管理人のうちなーライフかりゆし日記

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沖縄の史跡8 源為朝伝説

2012年09月08日 | 博士の研究日記

 源為朝は平安時代の末期、保延5年(1139年)に源為義の八男として生まれました。性格は勇猛で傍若無人、兄達にも遠慮しなかったといいます。為朝は弓の名手で、身長は七尺(2m10cm)もあったといいます。
 保元物語によると、為朝はその性格が災いし、13歳の時に父・為義に勘当されてしまいます。
 九州の豊後国に流されるのですが、自ら鎮西総追捕使を称して暴れまわり、三年後には九州を制圧してしまいます。
 保元元年(1156年)、鳥羽法皇が崩御すると、崇徳上皇と後白河天皇が権力の座をめぐって対立します。これが保元の乱です。
 為朝の父・為義は上皇方の大将として為朝ら6人の子を引連れて崇徳上皇のもとに馳せ参じました。
 為朝は平清盛の軍勢を相手にし、善戦しますが、白河北殿に火をかけられ、上皇の軍は東国に逃げ落ちることになってしまいます。
 為朝は近江国坂田に身を隠しますが、密告により捕らわれてしまいます。そして伊豆大島に流されてしまいました。
 しかし伊豆大島でも再び暴れ始め、とうとう伊豆七島を支配下においてしまいます。
 嘉応2年(1170年)、為朝征伐の院宣が下り、北条氏ら20艘の軍勢が伊豆大島を襲います。為朝は1本の矢で船を1艘沈めてしまいますが、追い詰められ切腹をします。為朝32才、治承元年(1177年)のことでした。

源為朝 Wikipediaより

 さて、ここから琉球為朝伝説が始まります。
 1650年に編纂された琉球王国の正史『中山世鑑』では、実は為朝を乗せた船は伊豆大島に向かう途中、嵐に遭い、1169年沖縄本島の今帰仁に漂着することになっています。
 為朝が運を天に任せて着いた地、ということで、上陸した地は運天と呼ばれるようになりました。

 この伝承に基づき、運天港を見下ろす高台には、為朝上陸の碑が建てられています。大正11年(1922年)に建立された石碑には表側に「源為朝公上陸之趾 東郷平八郎」と刻まれています。
 王府時代、尚氏の権威付けのために生まれた伝説を、近代になって皇民政策・軍事政策推進のために再び利用されたのではないでしょうか。
 為朝伝説が日琉同祖論と結びつき、当時の「日本人になりたくてなれない」沖縄人の気持ちを、軍事教育に向けたような気がします。

 さて琉球に流れ着いた為朝は佐敷の豪族、大里按司の妹と結婚し、子供をもうけます。生まれた子は尊敦と名付けられました。

 ところが為朝は帰郷のため浦添の港からさっさと出帆し、残された妻子はいつまでもこの港近くのテラブのガマとよばれる洞窟の中で為朝の帰りを待ちわびました。こうして、この港は人々にマチナト(牧港)と呼ばれるようになりました。 

 今でもこういう男はいますよね。
 本土で何かしでかして、沖縄に流れ着いて、子供まで作った末に、ほとぼりの冷めた頃また本土に一人で帰っちゃうという。
 許せないですねえ。

 こうして残された子供、尊敦は成長するにつれ頭角を表し、15歳で浦添按司となります。さすがに為朝の息子です。すごいです。

 当時、琉球開闢の祖アマミキヨの子孫である天孫氏25世が琉球を治めていましたが、家臣の利勇が謀叛をおこし、天孫氏王統を滅ぼして自ら中山王につきます。しかし尊敦はこの利勇を討ち、諸侯の推挙を受けて国王となります。
 尊敦が22才のときでした。舜天王の誕生です。
 こうして王統は舜天(1187-1237)、 舜馬順煕(1238-1248)、 義本(1249-1259)と3代72年続くことになります。

 



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6 コメント

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Unknown (☆アルファ☆)
2012-09-08 17:28:54
為朝はとんでもないやつだなあ……

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為朝切腹と琉球伝説。 (稗島千江)
2012-09-08 17:41:07
居眠りばかりしていた、歴史の時間。
死後の世界から、尚生きて琉球で子供まで!
!!??と数回読ませて貰っています。
居眠りを後悔していますが、こうして理解出来るような授業ではなかった…なんて、教師のせいにしたりして。
面白いです。それに蝶々夫人のような話もくわわって、ガマまであり、昔の事でも、行けば何かを感じ取る事が出来るのではと思っています。御蔭さまで学ぶことばかりです。歳とってられない嬉しい悲鳴!
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Unknown (ちんとらぽっぽ)
2012-09-08 20:56:09
フムフム・・・・
伝説って、こじ付けみたいで面白いけど・・・・
ちょっと無理があるんjyないかな???

フィリッピンで子供を作って、そのまま日本に帰る
バカ男もいます。
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コメントありがとうございます。 (管理人)
2012-09-09 13:16:05
アルファさん、
為朝は大分常軌を逸した人物だったようですねえ。

稗島さん、
伝説が生きていた時代があったのですね。
その頃にはキジムナーもいたんだろうなあ。

ちんちらぽっぽさん、
伝説はみんな無理ありますねえ。龍が出てきたり、首が飛んだり、島が動いたり。
沖縄で子供作って、本国に帰る米兵もまた問題です。
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Unknown (osakaken)
2012-09-11 00:01:22
昔から 治める人は 好きなように歴史を作り変えるのかな・・。この手の男性・・やはり許し難いなあと。
西郷隆盛さんも 同じように 女性と子供を泣かせて・・なんなのでしょうね・・。昔の女性は 諦めが良いのか 強いのか・・。
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コメントありがとうございます。 (管理人)
2012-09-12 21:57:00
osakakenさん

そうですねえ。いたって同感。
でも、源為朝に腹立てても仕方ないですよ。

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