再生の精舎「聖地エル・カンターレ生誕舘」見聞録
先日の土日、徳島県の聖地エル・カンターレ生誕館に宿泊研修に行って参りました。
昨年11月に落慶したばかりで、宿泊施設は今年3月に完成したばかりの幸福の科学最新の宗教施設でして、私にとってここでの宿泊や研修は初めての体験でした。
四国徳島には、たくさんの幸福の科学の施設があって、「さすが聖地」とうらやましく思いますが、この生誕館があるのは、大川隆法総裁の生誕地である、吉野川市川島町ですので、なんとも別格な趣きがございます。
都市としての川島は、まぁ田舎と言えば田舎ですけれども、まぁ私も十分な田舎暮らしでございますので(笑)、都会の方とはちょっと感じ方は変わっていると思います。そう、そう言った意味でのノスタルジーは感じないんですね。(爆笑)
川島の地は田舎ではありますが、JRの駅前の町ですし、特急剣山の停車駅でもありますから、四国内で言えば、中の上くらいの田舎なのではないかなと。
今回、高知の田舎から、徳島の田舎への移動でしたので、まぁ目に映る風情とすれば、日常的な移動ではあって、東京ドームに向かうときのような高揚感はなかったですねぇ。(笑)
しかし、そうではない高揚感があるんです。
それは、大川隆法総裁の御生家がまだあったり、経典『若き日のエル・カンターレ(旧・平凡からの出発)』などに出てくる勉強部屋跡地などを巡ると、ふつふつと込み上げてくる感情です。
https://seichijyunrei.com/index.php?%E5%B7%A1%E7%A4%BC
それは、「本当に大川隆法総裁は、ここで生まれ育ったんやなぁ。」という思いと、ごくごく普通の家庭に生まれ、不通の青少年期をお過ごしになられた中に、「平凡な努力を積み重ねる内に、非凡なる高みに至る。(若き日のエル・カンターレより)」という「教え」そのものが、眼前に広がるのを見るのと見ないのでは、心の奥行が少なくとも、100倍くらい違っているのではないかと思うのですね。
しかもこの小さな町には、大川隆法総裁の同級生や先輩後輩、そして教鞭をとった先生方や、幼稚園の保母さんまでいらっしゃるとのことで、その中には、今幸福の科学の信者になったり、幸福の科学がマスコミ等に苦しめられたりした際に、大川隆法総裁の盾になって下さった方もいたのだとか。
大川隆法総裁のお母さま曰く、「二十歳までは普通の子じゃったよ。」とのことですが、いやいや、その信用力というのは、現場に行けば行くほど、聞けば聞くほどすさまじいものがあって、実直に、そして驕ることなき御仁なんだと思うし、でなければ、存命中に生まれた真っただ中の場所に、「エルカンターレ生誕館」など建てられるわけがないです。
http://shoja.jp/shoja-areas/chugoku-shikoku/
さて、このエル・カンターレ生誕館について、安っぽい信者ブログごときには語り切れないとは思いつつ、できうる限り、一面たりともお伝えできればと思う。
まず圧巻は礼拝堂。
さすがに内部は写真撮影もできないし、法具などの画像を貼ることはできませんが、圧倒的な霊域であることは入った瞬間に感じます。
「自分自身がとても小さな存在ではあるが、その小ささが心地よい」というのが私の印象です。
この感想は、恐らくお一人ひとり、違ったものになるのではと推測します。
そして法具の一つ一つが、全地球規模を救済の対象としていることがありありとうかがえるのですね。
本尊や法具などは、宗教にとってとても大切な秘儀ですけれども、どの宗教においても、これには一定の法則が働いています。
その法則とは、「本尊や法具は、その宗教にとって、思想そのものである。」ということです。
つまり、本尊や法具や建築物を見れば、その宗教の思想や願いがわかるわけです。
というか、その「思想や願い」以上の建築物や本尊や法具は、作ることができないのが宗教なのです。
その神の願いを実現しようとして、様々な「文明」が生まれます。
「文明」が生まれるためには、「価値」が必要で、それは「宗教」が元になっています。
しかし、その宗教の願いが「文明の限界」でもあるわけですね。
そして、色々な画像を見ていただいたらおわかりいただけるかと思いますが、幸福の科学の宗教施設は、どれも「美しい」という一貫性があると思います。
そして聖地エル・カンターレ生誕館においては、その美しさはもちろん、それになお、オリジナリティーとして、「とてつもなく、対象が広い。」というのがわかるんですね。
つまり、この教えが、どこまでを救済しようとしているかが、礼拝堂に入り、本尊を拝顔し、法具を見ればわかると。
そしてそれらを裏付ける「思想」は、既に十分にあると。
本尊が抱いているのは地球ではなく、いくつもも宇宙を包括したものですし、その横のモチーフに描かれているのは、宇宙樹(生命の樹)だと思われるのですが、これが東洋風とも見れるし、西洋風にも見えるんですが、古来から親しみのあるデザインです。
そしてその宇宙樹に挟まれるように、丸いデザインのものがあるのだけれど、これが原子のアトミックのようにも見えるし、本尊が抱いている宇宙にも見えるのですが、何か新しい感覚を感じますが、全く違和感なく理路整然と飾られている。
よく見ればこのモチーフは、礼拝堂の様々なところに飾られていて、それが全く違和感がないんですね。
そう、このモチーフには、「過去と未来と全ての価値観」というのが、混然一体となって融合している、そう「幸福の科学の思想」そのものだと思いました。
ああなんとも筆力不足で、とても書ききれないし、書きすぎてもいけない領域で難しいです。
しかし生誕館では、とても多くの奇跡が事例があります。
礼拝堂に向かう77段の階段を上った方で、ガンが消えたり、高知では、血液の病気で数か月の余命宣告を受けていた方が退院し、東京ドーム特別講演に参加できるまでに回復したりしています。
生まれ変わり、人生の再生がエルカンターレ生誕館のコンセプトとお聞きしています。
多くの方に礼拝していただきたいし、私もまた行きたいと思っています。
本日は、経典『宗教の挑戦』より、世界宗教融和に向けての思想の一面をご紹介いたします。
(ばく)
太陽の法。インカ文明。