ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

嵐のただ中で。

2015-05-16 02:01:50 | 日記
この半年。まるで洗濯機の中に放り込まれたような激流の中にいました。それは決して過去形でなく、「まだいる」と言ってもいいかもしれませんが。。これは自分の思惑(希望)次第です。「激流から抜けた」と思ったら、それは本当に抜けますし、「まだいる」と思うなら、実際まだ渦の中でくるくる回っています。今日この時点でも、実はまだ、この渦の中にいたいと願っている私がいると感じています。不思議です。

困難や、チャレンジ、トラブル、喪失、疲労など、好ましい、又は好ましくない感情を湧き起こさせる状況は、大きな渦に巻き込まれたかのように、自分ではコントロールできないストレスや、先が見えない恐怖を生み出しますが、同時に激流を浴び、垢が一掃される気持ち良さもあります。奥深く刺さっていた棘さえも抜けて流されていくような。私は、もう少しそれを続けたいようです。


この激流の時間を過ごす中で、色々と思うことがありました。

忙しいとは、字の如く、本当に「心を亡くす」のだと。

文句や悪口、愚痴を言い続けると、口角が本当に下るのだと。

目の前の人は、その人の身体を借りた私の姿なのだと(ギャグか!?と思うくらいに)。

その人の在りようを最初から決めつけているのは私なのだと。

自分がその人のことを「そう思っているから」、その人はそういう風にしか振る舞わないし、そういう風にしか結果も出さないのだと。


コントロール不全、機能不全となったとき、見えてくるものがあります。
特に私のような「批判者」の性質がある者にとっては。

2015年は、クリアリング(浄化)には又とない一年だと思っています。2016年になると、恐らく「始まり」ます。


今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日も皆さんの全てが慈しまれる一日でありますように。


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