第995話.お薦めの思考法② 神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%=そもそも論(改)

2024-04-21 15:17:46 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

前回は、神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%、ない場合は考えても仕方がないけど、ある場合は地獄に行くかもしれないから、そもそもあるべき生き方って何か知っておいた方がいいよね、と言う話をしました。

今回は、その続きをしたいとおもいます。

まぁ宗教も多いし色んな考えがあると思うけど、やはり、普遍性があるもの、誰にとっても公平で納得感がある世界観を選択する事が大事だと思うのです。
ある民族だけは神のお眼鏡に叶うが他の民族は神の敵とか、そんな偏った考えではなくて、男女を問わず、国を問わず、民族や時代を問わず、誰にとっても公平で納得感のある宗教観を持つ事が大事ですよね。

その点からすると、つい最近まで活躍された日本の宗教家も言われていましたが、全ての人類は神の分け身魂で、一部であり、神の子達であり、転生輪廻の中、この世に何度も生まれては、様々な経験を積み重ね、その経験を通して人間の器を広げ、より神近き存在へと進化して行く事が期待されているの存在が、我々人類である、と言う見方が大分普選性があるように見えます。

一方で、その転生の修業過程の中で、他人を傷つけたり、多くの間違いを犯しがちなのも我々であり、そうした過ちを犯したならば、それらは負のカルマとして残る為、それら負のカルマを解消する作業が必要となり、その解消作業を、転生の中、この世において、逆の立場を経験する事で解消を試みたり、あの世において(特に地獄において)そうした解消作業を実施しているのが、我々と言う存在、とも言えるようです。

そうした間違いも犯しがちな存在でもある我々ですが、一方で、経験により人間の幅が段々と広がり、より他人を許しやすくなったり、より他人を受け入れられる広い器になって行く事も可能な存在が我々であり、長い意味で見れば、実は、段々と神に近づく過程にあるのが、我々と言う存在である、そう言えるかと思います。

そうした世界観、宗教観が、比較的誰にでもフェアな物の見方、と言えるのではないか?と思うのです。

どうも我々と言う存在は、神の皮膚の上に生えたうぶ毛の一つ一つのような、とっても小さな部分的存在のようですが、そんな小さな存在であっても、様々な環境に生まれては、悩み、苦しみ、葛藤をしながら最適解を求めて思考錯誤を繰り返し、改善を試し、と頑張って来た結果が、我々人類の歴史なんだろうと思います。

そして、どうも我々の本来の住処は霊的な世界、あの世、天国こそが我々の本来の住処、居場所の様です。ただ、その霊的世界は波長導通の法則が貫かれている世界のようで、自分と似た考えの、同レベルの人達ばかり集まった大変居心地が良い世界の様なのですが、でも似た者同士ばかり集まっているので、幅が広がっていかない、成長が無い世界でもあるようなのです。なので、より人間の幅を広げ、より神近き存在に進化するためには、自分と全く違うタイプに出会えるこの世に生まれて来ては、違うタイプの人達と触れ合いの中で、葛藤をし、もがき、そして自身に新しい側面を付加する事が期待されている様なのです。それがこの世に生まれて来る意味、この世の存在意義、生まれ変わりの意義のようなのです。

また同時に、修業の場として存在するこの世がおかしな事にならぬよう、この世をよりよくメンテするためにも、我々は何度もこの世に生まれて来ているようです。

なので、この世を客観的に眺めて見たならば、全員神の子は神の子なんだけど、それを自覚してそれに相応しく生きようとしてるわずかな人々と、その事実に全く気付かずに、その事実にそぐわない生き方をしている大多数の人達が共存している世界、それがこの世界の真相と言えるかと思います。

で、全員、その内に神の性質を宿している神の一部ともいえる尊い存在なので、無碍に扱ってよい人間など一人もおらず、相手を傷つけたなら、その傷つけた側には反省が要求される訳です。それを転生の中、カルマとして解消する事が期待されている訳です。相手も神、神性、神と繋がった部分を内に宿しますから、他人を傷つけたなら、それに対し、詫びを入れないといけない訳です。おとしまえを付ける必要がある、と言う訳です。それがカルマの解消の意味のようなのです。その解消は、地獄でやってみたり、次の転生で逆の立場に立ち、同じ目にあう事で解消したりとか、まぁ色んな形でのカルマの解消の仕方があるようです。

なので言いたいことは、自分が他人になした事は必ず後で自分に降りかかってくるので、余り他人に対し極端な悪さはしない事です。で、間違って傷つけた場合には、できれば面と向かって、それが無理でも心の中では必ず詫びる事です。これは必ず相手に通じるようですし、カルマの解消の最適な方法のようなのです。なので、すぐに詫びる事、それが大事な対応法です。

逆に他人にナイスな事をすれば、そのナイスさが徳として、幸運として、人気として、必ず本人に返って来る事になる、と言えるかと思います。なので他人にはナイスにしまくるべきですね。

あと、本来我々は、霊的な存在なので、あまり肉体付随の快楽に引っ張られ過ぎないようにする事が大事です。人生に多少の潤いは要るけど、でも、快楽に依存し過ぎないようにしないといけません。引っ張られ過ぎないようにしない行けないのです。そこが間違いの元ですからね。そもそも精神面の強化がこの世に生まれて来る意味なので、欲望に振り回されると、この世に生まれて来る主旨にそもそも反する状況なのです。だから、快楽依存は御法度です。そこは外せないポイントなのです。欲望をコントロールする事が大事なのです。

なので、やさしさ、勇気、説得力、友達力などコミュ力、集中力、耐性=我慢強さ、神への信仰、相手の内の神性や仏性を信じる力、他、色々あるけど、そうした精神性の強化が大事です。

後は、清潔感とか、笑顔とか、褒める力とか、体力、知力、知識、そうしたテクニカルな部分も意外と重要なのです。

来世に向けて使える神の手足になれるよう、いろんな面を強化したいですね。

でも、まずは自分が神の一部、神の子である、と信じる事です。それが分かればもう貴殿は全てを既に持っており、既に満たされおり、既に幸福なはずなのです。

そして、周りの全ての人達も、皆、神の一部であり、彼らも例外なく神の子達なのです。それを信じ、彼らを心で祝福し、心で励ます事です。

もし仮に、自分が神の子として、それにそぐわない様な状況下に置かれていたとして、その場合は、多分、自身にそれを呼び込むような、まずい点があるはずです。そうした問題点が自身に無かったか、客観的に自己点検をし、あれば、それを見直して改善を繰り返して行く事です。それは、見た目かもしれないし(清潔感)、過去の言動かも知れないし、自己保身的な言い訳かも知れないし、色々あるでしょうけど、それがなんであれ、冷静に自己を客観視して、自分を神の子として相応しい感じの良い人に仕立て上げて行く事が大事なのです。そうした改善を繰り返し、重ねて行けば、必ず、神の子に相応しい状況が自身の周りに出現して来るはずです。

滑稽で、間抜けで、恥ずかしい、失敗だらけの人生が普通の人の人生です。でもそれこそが普通の神の子の人生なのです。決して、悪びれず、偉そうにもせず、卑下もせず、明るく謙虚に朗らかに生きて行く事が大事ですね。

では。

湖畔人

(2024.4.24改訂)



第994話.お薦めの思考法① 神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%=あると考えよ

2024-04-21 15:12:48 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

今日は哲学と言うか、生き方やこの世の見方について少し。

神がいるかいないか、その確率は半分、50%ですね。確率として半分、なのです。

神がいる場合、神が人間に期待される生き方があるのが普通だし、また、神がいる場合、霊的な世界、あの世が同時に存在する、と考えるのが普通であり、また、あの世がある場合、あの世の行先は、生前の生き方の評価として天国や地獄に行く事になる、と言う意見が多いのも事実です。

では、神やあるべき生き方や死後世界がない場合はどうなるか?
ない場合は、どうせ死ねば何もなくなり、考える事すら出来ないので、その場合の死後の心配は不要ですね。

では、神やあるべき生き方や死後世界がある場合はどうなるか?
ある場合は、貴殿が生きたその生きた行動や思考の歴史が神の評価基準に沿って評価され、多くの方にその恥ずかしい生き様や思考の歴史を映画館の様に観られ、振り返られる事になるようです。そして、”こんな生き方や考え方じゃ、もう、ここに行くしかないよね?”と言う事で恥ずかしい思いをしながら、その生き様に沿った場所に帰る事になるようです。

天国的な立派な生き方をされた方々は、あまり心配はいりませんね。

問題なのは、恥ずかしい思考や行動で多くの方々に迷惑を掛け、地獄に行きそうな生き方をしてしまった場合です。

現代社会では多くの方が地獄に行く事になるようですね。でも、地獄とは言っても、あくまで、反省や問題点の修正の場なのであって、キリスト教世界で言われるような永遠の行先では、どうもなさそうです。なので、反省さえすれば、良いのであって、もし仮にそうした地獄的な場所に行くことになったとしても、これは自身の問題点の修正や自分が危害を加えた方への詫びの為の場や期間なのであって、迷惑をかけた相手には心から詫び許されれば、どうも元居た天国に行く事になりそうです。なので、永遠に出れない場所として考え悲観する必要はありません。

自分も煩悩の塊のような生活が長かったので、ちょっと下に行くかもしれませんが、少なくとも、自身が死後置かれる状況は自業自得の結果であり、問題があるからそうした暗い世界に行くのであって、問題点は何だったかしっかり考え、迷惑を掛けた相手にはしっかり心から詫び、わだかまりを取る事が大事であると言う自覚はあり、もし下に行った際には、しっかりと反省をしたいと思っています。

今回はここまで。

次号では、神の期待されるあるべき生き方とは何か?そもそもこの世に生まれてくる理由とは何か?次の号で考えてみたいと思います。

では。

湖畔人

第993話.近況報告2024年4月14+気になった音楽(395)井上陽水『いっそセレナーデ』(109)山口百恵『さよならの向こう側』2回目

2024-04-14 16:37:24 | 気になった音楽
湖畔人です。

さて、今週も音楽、それと近況報告を組み合わせます。

桜も我が家の周辺では大分散りが進んでおり、地面がピンク色に染まっていますが、桜はやはり別格感があって、その佇まいには目を見張るものがあります。ただ、皆さんが桜の下で宴会をしているような陽気な感じと言うよりは、何か物悲しい感じ、憂いと言うか儚さを強く感じるのです。

その物憂げな桜を眺めていてふと頭の中に流れた曲が、今回ご紹介する二曲でした。

まずは陽水さんの『いっそセレナーデ』です。
別にこんな甘い思い出が個人的にある訳ではなく、と言うかあるはずもなく、どちらかと言うと、この曲調にある物憂げな感じが、あの桜の佇まいにピッタリ合ったから、ああして頭の中であの曲が自動再生されたのだと思います。本当に少し悲しげなのです、サクラと言う樹はね。

また同時に桜には輪廻や永遠も感じるものがあります。日本人の春の風物詩として存在する桜は、この後、葉桜となり、秋には葉が散りまた春に淡い花が再生される訳ですが、そのサイクルに輪廻や永遠性、宇宙、神仕組みを感じるのです。その壮大な感じが、百恵さんの『さよならの向こう側』と通じるのです。あの宇崎竜童 阿木燿子夫妻の永遠の名曲ですね。ここでは二回目ですが、日本が世界の誇る傑作かと思います。

近所の大きな桜の木を見ていると、この曲が頭の中に流れるのです。
あと、いい日旅立ち、もだけどね。

さて、世事ですが、

大谷君、24億円も奪われていたのですね。もう破格過ぎて意味不明です。でも最近は好調でHRも連発ですね。野球に集中してこの霧もやを吹き飛ばしてほしいですね。

さて、イスラエルとイランでは緊張が高まり、イランは打ち止めと言うけどこれで収まるか不安ですね。
グローバリスト達はどうやっても第三次大戦をし掛けたくて仕方がないようなので、先行きは不透明です。

そのグローバリスト達の大仕掛け、WHOが5月の総会での採択を目指すパンデミック条約、それに反対するデモが昨日池袋であり、
2万人近く人が集まったようですね。
凄いですね。自分は忙しくて参加は無理でしたが、皆さん、立派ですね。

日本も捨てたものではありません。
もう5月も直ぐですからね。
上川や岸田等グローバリスト達の好きにさせてはいけません。

では。

湖畔人

第992話.近況報告 2024年4月7+気になった音楽(34)Julian Lennon『Valotte』2回目

2024-04-07 15:04:23 | 気になった音楽
湖畔人です。

さて、今週も音楽、それと近況報告を組み合わせます。

前回はジョンでしたが、今回はジョンの最初の子、ジュリアンの名曲、ヴァロッテです。ここでは二回目ですね。まるでジョンが乗り移って作ったかのような楽曲、珠玉の名曲です。お薦めします。自分のYoutubeサイトにもアップしました。

さて、何気にまた忙しいですが、大きなイベントは過ぎたので、自分への区切り目として久々に二郎に行きました。久々でしたが、多分ペロリと行けるだろうと思って舐めていましたが、思ったよりキツかった。完食できるかギリギリでした。小でしたけどね、小でも他の超特盛より多いのが二郎なのです。でも最近はコンビニでもあの味は味わえるのです。多分、千葉の大勝軒系列の店が監修だったはずですが、何故か違う系列の二郎を完璧に再現しています。でも店での量はあのコンビニのやつが4、5杯分入っているイメージです。でも帰りの車の中でエドガーケイシー系の健康に関する動画を流しながら帰ったのですが、彼曰く、ポークとフライドなものが御法度とのことで、二郎と言えば豚なのでケイシーに指導されたら叱られそうな食事をしていた訳です。どうも豚も沖縄料理の様にしっかり煮て脂肪をとったら良いようですがね。調理法次第のようです。後はケイシー的には、トマトとナス系とポテト、揚げ物、トウガラシが皮膚の疾患にはNGとの事でした。1~3月の激務で海外にも出て体調崩してそれ以来米が食えなくなってしまって、代わりにパスタばかり頂いていたのですが、特にペペロンチーノばかりをね。そしたら、実はトマトとトウガラシが皮膚に良くないのだそう。どおりで皮膚がおかしくなる訳です。フライドポテトも好きですが、ケイシー的にはダメみたいです。唐揚げもNGらしい。困ったね…。まぁ理想は理想なので、ほどほどに聴かないとね。

さて、話は変わりますが、大谷君、やっと一発が出て、二本連続で打ちましたね、山本投手も好投で一勝目と良い流れが出始めました。是非、ここから調子を上げていただき、HRも量産していただきたいですね。

さて、世界ではあのアホでクズなブリンケンがウクライナのNATO加入について言及しましたね。それがレッドライン=核攻撃=第三次大戦になるからやるなってずっとプーチンさんが言っているのにね。よほど、世界大戦を実現しないと彼らのバックにいる存在に叱られるのでやらざるを得ないようです。自分達の内部でやり合えばいいのにね。英米仏独欧内部のDSとイスラエルで互いにつぶし合えばいいのです。そしたら世界は平和になります。

先日のロシアのテロ事件もISと言うけど、ラマダン期間中なのでなんちゃってイスラムの仕業と言われていたけど、犯人を数名捕まえ吐かせると、CIAの一部と国務省、それとウクライナ、それにMI6がチェチェンのIS系のテロリストにやらせた仕事だと分かりましたね。
退任したヌーランドの最後っ屁と言われています。本当にあの邪悪な人相の通り、邪悪でクズ中のクズな輩達ですね。

もう一つの火種、イスラエルでは世界の反対をよそにイスラエルはパレスチナ南部への攻撃を準備しています。またイランとも緊迫が増大しています。こっちも同じDSの仕掛けですが、彼らはパレスチナを追い出し、彼らの信じる予言の通り、第三神殿を彼の地に建てたくて仕方がないようです。イスラエルを建国したロスチャイルドの神、ニムロデ=モレク=バール神=神に反するもの、に捧げる為の神殿?を建てたいのです。ホント、困ったもんです。

ここ2、3百年間、人類は、彼らユダヤ改革派=神と敵対する勢力=国際金融寡頭勢力の仕掛けで一体何千万の人命が失ってきたことか、本当に迷惑だし、この地球から直ぐに出ていって欲しい。心から。

では。

湖畔人

第991話.気になった音楽(228)John Lennon『(Just Like) Starting Over 』2回目,(229)『Woman』2回目

2024-03-31 14:40:03 | 気になった音楽
湖畔人です。

激動の1stクォーター(1-3月)も終わり、ちょっと一息つけそうなタイミングが来たので、この後、もしタイミングが合えば、生き方&思想の現時点での総括、及び陰謀論の現時点での総括的なまとめもボチボチやってみたいと思っています。でも、それはあくまで気が向いたらやる予定で、その前に、まずはちょっと一息を入れて、ゆったりと音楽でも入れてみたいます。

今回は区切れ目なので、仕切り直し的なジョンの『(Just Like) Starting Over 』と『Woman』共に2回目を今回入れてみたいと思います。

この音楽コーナーはもう400回近くやっていますが、初回は達郎さんのビーチボーイズのカバーで『Guess I'm Dumb』でした。そこでも伝えましたが、無類のPOPS好きの自分だけれども、所詮、POPSですから、基本、歌の多くは、好いた、惚れた、別れた、悔しいと言った恋愛絡みの曲が殆どで、そこに何かを見出そうとは思わないけど、バックコーラスの綺麗さ、切ないメロディーラインがあって、ストリングスなど、空間の広さや風を感じさせる曲が好き、と言いました。

その意味で、このジョンの『(Just Like) Starting Over 』と『Woman』は、メロディーがキレいで、コーラスも美しく、高い空に広がるような広い空間を感じさせる曲でして、とても気に入っていますし、常時自分の中のPOPSランキングのTOP10に入る名曲だと思っています。

ジョンの代表曲は『イマジン』ですが、このブログで何度も指摘しているように、僕から見ると唯物論的ユートピア論にしか聞こえず、全く評価をしていませんが、この『(Just Like) Starting Over 』と『Woman』はとっても良いジョンの代表曲だと思って気に入っています。と言う事で自分の音楽Youtubeチャンネルでもこれら二曲に気に入った画像を付けてアップしてみました。
これから高頻度で聴いて行きたいと思っています。

では。

湖畔人