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ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

2011年終わりに向けて

2011-12-28 16:24:05 | 日記
2011年も、あともう3日と少し。

クリスマスが過ぎて、あっという間に、仕事納め、大晦日、そして新年。2012年。

多くの人々の心に刻み付けられ、焼き付けられ、一方で通り抜けたであろう2011年が、刻一刻と終わろうとしています。「元来、時間はない」。これは私的持論なのですが、でもしかし、こうした区切りの時には、時間の必要性というものをひしひしと感じます。振り返る、想像する、予感する、これをはじめとして、自らを心の底に向かって深く深く落とし込むとき、時間というものがなければ、心の変遷の色を成すことは出来ないのではないでしょうか。 


例年であれば、いつものように、一年が終わった安堵感と新しい年への期待感で心が弾む時期なのですが、今年は、正直そうはいきません。お陰様でつつがなく仕事させて頂いておりますし、体調も少し戻ってきましたし、日々元気で過ごしております。しかし、どうしても様々に思いを巡らしてしまうこの年の瀬です。


我が国のことだけでも。

2010年年末からの豪雪。

東日本大震災。

福島第一原子力発電所事故。

台風12号、15号、16号。

こうした自然災害とともに、放射能汚染、円高、首相交代、TPP。

余りにも甚大な被害、大きすぎる犠牲。
時間も、人も、自然も、地球も・・・暴れて叫び続けた一年だったように思います。


そして、2011年が例年と異なる最も大きな点は、

「物事の捉え方、解釈の内容が、人それぞれに全く違うことが白日の下にさらされた」

という事のように思いました。

・・・うーん。
人それぞれに違う、千差万別、百花繚乱というより、いつくかのフィールドとした方がより近いかもしれませんが。。。


捉え方が違うということは、見えているものが違う、聴こえているものが違うと言っても過言ではありません。世界と時間は誰の前にも平等に広がっていますが、180度が視界に入る人と、60度分だけ見る人がいるように。一方360度前方向にオープンな人もいるでしょう。それが明確になっていき、そこから何がどうなっていくか。。そこから形作られていくものが、2012年の特色の一つになるかもしれませんね。


今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりが、それぞれの光で照らし照らされてゆきますように。

落陽~冬至前日

2011-12-27 15:19:06 | 日記
今年の冬至は12月22日でした。

普段から然程には夏至や冬至を気にすることはありませんが、やはり一つの分岐点なので、行ける方は神社にお参りに行ったり、御自宅でも心静かに祈る時間を持たれると良い日ではあります。

また、夏至は太陽が最も咲き誇るとき、冬至は太陽の生まれ変わりのとき、と言われます。
冬至は日本でもそうですが、外国でも「新年」とされ、古代では大いにお祝いされてきました。

冬至。一年の内、最も太陽が低く、日照時間が短い日。

最も夜の時間が長く、最も「死」に近い日とされると同時に、この日を境に一日一日と日照が長くなる日です。また「一陽来福」・・陰極まり陽となり福がやって来る日と、人々は代々、闇や死という非常に「暗く冷たい世界」と「未来への希望」は紙一重ということを理解していて、それを明確に体現し、私たちに教示してくれる大自然、大宇宙の叡智を敬い続けてきたのではないでしょうか。


ここでも何度も書いていますが、陽はまた昇ります。そしてまた昇るためには沈まなければなりません。しかし、これが、同時に「未来への希望」なのです。それが巡る理(ことわり)、日本を現す数字の「8」の理です。ノブレス・オブリージュ=貴人の義務もまた同じでしょう。

持てる物は与う=能う。誰しも、持てる分を与う=能う。

溜め込まず、巡らせて。
自分が与うものは、最善で必要なところへ辿り着いてゆきます。そして自分にも、最善に必要なものがもたらされます。巡るのですから。

ではその出所は、起点は、と言うと、持てる者からだと思うのです。現状では、持たない人ほど与おうとしているように思います。そして持てる人がその与えられたものを取り込み、益々肥え続けているのではないでしょうか。持てない人が与えられるのは、物理的に考えても量としては絶対的に少ない。単純に考えても巡りの力は弱くなります。結果、停滞してゆきます。

そして「8」ではなく「7」へ傾斜していっているのが現在の日本の風潮だと感じます。「死と再生」ではなく「死」で止まるのが「7」です。半数以上の方が輪廻転生を信じていないと言われるキリスト教に関連が深く、「罪」「罰」「突出したもの」「才能」も関連する数字です。

しかし、西洋にはノブレス・オブリージュの精神が根付いています。
キリスト教には輪廻転生の思想はなくとも(現在では、多くの信者、司教の方々も同意し始めていると聞き及びますが)、弱者を助ける文化があります。確かにこれも、現在浸透しているかと問えば全面的にYesとは言い難いのかもしれませんが、ただ、その継がれし思想や文化によって、自分を、自分が持てる分、他者に明け渡すという「巡り」の文化とバランスが取れているように、私個人的にはそう感じています。

持てる者が持つものは、持たない者に与うために。
そのために、持てる者は、その持てし力を授けられています。






冬至の前日21日の夕刻、落陽を見ました。

躍動と力強さを感じる雲、そしてその切れ間より光の帯を惜しみなく地に降らせる落日。
何だか・・・

「やるだけやった」

そんな言葉が聴こえてきそうな光景で、2011年冬至前、新しく太陽が生まれ変わる前の最後の陽に相応しい・・・と思わず胸が一杯になったこの落ちようとする陽でした。この御姿を見て、沈むこと、落ちることへの不安。更に言うと、これらの言葉で表現するときに生じる観念から引き起こされる感情。それらは「恐るに足りぬもの」と教えて頂けたように思いました。


最後に冬至に最も相応しい曲ではなかろうか、とチョイスさせて頂いた曲を。
美しくも哀しい、しかし、これ以上の力強さ、光射す方へと思える曲もないのではないでしょうか。

Tokyo Jihen - Rakujitsu



今日も最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの楽しく健やかな一日でありますように。



約束を守って ~オオデマリの花言葉~

2011-12-19 18:18:05 | 日記
最近はブログを更新しても散文しか書けず、大変申し訳御座いません。

気持ちと時間が追い付かず、なかなかしっかりしたものが書けません。twitterの転載ブログとなってしまっておりますが、ご訪問して下さる皆様に改めて御礼申し上げます。心より有難うございます。ご訪問が何より私の励みとなっています。

今日も少しですが、書かせて頂きます。
お付き合い頂ければ嬉しいです^^


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最近、つとに思うのが「直感」について。

私はこう見えても、結構「根拠」重視なのです。
今となっては殆ど覚えていませんが、直感や感覚に関連して、恐らく痛い思いをしたのだと思われます^^; 且つ、ロジカルな考え方をする人に非常に憧れを頂いていました。巷間耳にする「頭の良い人」「頭の切れる人」・・・こんな人間になりたくて仕方ありませんでした。これは、出所は父親だと思います。父は非常に頭の良い人で、加えて、ソフトでスマートに物事を対処する人です。その娘なのに、私は何てのろまなんだろう、何て足りてないんだろう、申し訳ない。。。そのような気持ちを抱いていました。

諸事情あり、父が男子誕生をとてつもなく強く願っていたことを薄々感じていた私でした。私の下に生まれたのは妹。「お前が男だったらな」ふと漏らした父の言葉に、性は変えられないけど、何でも男の人と同じくらいに出来るようになろう!!ある時、そう決心したみたいです。

決心と書きますと「よし!」と握りこぶしでも作って

「私、がんばる!!」

とでも思ったように、つい想像されてしまったかもしれません(私だけ?^^;)。

恐らく、違います。
「ふーーん、そうなんだ。。お父ちゃん、可哀想。。。」と、淡々と思ったんじゃないでしょうか。しかーし、それが超強力、スーパーハードな鋼(はがね)となり、その後の私の心を決定付けることになりました。


・・・と話は脱線しましたが、という経緯もあり「理論的である」「頭が良い」そういうことに執着していた節があります。と言いましても、社会人生活、少なくとも最初の10年間はその切望する像とはまるで真逆で、感情爆発、ヒステリック、エモーショナル、総合して "何事もToo Much" という社会人としてはあまり望ましくない姿でした。

そこで痛い思いを・・・だんだん思い出してきましたが(笑)・・・沢山いたしました。私は学習能力も乏しかったので、それこそ、何度も同じことを繰り返しました。


しかしその後は、私なりにがんばりまして。
ただ、ロジカルになったはいいですが、反対に感情や直感を押し殺す方向に行き過ぎてしまいました。元来" Too Much系" ですので、振り幅がイチイチ大きいのですね。Too Muchなので感動したがりですし、感情も直感も豊かな筈なんですが、今度は、根拠を見出せるものだけにOkを出す習慣が出来上ったのです。


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ここ一年ほど、今までの私の価値観や常識、培ってきたものの判断では理解の範疇を超えるようなことが続いていました。それでも先述したように「根拠ありき」の習慣が強力に上書きされているために、ずっと否定、もしくは、少し気にかけてはスルーを繰り返してきたみたいです。「みたいです」と言うのは、「否定してきた」ということも、つい先日知ったばかりだからです(笑)

それから徐々に自分の直感に目を背けないようにし、心を傾けるようになったとき、一つの思い出に行き当たりました。


旧ブログでの記事ですが

古代ローマとオオデマリの花

2年前のこの時期、東京・上野公園内の国立西洋美術館に「古代ローマ帝国の遺産展」を鑑賞したときのこと。記事中にもありますが、「約束を守って」の言葉に「マイッたなぁ・・・」と、つい苦笑いで反応してしまったこと。

この日は古代ローマ展ですから、古代ローマかイタリアに関することとばかり思っていたのですが(と言うより、すっかり忘れていたというのが本音ですが)、これは、古代日本でのことを示していたことが分かりました。

今はそのものを写した写真がないのですが、この日館内でベネチアンガラスの指輪を買いました。これぞ本当の海の色!と感嘆してしまう真っ青なガラスの中に、金が散りばめてある指輪です。これもベネチアンで創られたものですから、関連するとすればイタリアだとばかり思っていました。しかし、この「海に金=水に金」は、古代日本の祭祀に係わることのようです。

本文でも、

>古代ローマ帝国・・・思想や民族性で、日本との共通点が多々ありそうな気がしました。

とは書いていましたが、ここで起きた出来事は、どうう考えても「イタリア絡み」としか思えない事ですし、しかし私にとっては、実は日本を指し示していたという不思議。これも直感に素直になり思考を自由に泳がせてみたからだと思います。


どうして2年前は「マイッたなぁ・・・」としか反応できなかったのか。
あの日、この言葉を発したとき、私は何を思ったのか。

それはここではシークレットとさせて頂きたいと思いますが、このオオデマリの花でさえも・・・小さな花が沢山集まったこの花・・・も確実に今を指し示してくれていることに驚いています。

そしてまた、これもイタリアにも関係していることかもしれないですしね。ここでも、枠を決めず、素直な気持ちで、みずみずしく活き活きと直感を愉しめればと思っているところです。


「約束を守って」

「はい」

2年経って・・・ようやく頷けます。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました☆

今日も皆さん一人ひとりの掛け替えのない想いがちゃんと届く、そんな一日でありますように。
 


友達

2011-11-25 15:35:47 | 日記
年の瀬が近付いてくると、

「忘年会しよう」
「今年最後に、一度ご飯でも食べようよ!」

という会話やメールのやり取りが増えてきます。


ふと思うに。。。

こんなに有り難いことって、ありません。本当にないと思います。

ふとメールできる友達、ふと電話できる友達、ふと思い出せる友達、何年かブランクがあっても時がすぐに戻る友達、しんどい思いを話せる友達、楽しかったことを報告できる友達、頼ってきてくれる友達、痛みを共有できる友達。。。。


と、言うのは、

私は、本当に友達が欲しかったんです。


友達がいなかった訳じゃないけど、沢山いませんでした。
一時、古くからの友達が一挙に疎遠になって、本当に寂しかった時もありました。友達ってもちろん数ではないけれど、でも「友達100人できるかな?」の歌のように、私はたくさんの友達が欲しかったし、交流したいと望んでいました。


3年前に始めたセラピーやカウンセリングの勉強。心理、精神、哲学への更なる傾倒。
一緒に学んだ仲間たち。どんどん同じ志を持つ方との出会いが続きました。そして友達になりました。少しずつ友達が増えていきました。そして疎遠になっていた旧友達とも交流が戻ってきました。


この、つい3年前まで、私は携帯メールが怖くて出来ませんでした。
全く出来なかった訳ではないけれど、でも、携帯メールってあまり長文は送らないし、基本的には返事はすぐに戻ってきます(まぁ、人それぞれのペースや、その時々の事情もありますね)。でも、私はこの「すぐ」が怖くて・・・相手の反応がすぐに返ってくるのが怖くて、携帯メールが本当に苦手でした。PCだと返事に数日空いても普通かな~なんて思っているので、その間に心を落ち着かせて返事を待てるのだけれど、携帯だとすぐに返事が返ってきちゃう^^;。。。これが、もうホントに心臓に悪かったのです。

だから、少しでも、自分の心を守るように、まずは自分にとって衝撃が少ない返事がもらえるように、そこまで先読みして文面やニュアンスを考えて送信文を作っていました。一つのメールを送るまで、2時間30分くらい掛けたときもありました。

結局、こねくり回し過ぎて・・・「何が言いたいのか分からない」「何をして欲しいのか分からない」という反応が多くて、それでまた落ち込んでしまったり。


今ネット上で、例えばこのブログやtwitter上でも交流させて頂いて、あの頃に比べたら、もっと自分を出せていて、本当に幸せだなぁ。。。いつの間にか、私はこんな幸せなんだなぁ。。。としみじみ思う今日この頃です。


友達が欲しくて、私を理解してくれる人が欲しくて、
上手く話せない私の話に耳を傾けてくれる人が欲しくて、
気楽に、情熱的に、でも優しいコミュニケーションがしたくて。

あの頃・・・今の私は、まったく想像していなかった私です。

皆がくれた、笑顔、励まし、激励、ダメ出し、強面(こわもて)の優しさ、言葉を越えた思いやり。喧嘩したことも、どうしても距離を縮められなかったことも、結果的に今離れている人も。


全部に、心の底から、ありがとう。
何度でも、この先も、ずっとずっと、ありがとう。
私はあなた達に、何かを返せていますか?



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの楽しく健やかな一日でありますように。


内なる太陽と自由

2011-10-05 17:58:25 | 日記



何の花だったか名前は忘れた。いや、知らない?
でもこの一面の黄色。圧巻ですね!如何でしょうか?

まるで子供の、元気しか詰まっていないような、頭使ってないような(笑)そんなエネルギーを私は感じます。頭使ってない、とは言葉が過ぎましたが(ほほ ^^;)怖れや不安や小ざかしさがないエネルギーですね。今を身体一杯、心一杯で楽しんで、転げ回っている子供のイメージ。


私はチャクラは詳しくないのですが、この色は正しく第3チャクラの色ではないのでしょうか。

自己、自律、自立、個性、主体性。
喜怒哀楽、感情、意志、火、日、太陽。
自分自身をを照らす太陽、火を育てること。自由。

「自由」とは、枠の外に飛び出して獲得するものと思う人もいれば、場所の問題じゃない、環境の問題じゃない、自己の確立のことなんだと思う人もいます。限りなく完全に近い形で自分で自分を理解できていて、その自分の意志に添った行動ができること。それが自由な人なんではなかろうか、と私は思っています。


このブログのコピーにもしている通り、私が求めて止まなかったのは、

生きる勇気と希望。そして覚悟。
魂の自由と真実。


もちろん、現実的には、もっとたくさんを望んでますけどね(当然!)。
自分では欲深なんじゃないかなー、と思ってます。



今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。

今日も皆さん一人ひとりの祈りが届く一日でありますように。