hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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(^_^)私はとっても普通の人です。

おむすび

2017-09-30 12:44:44 | お話
🍙🍙おむすび🍙🍙


チェルノブイリ🇷🇺と、イラク🌍の子供たちに、薬代💊を稼ぐため、

僕はレコード会社🏢を立ち上げ、5つのCD💿を作りました。

その中の1つが、『おむすび🍙』です。

スキルス胃がん💢で、余命3ヶ月と宣告された42歳のお母さん🌸とのご縁でできたものです。😊🎵

ある日彼女🌸が、

「先生、私の命💓はあと3ヶ月って言われたけど、もう少し生きしたい。

春🌸まで生きたい✊」

と言ったんです。

余命宣告⚡️されたのは9月でしたから、
「3ヶ月」だと春🌸まで生きられない計算です。

でも彼女🌸は

「春🌸まで生きて、高校🏫3年の娘👧の卒業式🎌に出たい」

と願って🙏いました。

僕たちは全力✊で看護🌸しました。

そして、彼女🌸は娘さんの卒業式🎌に出ることができたのです。😊☀️

彼女🌸はとても喜んで💕いました。

僕たちは彼女から人間🍀の命💓の不思議さ☁️を教えられました。


実は、彼女🌸にはもう1人、年子の娘がいて、

「その子の卒業式🎌まで生きたい」

と言っていたのです。😊🎵

それから彼女🌸は、1年以上生き続けました。

「子供のために生きたい✊」

という思いが、何かを変えた🔄のだと思います。😊

僕たちの体の中には「ナチュラルキラー細胞」というがん💢と戦ってくれる細胞🍀がいます。

この細胞🍀は、希望🎵を持ったり
笑ったり😊することで活性化✨するんです。

娘さんの卒業式🎌の後、僕は彼女の病室に行くと

「上の子の時は大丈夫🍀だったんですけど、

今回は、体力がなくて式には出られませんでした😊」

と話してくれました。🎵


その2週間後、彼女🌸は亡くなり😇ました。

私はその時のことを本📖に書きました。

「4月16日、家族全員🌸が声🎵をかけても彼女🌸に伝わらなくなりだしていた。

春🎵爛漫の夕暮れ🌅時だった。

最後の一呼吸☁️をして彼女は息を止めた。

おだやかな最期🌸だった。

余命3ヶ月と言われた命💓が、

1年8ヶ月生きた🍀」

「おばあちゃん👵が泣きながら😭話しかける。

『お嫁入りの時も、こんなふうに美しかったよ。💕

よくやったよ。🎵

ご苦労様🌸』


よくがんばったと思う。😊

よくあきらめなかったと思う。🎵

あきらめない、生きたいという思いが、
想像を超えた結果🌸を作り出したように思う。… 」


その後、娘さん🌸から、こんな話を聞きました。

お母さん🌸は病院🏥から家に帰ってくると、必ずお弁当🍱を作ってくれたそうです。

卒業式🎌の少し前、私は

「家の空気☁️だけ吸ってすぐ戻って↩️おいで」と言って、

彼女🌸を一時退院🏥💨させたことがありました。

その時も、彼女🌸はお弁当🍱を作りました。

台所に立てる体力✊なんか残っていなかったはずなのに。

彼女🌸が作った最後のお弁当🍱は、

おむすび🍙、でした。


「嬉しく💕て嬉しく💕て、そのお弁当🍙を持って学校🏫に行きました。

昼休み🆓に、お弁当🍙広げたら、

もう、切なくて😭、切なくて😭、

なかなか、おむすび🍙が食べられなかった」

と娘さん🌸は言っていました。😭


42歳、ほんとに短い⚡️命💓でした。

でも彼女は「あと3ヶ月の命」と宣告⚡️されてから、

1年8ヶ月もの間、決して諦めず✊、丁寧🌸に生きた🍀のです。

そして、きちんと命💓の大切さ✨を娘さん🌸たちにバトンタッチ👏して亡くなり😇ました。


生きる🍀ことは有限⚡️です。

私たちは限り⚡️ある生命💓を生きています。

大切🍀なことは、その命💓を次の世代にバトンタッチ👏していくことなのだと思います。😊🎵


(「みやざき中央新聞」H29.9.18 諏訪中央病院 鎌田實さんより)