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「〜主義」の怪 by 大和心を語るねず先生

2018-01-13 09:28:33 | megamiyama

ねずさんによると、「主義」と云う言葉は、幕末に英語の「principle(根本的原理、原則)」の訳語として使われたのが最初だそう。

それが

>明治に入って、これをどこでどう間違えたのか、英語「〜ism」の翻訳語として、新聞が「主義」を使ってしまって

以来、例えば「Imperial-ismインペリアリズム」は、英語では「王族や皇族を中心とした文化」といった「ゆるい」言葉でしかないにも関わらず!日本語では「帝国主義」と訳され、ガチガチの「主義(イズム)」になってしまった

とのことです。

幕末の混乱を経た「明治」にしろ「敗戦後の日本」にしろ、欧米列強の圧迫の中で、日本語も又、無傷では済まなかった!ということが、お蔭でわかってきました。

ねずさんが暮れに書かれた「当用漢字は日本文化破壊工作の一環としてつくられたというお話も是非ご参考に!

こうやって、日本語の成り立ちや本来の意味と変化の歴史を学ぶだけでも、日本を取り戻すことに繋がるのですね。

ねずさんも又、日本が見失った「歴史」と「国語」の抜本的見直しに着手されてます。

2018年、目覚めるしかナイ、日本!

大和心を語るねずさんのひとりごと

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3632.html#more

「〜主義」の怪

「〜主義」は、敵対や対立を招きます。
そのような対立概念では、日本を見失い、世界は対立し崩壊します。
やさしさや愛は、敵対し対立するものまで包み込む力です。
愛と喜びと幸せと美しさこそ、日本文化の根幹であり、
世界の中心となるべきものです。
ただし、凛とした姿勢は必要です。

 
「〜主義」という言葉は、組織や団体の行動原則や、個人であれば思想上の立場のことを言う用語として広く用いられていいます。
自由主義、愛国主義、共産主義、アジア主義、帝国主義、イスラム原理主義、利己主義、一点豪華主義など、様々な用語として使われています。
現実主義とか、家族主義、現金主義なんてのもあるようです。

順にお話します。
まず、「主義」という熟語は、Chinaで生まれ、日本で熟語化したものです。
China語は、もともと一音一句で、熟語という概念がありません。
そのChinaの司馬遷の『史記』の巻1ー130太史公自序 第70に登場したのが、「主義」という言葉です。
そこには次のように書かれています。
「其信従者、
 下自士大夫、
 上亦至将相而止、
 主義為逐満。」
(それ信じ従うは、下は士大夫より上は将相に止(とど)むまで、主への義を満ち遂げる為なり)

ここでいう「義」というのは「羊+我」が組み合わさった字です。
羊は神に捧げる生贄で、その羊のように我と我が身を捧げるのが「義」であるわけです。
士大夫は下級役人、将相は、将軍や宰相などのお偉方です。
つまりこの文は、
「およそ役人たるものは、
 我が身を神へ捧げる羊のように、
 主君のためにすべてを捧げよ」
と述べています。

ですからここでいう主義は、
主=主君
義=我が身を捧げる
です。

我が国では、その主君というのは、天皇の部下として、天皇の「おほみたから」である領土領民を責任を持って預かる役割(立場)の人ですから、お役人(臣)が主君に身を捧げるということは、主君がお預かりしている領土領民たちを護り育むために、自分にできるすべてを捧げるのが「義」となります。

Chinaの場合、主は天帝である神の代理人ですから、主君は絶対者であり、その絶対者のために身命を捧げることが「義」ですから、日本とChinaでは、使っている漢字は同じ「義」でも、その意味するもは随分と違います。

ところが幕末に英語の「principle(プリンシパル)」を翻訳することになった翻訳家たちが困ってしまったのです。
「principle(プリンシパル)」の意味は「行動の原理原則」といったことなのですが、幕末の翻訳家たちは、「おそらくそれは、我が国でいうところの主君への義と同じ意味なのだろう」ということで、その訳語に「主義」という語句を当てたのです。
ここまでは、すくなくとも幕末の武士たちにとっての行動原則(プリンシパル)は、まさに「主君への義」であったわけですから、あながち間違いではなかったと思います。

問題はここからです。
明治に入って、これをどこでどう間違えたのか、英語「〜ism」の翻訳語として、新聞が「主義」を使ってしまったのです。
たとえば「Imperial-ism(インペリアル・イズム)」が、「帝国主義」と約されるようになりました。

英語圏における「〜ism」は、もともとは、単に一定の傾向を持った学説や体制、文化性などを示します。
従って「Imperial-ism(インペリアル・イズム)」も、意味合いとしては「王族や皇族を中心とした文化」といった「ゆるい」言葉でしかないのです。

ところが、我が国でこれが「主義」と訳された結果、「〜ism」は、身命を捧げる価値観(「主義」)という意味になってしまったのです。
つまり、コチコチになってしまった。

それでも戦前までは、「◯◯主義」は、単にカテゴリー分けして分類する際の、いわば小見出しのような役割の語としてしか使用されていなかったのです。
ですから、尊皇派、攘夷派、佐幕派、勤王などの言葉はあったけれど、尊皇主義、攘夷主義、佐幕主義、勤王主義などという言葉はありません。
そのように考える人さえもいませんでした。

ところが戦後、そこに日本的なものを破壊することが正義と思い込む人たちが、GHQの公職追放によって、世間の中核をなすようになりました。
要するに日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちなのですが、彼らは旧い日本を、帝国主義、民族主義、右翼主義などとレッテルを張って敵視し、対立し、攻撃し、破壊するための用語として「主義」を積極的に用いました。

これによって戦後の日本では、「主義」という言葉が英語の「-ism」とも違う、我が国で古来使われた「主義」とも違う、明治から昭和初期の「主義」とも違う、まったく新たな意味を持つ「主義」という言葉になりました。
まとめると次のようになります。

もともとのChinaでの「主義」=主君に身命を捧げること
江戸時代までの日本的「主義」=主君が預かる領土領民を護るために身命を捧げること
幕末の「主義」=プリンシパル(principle)の訳語で行動原理のこと
明治以降の「主義」=中心となるゆるやかな文化性(=-ism)
戦後の「主義」=敵対するためのカテゴリー区分

「〜主義」は、敵対や対立を招きます。
そのような対立概念では、日本を見失い、世界は対立し崩壊します。
やさしさや愛は、敵対し対立するものまで包み込む力です。
愛と喜びと幸せと美しさこそ、日本文化の根幹であり、
世界の中心となるべきものです。

ただし、凛とした姿勢は必要です。
我が国の神語に登場する最初の男女神は、イザナキとイザナミです。
この二神は、天の浮橋に立たれて、混沌をかきなして、オノコロ島を創りました。
そのときに用いたのが天の沼矛(日本書紀では天の瓊矛)です。
混沌としたものを、正常に戻す、あるいは築くためには「矛(戈・鉾・ほこ)」の力が必要だと我が国の神語は書いています。
不条理には、武器を持て、と神語は書いています。
要するに凛とした姿勢を貫きなさいということです。

最後に、宮沢賢治の詩を転載します。

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雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(おご)ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭(かげ)ノ小サナ萱(かや)ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ


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お読みいただき、ありがとうございました。



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