の価値対立の懸け橋として、バランサーの役割を期待されているのだと推察します。

その事実を薄々感じ始めてからもう25年も経ちました。1/4世紀すぎてやっと行けそうな感触が出始めています。それなのに、未だに神仏への畏敬と感謝を忘れ、気づけは己の肉体生活の安泰ばかり気に掛け、国の外で起きている多くの悲劇には無視を決め込み、他国に物を売って得た繁栄を忘れ、私は知りませんと決め込む、終いには神仏を軽んじ裁き始めている輩すら見受けられます。そんな体たらくは、何も神様に怒って頂くレベルの話ではありません。私の如き一般人でも許せない!と思えてしまいます。
日本は期待されているから、良く叱られもします。だから神々の期待に応えないといけません。

また、注意が要るのは、
神の意思を受けた一群の方々への迫害は、神仏への畏敬や感謝を忘れるのと同義ですので、これにも注意が必要です。嘗て古代アトランティス末期では、神意を受けた一群の方々が現れ、神の言葉を述べ始めた所、それら神人達は捕らえられ処刑をされるという悲劇があったと聞きます。結果、一夜にして栄華を誇ったアトランティス大陸が海没をすると言う極端な事件が起きたと聞きます。誰が神位を受けた方々か見誤ると、最悪、そこまで行ってしまうのです。ですから、誰が神意を宿しているか、その見極めのセンスも我々は問われていると思います。

嘗て、米国に眠れる予言者と呼ばれたエドガー・ケイシーと言う方がおりました。

彼は、嘗て“the greater portion of Japan must go into the sea“と言う予言を残しました。東日本の大震災の際、東北の港町が津波に呑まれる映像を見ながら、ケイシーはこれを見たのか、と思ったものですが、最近の政府のおかしな動きを見ると、あれでは無かったのかもしれない、と思い始めています。

勿論、反省があれば良いのですが、多分改善は見られず、大きな災いを招くのではないかと思う今日この頃です。しかし、我々は霊的な存在です。何があっても、すべきをするだけ。ベストを尽くして参りましょう。

湖畔人


元禄地震 1703年12月31日2時ごろ 相模トラフ最大の巨大地震 更新

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2 コメント

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日本の繁栄 (中村養一郎)
2016-09-13 19:45:04
マッカーサーの亡霊(自虐史観等)と、マルクスの亡霊(無神論等)が追い出さない限り、これからの日本の発展、繁栄はありませんよ。
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Unknown (megamiyama)
2016-09-18 07:43:19
日本に発展・繁栄の神が降臨していることを信じさえすれば、、自虐史観も無神論も消えてなくなるのですが…

知的とされる人ほど疑い深く、いつの間にか「信じる」ということが一番難しい時代になってしまいましたね。

が、「信じる」ことより「疑う」ことの方が容易いのは、アタリマエ。
日本人が一度見失った神への感謝と尊崇の念を取り戻すことがそう簡単ではないのも、アタリマエなのかも知れません。
ましてや、「新しい神」を受け入れることなど、普通出来ることではないですが…

いつだって世界に先駆けて、”世紀の難事業”に取り組んでいるのが、日本であり、日本人のようですね!

それだけ、神に期待されているのでしょうね~

なんせ、イエスの父であり、アラーの神であり、ブッダであり、ヘルメスであり、オシリスであり、ムーやアトランティスの神である方が、日本に降りられるのですから、「どんだけ~宗教統合の時代やネン!!!」と思います。

無神論中国との戦いは、やはり宗教立国!しかないですね。
そして、アメリカが中国とウラで手を結ぼうとするなら、「アメリカの正義」の怪しさを糾弾できる国も、日本しかありませんね。
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