(これまでのこと)
化学検査室は数ヶ月で、次は血液検査室に回された。
慣れない凝固系の検査をさせられたが、ちっちゃなパチンコ玉のようなものに血液を触れさせて、ぐるぐる回し、玉が止まった時間を測るという検査だったと思う。玉が止まるということは、血液が凝固したことになる。
私は目が回るような気がして、この検査は無理だと思った。親切な人が助けてくれた。
この検査も、結局数週間で器械が自動測定するようになったと思う。
午後からは採血の練習、お互い検査技師同士で採血しあった。
採血は学生の時以来だ。すぐに出来る筈がない。ただでさえ病気で手が震えるのに、その手を如何に固定するかが私の密かな秘策になった。
本当に採血させられたのは、のちに受付業務に配属させられた時だった。
血液検査のあとは、輸血検査に回された。血液型を試薬で調べること、
クロスマッチといって、患者の血清や血球を使って輸血する血液と混合し、軽く遠心して凝固がないか確認する。凝固があれば輸血には使えない。
私はこの検査が試験管を使って行う検査だったので、昔免疫検査室でやっていたことを思い出し、好きだった。
しかし、輸血検査をマスターしたと看做された途端、当直業務に入らされた。眠れないと翌朝は、頭がふらふらして仕事にならなかった。早退したのだったろうか…?
とにかく、人使いの荒い検査室だった。皆んなが悪いのではなく、上に立つ人の一声だった。
そういえば、急に検診センターの心電図室にも行かされたこともあった。
そこは2つベッドがあって、片方の人が服を脱ぐと電極を付け測定し、測定中にもう1人が服を脱ぐと電極を付け測定するという、常に電極を付けている状態が続き、私にとっては拷問に近かった。
腰椎すべり症があったからだ。身体がガタガタになるようで、医者に診断書を書いてもらい、切り抜けた。
口でいくらしんどいと言っても通じない。だから診断書だと思った。
私は身体が疲れ易く、退職すれば再就職は無理だと思ったから、耐えるしかなかった。その力を神様が与えてくれたような気がした。
その後、受付業務と採血業務に就くこととなる。
そして受付業務の時、乳癌になり、北野病院に行って道が開かれ、「治験コーディネーター」にもなることが出来た。
話が前後して申し訳ない。