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ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

バランス感覚。

2016-09-05 12:49:32 | 日記
いつも、身体がしんどく、心がしんどく、それを何とかしたくて駈けずり回ってきたように思います。
そういうことを思い出したのは、最近、乗り物酔いが多くなってきたからです。私は、小学校高学年になるまで、車、バス、電車はほぼダメで、母方の田舎の九州に行くときも、私が酔うので寝台列車でした。(寝てしまえば何とかなるので。。でも寝台列車は、それはそれで楽しかったです)

乗り物酔いは、自律神経失調の一種ですよね。
私は常に身構えてしまう気持ちの部分があり、不安と緊張状態になりやすい性質です。他人の目をいつも怖れ、リラックスしたり、気楽に考えること、気分転換がすごく下手な猪突猛進型です。自分でも、極端なところがあると思います。いつも交感神経が圧倒的に優位で、その場合に起こる病気と症状関係を調べたら・・・心当たりがたくさんありました。お蔭さまで大病には至っておりませんが、近年、最も気持ちが落ちたのは、味覚異常になったときで、これも、交換神経優位から起こる症状の一つでした。

昨夜の夢も、現在の私の心理状態を如実に表していました。
内容は割愛しますが、結局は、自分自身に腹を立てていることがよーく分かりました。

でも、自分自身を尊重でき、自分自身を操縦しながら、色鮮やかに生きていくことは可能だと私は信じています。目指すところは、ノーストレスです。ストレスが生まれても(それが自然だと思いますし)、そこにオープンになって、活かせる方法を体得していきたいと考えるようになりました。

ここまで書きながら、私自身、バランスを失っていたんだと実感できました。
今必要なことは、バランス=均衡感覚(自然の力と言っても良いかもしれません)を私に戻していくことと理解は出来たのですが、そこへ移っていくことに抵抗が残っています。何故なら、それは、今のステージから「下りる」というネガティブイメージが私の中に根付いているからです。けれども、やっていくつもりです。「下りる」ときに痛い思いもするかもしれないけれど、その先を楽しみにしてる私自身をも感じているので。

でも、今のステージを「上」としているのも私が創り上げたイメージで、なのに、そこに私自身が苦しんでいるのですね。自作自演劇・・自分で勝手に苦しんでいると言えばドライ過ぎる表現になりますが、そうやってバサっと切り捨てるのでなく、私の創り上げてきた世界を、認めて、受容し、見送ることなんじゃないかと思いました。

私、本当にバカみたいと笑ってしまうのですが、「優秀である」ことが(一般通念の物差しで測れば、私はまったく違いますが)親への義務と、私の精一杯の愛情表現だったようで、出発は、一点の曇りもない、尊い意志のもとに積み重ねてきたものだったのだと、書きながら気が付けたようです。見送れるといいなと思います。


今日も最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
今日も、皆さん一人ひとりの良き一日でありますように。

暖かかった冬の雨。

2015-12-12 00:54:00 | 日記
昨日は私の住む京都も大雨でした。と言っても、日中は大阪で帰ってきたのは深夜だったため、一日中雨が降っていたかどうかは…どうだったんでしょう。ただ、京都駅からタクシーに乗ったあたりからザブサブと降ってきました。

この雨は、巨大な氷が溶けたものだな。。そんなイメージがふと浮かびました。大きな氷の塊がドカっと割れて、溶けてできた雨。それは涙のような、喜びのような。そこには、何らかの感情が溢れていたのを強く感じました。今日も三重県では25度を超える「夏日」だったそうですが、昨夜も冬の雨とは思えないほど、そして気味が悪いくらい暖かい夜でした。

12月22日、今年の冬至(1年で最も夜が長い日)を間近に控えてこの温かさ。しかも夏日。それが伊勢のある三重県。不思議な巡り合わせを感じます。そして、約1年前、2015年元旦の京都は記録的な大雪でした。

12月10日と1月1日。
同じ冬という季節の中で、そしてほんの20日の間なのに、現実には大雪と夏日が起こったのですね。

このように天候も不安定なこの頃です。
ご体調を崩されませんよう、どうぞご自愛ください。


今日も最後までお読み下さりありがとうございました。
今日も皆さんの健やかで愉しい一日でありますように。


2016年手帳

2015-10-08 22:50:25 | 日記
早速2016年の手帳を買いました。11月始まりの「ジブン手帳」です。
今年もこの手帳でスタートしたのですが、2月にカバンの盗難に遭い、それから別の手帳を使っていました。
その時点でどこも在庫がなかったのです。アマゾンでも10,000円くらいの値が付いていて諦めました。

まだ10月の始めです。
鬼に大笑いされそうですし、また、時間を先追いしているようで、正直私の好みのやり方ではないのですが、
いつも12月に翌年の手帳を買い、利用方法について色々構想を練るも、結局ぼんやりと使い始め、有効な使い方をしないままになっていました。それならば、せっかく11月始まりの手帳を存在しているなら今から始めてみよう!!と、まずは早速11月の予定を書き入れました。(今までとは違うやり方をしてみようという事です。)

ただ今のところは、これだけでなく、複数の手帳併用を考え中です。

手帳の使い方で日々は変わってくると思うのですね。
一緒に買った3色ポールペンも、びっくりするくらい書き易くてラッキーでした!!

一応買ったのはこちらです。

uni3 ジェットストリーム3色ボールペン 0.7mm
ボールペンジプシーでもありましたがこれは良いです!

コクヨ・ジブン手帳
今も結構な値段がしますが、それでも値が上がっても良いので、紙質をもう少し厚くして欲しいと思ったり。。

あと、Campus手帳ダイアリーも来月には買う予定です。
書店でもすでに実物を確認しましたが、とにかく一冊は手元にあれば何かしらに有効に使えることは間違いなしの逸品。

また、手帳利用法について読みたい本がありましたが、アマゾンの「欲しいものリスト」にクリップしておくのを忘れてました(残念)。


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2015年と2016年、この移り変わりを感じる季節となったとき、今年は「破壊」と「再生」の年だと思いました。そう言えば、以前このブログでも似たようなことを書いていたなと検索したら、確かにありました。

2016年はどうなるか?と言うと・・これは個人的推察に過ぎませんが、

「高速」

です。


そして2015年の終わりに向かって、私がピッタリだと思うのがこの曲です。

銀河鉄道999 ゴダイゴ



今日も読んで下さって本当にありがとうございます。

今日も皆さんの全てが慈しまれる一日でありますように。


嵐のただ中で。

2015-05-16 02:01:50 | 日記
この半年。まるで洗濯機の中に放り込まれたような激流の中にいました。それは決して過去形でなく、「まだいる」と言ってもいいかもしれませんが。。これは自分の思惑(希望)次第です。「激流から抜けた」と思ったら、それは本当に抜けますし、「まだいる」と思うなら、実際まだ渦の中でくるくる回っています。今日この時点でも、実はまだ、この渦の中にいたいと願っている私がいると感じています。不思議です。

困難や、チャレンジ、トラブル、喪失、疲労など、好ましい、又は好ましくない感情を湧き起こさせる状況は、大きな渦に巻き込まれたかのように、自分ではコントロールできないストレスや、先が見えない恐怖を生み出しますが、同時に激流を浴び、垢が一掃される気持ち良さもあります。奥深く刺さっていた棘さえも抜けて流されていくような。私は、もう少しそれを続けたいようです。


この激流の時間を過ごす中で、色々と思うことがありました。

忙しいとは、字の如く、本当に「心を亡くす」のだと。

文句や悪口、愚痴を言い続けると、口角が本当に下るのだと。

目の前の人は、その人の身体を借りた私の姿なのだと(ギャグか!?と思うくらいに)。

その人の在りようを最初から決めつけているのは私なのだと。

自分がその人のことを「そう思っているから」、その人はそういう風にしか振る舞わないし、そういう風にしか結果も出さないのだと。


コントロール不全、機能不全となったとき、見えてくるものがあります。
特に私のような「批判者」の性質がある者にとっては。

2015年は、クリアリング(浄化)には又とない一年だと思っています。2016年になると、恐らく「始まり」ます。


今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日も皆さんの全てが慈しまれる一日でありますように。

自然、人間。

2015-04-16 00:59:42 | 日記
自然とは、本当に底知れないものです。そして無限。人間の解釈や想定など彼らはくすくすと笑い、軽々と飛んでいくような。
例えば、どんなに圧倒的な夕日を見たとしても、それが最上だとは思いません。私の想像では、恐らく多くの人はそうじゃないかと思います。そして、現実に、それ以上に息を飲むかのような夕日とのめぐり逢いが必ずあります。

でも、ここに書いたこと。これは、そのまま、人間のことではないでしょうか。
本当に底知れず、そして無限。
解釈や想定などくすくすと笑い、軽々と飛んでいく。


そして、水の一滴も、散る花びら一枚も、いつもその場と、その場にいるものと共存しています。
どんなときも、その時、その場という「一つ」の一部であるかのように。。
そして、私たち一人一人も、同じくなのではないでしょうか。


けれども、私たちは自分を卑下し、罪悪を感じ、夢を抱けない時が多過ぎるような気がします。
そうして自分という存在を、価値を低く見積もった個別の存在として、「一つ」から切り離してしまうのです。

そんなとき、水の一滴、風に舞う花びら一枚を想像してみましょう。
彼等は、ただ存在しているだけで、「一つ」の一部です。
誰も、何も、彼等を排除などしませんし、ただただ一部として溶け込んでいるだけで。。


・・・誰も、何も、彼等を排除などしない。そしてすべてが、「一つ」の一部・・・それが秩序なのではないかと私は思います。

さすれば、感情だったり、未来への不安だったり、過去の出来事に関するふがいなさであったり・・を、自分自身のそれらを、自分で排除しないところから始めてみるのはどうでしょうか。そのとき湧き出る想い、経験する出来事、すべてのことが「一つ」の一部。

そうしてきっと、近い内にきっと、
まるで万華鏡のように、限りなく豊かな光で織り成される小宇宙が、いろんな形で姿を現していきます。それが自然であり、又、あなたと呼べるものだと、私はそう思っています。



今日も最後まで読んで下さってありがとうございます。

今日も皆さんのかけがえのない大切な一日でありますように。