響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

メントスで吹き上がるコーラたち。

2009-09-18 | 東京の小学生&中高生
今日は前回の続き。

それが意外と吹き上がるんです。メントスはミント味、コーラはダイエットコークの組み合わせが一番吹くらしいです。というような予想があったところで、イザ実際に実験。

実験終了時

かなり減っているでしょう?

コカコーラのばく発1

というわけで、これがヒビキのレポート表紙。

コカコーラのばく発2

2ページ目はこのような記述。とってもびっしり書くんだね、ヒビキは。
キャプションが詳細なのがおもしろいです。

コカコーラのばく発3

3ページ目の写真は残量を測っているところ。文章の部分は、「考察」というよりもみなさんがやる場合の注意みたいなことで、なんだかとってもフレンドリーなレポートなのだった。

しかしなんでこんなに吹き上がるのか、ヒビキにも私にもぜんぜんわかんないのであります。(!!)

夏休みの自由研究が帰ってきた。

2009-09-17 | 東京の小学生&中高生
コーラ&メントス

当・響けブログ、夏休みコドモ科学特集でもご紹介した、コーラにメントスを入れると、とってもシュワシュワが激しくなるというやつ。あれを、ヒビキがやりたいというので、今年の自由研究になりました。

親の仕込みってのとは違うけど、結局立ち会わなきゃならんし、掃除もせな、というわけで、そうこうしていると口を出したくなってくるのも流れと思われる。

そこで最初から口出しはひとつにしようと思って、標語を定めた。それは、ずばり「条件一致」であります。

実験というのはコークの種類によって、同じメントスを入れてもどれだけ吹き出しに差があるかということを調べると言うもので、ごくシンプル。だけれども、ひとつのビンは温めて、ひとつのビンは振ったあと、というのではしょうがないでしょ、と。

というわけで親が何かにつけ「条件一致、条件一致」と叫ぶなかをなんとか実験終了し、あとは自分で好きなようにレポートに仕上げておりました。画像はそのレポートの表紙。で、どれだけ吹き上がったの? とかいうあたりを次回お伝えしたいと思います。

コーラ&メントス

関連記事はこちら。ぜひ併せてご覧ください↓
[ 夏休みコドモ科学 特集2009 ]
| 1:日食1 | 2:日食2 | 3:レゴとDNA | 4:
ニコラ・テスラ
| 5:ラップとLHC | 6:気象衛星ひまわり | 7:コーラとメントス | 8:日食グラス | 9:日食当日 |10:日食映像特集|

虫をめでたり、植物をめでたり、ふとゆきあたる江戸時代。

2009-09-16 | コレクション
なんの話かというと、こんなアーカイブを発見。

国立国会図書館
描かれた動物・植物
江戸時代の博物誌
第二章 独自の園芸の展開
http://www.ndl.go.jp/nature/cha2/index.html


ここの画像を勝手にはりつけたりするといけなそうなので、代わりに私が昨年育てた朝顔をご覧ください。

朝顔

江戸の博物誌で植物とくれば朝顔。なのであります。

なんのことかというと、斑入りの朝顔ってあるじゃないですか、あれは自然のもののようだけれども、バイオのはしりといいますか、実はかなり人工的なもの。そういうことを酔狂にせっせとやって品評会やって、という旦那遊び(?)が江戸時代に賑わったのだそうであります。

それが元禄なのか、化政なのか、忘れました。すいません。

イギリスだとこれがボタニカルってわけで、それもまた精密画のすごいのがあってなかなか見応えがあるわけなのですが、こちらはこちらで漢字&紙&筆文化ならではの、文字も絵も自由に書き込んじゃう感じは独特なり、と感じられます。こういったものを描く気持ちが、ま、人にもよるでしょうけれども、私の場合はなんとなく同調できて、伝わりやすい気がする。描かれている風物も見慣れたものだし。こういう博物学的な関心が時代的に、全世界で同時に起こっていたのだとも見えるし、その時鎖国してたために、以来「世界から珍獣を集めて」みたいな発想がないのかも、とも思える。イギリスだけじゃない、ロシアだって南国の「わに」とか(チェブラーシカにも出てきますね)、大好きらしいですし。

で、こういうのが気軽にみれるのはいいことですよね。学校なんかでもどんどん活用してもらいたいものでございます。

どうやって? とも思いますが。いや、たとえば理科で植物観察というのをやって、その内容がほぼ「写生」というのを先日見学したのだけれど、あれって、この江戸博物誌にすごく近い気がした。だからこれじゃ反面教師的な使い方ですけれども、それじゃあ江戸時代なんだから、理科=科学としてやろう、ということを考えるきっかけにしたり、バイオって話でもいいし、だいたい虫めでる姫君なんかは典型的だけれども、やはりこのように美しいというほどまでに描くということは、対象への「まなざし」が違いましょうと、そういう話もありますよね。今のコドモにどれだけ伝わるかわかんないけど、でもクラスで1人にしか伝わらないことがだめなこととは思わないなあ。30人のクラスなら、1人にしか伝わりそうもないことを30出せばいい。そうすると30受け取る子だっているわけだし。

ひどく脱線しました。すみません。

というわけで、なかなか面白いアーカイブでした。よかったらのぞいてみてください。

秋の陽について語るには、涼しいこのごろ。

2009-09-15 | コレクション


なんだか低気圧な感じで、うっすら肌寒くもある今日このごろ。ウチ猫は、かなり暑い時期からはやばやと夏毛を脱いで、冬支度するのだが、今年ばかりは替えそこなって、うすら寒いらしく、すっかりフキゲンである。

ところで私はテレビをみないせいか、昨日おくればせ『MATRIX』を見たら、すっかり具合が悪くなってしまった。パソコンで文字を打ったり画像を見たりしているのと違って、きれいな動く画像を見るのは、目が疲れるのかもしれん。。

ついでながら、マトリックスとは少し話がずれている気もするが、マトリックスがきっかけとなって思ったことで、よく「夢を持て」とか言うじゃないですか。あれって世の中全体が貧乏なときはよいが──よいが、というのは、夢を持つということがわかりやすいが、という意味です。──みんなひととおり生活できるようになってしまった状況からは、あまりうまくイメージできない。それでよりよいことを目指そうという自己啓発的な文脈で「夢を持つ」が語られたりもするのだろう。そういう「上昇」は、貧乏がリッチマンになるストーリーに比べると、いまひとつドラマに欠ける。

でもって結局忘れられちゃったのは、夢を持つというのはそんなに簡単ではなかったってことなんじゃないか、と思ったのだ。なぜならひどく貧乏な状況で、そうでないところへ行ける、行くんだと思うことは、それが今まったくないわけだから、それなりに大変だったろうと思うのである。

だから、今「夢を持つ」というのもやはり、今あることは全部幻にする、という点で同じでなければならない。たとえば(ぬるま湯的な)習慣を変える、というところに求められて、確かにしかるべきなのだ、と思ったのだ。「習慣を変える」って「夢を持つ」ぐらい大変なことだったんだ、って。

むずかしい箇所から弾けるようにする。

2009-09-14 | バイオリン・レッスン
難しいからどうする? と先生がいうところを、ヒビキが自分で「やってみる」と始まった鈴木バイオリン教本第4巻。というわけで最初の曲はザイツの協奏曲である。オーケストラの前奏があるので、ピアノ伴奏から始まるあれです、あれ。あれは発表会などであたると難関だなあ、と思っていたところ、このような時期にやるとはヒビキ、さすがなこころがけ(偶然です、偶然)。

この曲の最初のレッスンでは、弓のアップダウン、スラーのところ、スタッカートのところ、それらの組み合わせでの弓の使い方等々、課題が満載になった。のだがしかし、その翌日の練習からはヒビキのやつ、案外弾けるようになっている。

「この楽譜難しいと思ったけど、弾けてるね」というと
「そお?」とヒビキ。
「うん。思ったよりだいぶすぐに弾けるようになったと思うけど」というと、
「弾けてないところがいっぱいある むずい」という。

そうなのか、ふむふむ、と聞いていたのだけれども、でもそんなことはない。テンポも速いままに取り組んでいるし、譜面のスタッカート、スラーもかなり意識して弾いているはずだ。

「あ、それとすごいなと思ったのはさ」と私。「一番難しい和音のところを一番最初に弾けるようにしちゃったでしょ。あれはイケテルよ」
「そお?」
「そうだよ。先生もすごいって言ってたじゃん」
「あ-、言ってたね」

ヒビキは小坊主ながら、音楽のことになるといっぱしかっこいいので、まるで奥田民生の「息子」なのである。でも私なんかがピアノを習っていた時は、この一番めんどくささそうなところに最初に取り組むなどというスジは皆無だったなあ。

昨日の練習ではヒビキ、今度のビッキーズの演奏で私が歌うメロを、のっけバイオリンで弾き始める。あ、それ、それにしよう!と私。私のおうたでは成功率現在2%。ヒビキのバイオリンなら50%ぐらいいきそうじゃん。

なんか、助け船まで漕ぎだしてもらって、悪いねえ。

息子
奥田民生
SME Records

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秋の収穫祭2009、綿花第1号

2009-09-13 | 東京の小学生&中高生
綿花の収穫2009

昨年収穫した綿花から種を取りだし、今年の春に蒔いた種が、やがて大きくなって、また綿花ができました。同じ鉢に植えたせいか、ずいぶん小ぶりな気もするが、はたまたふたばの時にちゃんと地面をならさなかったのがよくなかったのかもしれず、理由のほどは定かではない。

しかし、綿花というのは、収穫期になると、茎や葉が赤茶色を帯びてきて、なんともいえない秋らしい色に変わっていく。もう少し背が高くそだつと、なかなか見応えのあるものになりそうだ。



それにしても今年はほんとうにあっという間に実り、あっと言う間に白い綿が顔を出したので、拍子抜けするほどだった。なぜか──というと、私という人はほんとに「最初の年だけ」なのであります。そういうのってほんとにわれながら頭が悪い感じがする(!)が、とにかく最初の年はどうなるかわからないから、なにかにつけてわくわくどきどきで、時間がとてつもなく長く感じられる。二年目からは、昨日種蒔いて、ついさっき芽が出たような気分だ。

やれやれ。


調べると、二葉が出たのは、2009/5/26だったようだ。

カブトムシの卵というのは見つかるものらしい。

2009-09-12 | 東京の小学生&中高生
夫が先日、友人で以前カブトムシをくれた方に逢ったというから、カブトムシがみんな死んでしまったことを伝えてくれた? と訊いたら、うんうんと言って、夫がその人に、ほんとに卵があるのかなあ、というようなことを訊ねたら、

「みてみればいいじゃん」

と言われた、と聞いて、ガクゼン。

その通りだ。なぜ見つかるわけがないと思い込んでいたんだろう?

こういうような機会に、歳をとるということについてほんとに空恐ろしくなるのだけれども、これは要するにかつて自然界でカブトムシの幼虫を見つけようなどと思っても見つかるものではなく(その割には土を掘り返したりするとよく幼虫を見かけたものだが)成虫になるまでは、人目からは隠れて、自然の懐の中で進行する、というイメージだったのが、「飼育」してる今でも変更されずにいたからである。場合が違うでしょ、というふうにリセットされなかったのである。

カブトムシの育て方は、ネットを探すといろいろなページが見つかる。おもしろいのは、みんな衣装ケースで押し入れに入れて飼っていたりすることだ。これはなかなかすごい。調べたことはないがたとえばこれがもしアメリカだったらやっぱりガレージで飼うのだろうか、とか余計なことを思ってしまう。それでは羊たちの沈黙ではないか。

「国産かぶと飼育法」というページによると、卵は白いらしい。それから地面の中で幼虫たちはさぞ窮屈に暮らしているのだろうと思っていたが、ちゃんと地下の部屋のような場所を作って、そこに──楽しくといっては言い過ぎかもしれないけど──ひとりずつ暮らしているらしい。ついでに、幼虫を手で持っている写真があるのだが──これも少し考えればすこぶる当たり前なのだが──幼虫が、でかい。さすがにこんなサイズの幼虫はかつてであっても掘り返したことはない。ということはたぶんかなぶんかなにかであったのだろう。そして産卵から1,2週間で孵化するのだそうだが、これもなんとなくずっと卵であるような気がしていた。

しかしながら、どうしてこうも考えてみればかなりおかしい事々を、当たり前に思ってきたのだろう。

考えない、ということはおそろしいものでございます。


元気なころのカブトムシ。オスは比較的昼間から木にはりついており、メスは地中に潜って眠っていることが多かった。

残暑の蚊がうるさい。

2009-09-11 | 歌う
体内に熱が籠もるような、オーバーヒートで焦げるよりも、じわじわとショートしそうな残暑がときおり押し寄せておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

今日はSeptember 11thということで、昨年はニューヨーク特集をやりましたが、今年は直前まですっかりわすれておりました。今年はこの話題、別ブログの「科学と広告のブログ」に掲載していますので、よかったらご覧ください。

というわけで、昨日から夏も最後の必死の蚊の攻撃に遭って、ぶこぶこにさされておるのだが、私のどこがうまいというのだろう。いや、残暑だから最後の一刺しが狂いまくりであるに違いない。

そんな中、「カラオケ行こう」というコドモの声に誘われて、明日のバンド練習に備えて、1時間みっちり歌ってまいりました。もう最近はカラオケの練習ではなくてバンド練習のリハというわけわかんない機会であるからして、マイクなんか使わずにどなる練習であります。

なにやってんだか。


猫も蚊にさされるんだろうか。

マクドナルドの新しいセットメニューにまたもドラムアイテム。

2009-09-10 | ドラム・パーカッション
そういうのが出ると、ついつい面白がって買ってしまう。


今回もまたかなりシールで雰囲気をつけるタイプ。かたちはね、本物にそっくりですよ、しかし。このほかギターとキーボードがあった。ヒビキのターゲットはもちろん、ドラム。コドモ向けのハッピーセットの時よりも、おもちゃの品切れが激しくなくならないのは、このての「音楽もの」というシリーズには、キャラクターorゲーム性 のいずれも盛り込まれていないからであろう。

ヒビキもそろそろキャラクターorゲーム性からは離陸しつつあって、せっかくドラムだから買ってみようか、という酔狂なこころがけだ。


こんなふうに完成。本体のどこでもちょっと叩くと1種類の音源がひととおり演奏されるという次第。繰り返し叩くと、都度あたまから再生されるので、まあそうやるぐらいしか遊びようはないかも。「これ、パターンも同じなんだよ」だそうで。

仙波師匠のカルガモーズ@江古田Buddy、二度目の正直。

2009-09-09 | ドラム・パーカッション
江古田バディ

先だってやはり江古田のBuddyで大所帯カルガモーズのライブがあったのだけれども、どうにもせきが強くて行けなかった。が、今日、ヒビキが学童から帰ってきて、まだ野球の頭でいるところへ、今日あるんだけど行く?と聞くと「行く」というので、さっそく行くことになったのだった。

いやあもう、オレカマ好きの方にはぜひ、でございます。カルガモーズはしかし、かなりアットホームというかプロ用お茶の間研鑽会的な雰囲気で、関係者グッズ販売などもあったりする。というのもステージ上人数と、客席人数というのがほぼ釣り合うという事態になることもままありだからなのであろう。

そこでやっぱりあのアフリカの聖人(いや、こういうの音楽「星」人っていうのかも)ローズさんを思い出してしまうクラシックイタチ(私のことです)なのであったが、仙波マエストロ清彦師匠の、パーカッショナル指揮合いの手入りダンス付き指示がとぶさまは、なんだかますますローズさんを彷彿とさせるのであります。しかもカルガモーズはそういう指導的(というか稽古系)色彩が濃いんだなあ、と感じました。仙波さんの指揮を見ていれば、どういう曲かがわかる。

でもって、これってもしかして──最近菅沼道場を見聞きしているもので──「こガルガモーズ」っていうのもありかな、などと思ってしまった。いけそうだよ昨今のコドモをもってすれば。でもってこう言ってはなんですが、家元嫡子(っていう言い方するのかどうかは不明)なんかも混じってたりして、なにやらプレミアムな楽団ができるとすごいことになるやも。

妄想はそれくらいにして、もうひとつ気づいたのは、Buddyは音がいいです。そりゃ仙波さんの音がいいからだけれども、でも空間に余裕があって、非常に生音がよく聞こえてよかったです。

またいこっと。

たまには「メディアアート」なる切り口で。

2009-09-08 | おんがく
ヤマハのというか、岩井俊雄さんのというか、そう「TENORI-ON」が、なんとMoMAのパーマネントコレクションに選定されたとのこと。

というのも、今オーストリアでアルスエレクトロニカというメディアアートの祭典をやっているんですね。

文化庁メディア芸術プラザブログ
http://media-arts.cocolog-nifty.com/map2009/2009/09/tenori-on-a590.html


TENORI-ON公式サイト
http://www.yamaha.co.jp/tenori-on/


おめでとうございます。

メディアアートという括り方を知ることで、技術とアートの最先端的な状況──というのはつまり、一般の人との関わりの部分ともいえるわけで。──が見えてきて、日頃おっ、これはおもしろい、すごい、と新しさを感じていたものがちゃんと集められていたりして、ほっとするというか、楽しいのであります。
ついでに、アートに「メディア」がつくことで、ま、一般的には「科学技術」チックになるというのは確かにあるんだけれも、それだけじゃなくて個人的にはアートよりかなりチープになるように思う。芸術制作がものづくりになる、みたいな。ほんとはそんなことないんですよ。けど、なんか芸術市場の派手さにひきくらべて、芸術が本来もっていた貧乏さというか、チープなところがかえって顕れてくるような効果を感じます。


写真は私の指輪なり。白はMoMA shopにて購入、緑はベネチアングラス。さあてどっちがチープ?……とどこまでもチープな私なのでありました。

フウセンカズラが一巡、ハートの種ができました

2009-09-07 | 東京の小学生&中高生
そのへんの雑草を、フウセンカズラと間違えてすっかりお騒がせしたのが、この春のこと。そのフウセンカズラ、なんとか二本は生き残って、今日は種を収穫。


ヒビキが学校でフウセンカズラを育てているらしく、もうそろそろとっていいから、ママまたもらってきてあげようか、というので、それならばうちにだって実っていると言ったら、そうなの?(しらないのだ、こいつはベランダのことも。夏も水もやってくれないしな) というので見てもらったところ、ああこのくらいでもうとっていいんだよ、ということで教えてもらったのだった。


ほおずきよりも薄い皮をはぐと、中からハートの形にクリームをのせた砂糖菓子のような種が2粒出てくる。


そうそう、これぞ見慣れたハート型。
なんかあっという間の、夏だったな。

蔓餃苑、地平線のようにどこまでもつづくパラダイス。

2009-09-06 | 粉もの屋コレクション


蔓餃苑へ初めて行った方は、そのべつにせまくもないスペースにぎっしりと蓄えられたパラダイス山元さんゆかりのアイテム──ラテンパーカッション、サンタクロース、マン盆栽、入浴剤その他もろもろ──のディスプレイに、次々と見入ってしまうに違いない。ちなみに車も一台いて、その中にいた雪だるまが、なんともどことはなしにパラダイスさんに似ている。

そのぎっしりと集積されたもてなしの装置のなかで、さ、いざ餃子を食べるのでありますが、その餃子を作るのが、パラダイス山元さんなのであります。客の目当ては餃子なのかパラダイス山元さんなのか、やや微妙なところなんだけれども、パラダイス山元さん目当てに来るのが、だんだん食べるほうに専念してしまうという感じだろうか。パラダイスさんも実は餃子作りに忙しいので、ふと奥の台所を見やると、黙々と餃子の餡を詰めていたりする。

しかしどういうわけか、私は家族で来ていたし、家が近所のこともあって、ここはあまり非日常という感じがしない。かえって今はもう滅多にお目にかかれないような「隣近所」とか「ふだんぎ」とか「網戸の立て付け」みたいな感じがして、店へ来るまでひどかったぜんそく系のせきまで収まってしまった。非常になごやかな時が流れているのは、ひとつには天井2箇所に備え付けられたスピーカーの解像度の高い音楽のせいでもあるだろう。それを含めたポスピタリティの微細な電波を、パラダイス山元さんが発している。


しめとなったモツアン餃子は、餡といっても、まさしくあずきの入った甘いお菓子。

いろいろ食べ歩いてみると、案外、家の餃子がいちばんおいしかったりするでしょう──

そんなことをパラダイスさんは言われていた。いやあ私は自分へのダメだしが甘いタイプなんで、そうでもないんだけどなあと思いつつ、ただ家で食べている餃子が世間的にはかなりいけるものだったんだ、と気づくきっかけになっていた。ちゃんと作りさえすればいいものなのに、というのはよくわかる。

蔓餃苑の空間は体験できなくとも、味にトライすることはできる。この本、私も持ってるけど、ほんとにオススメでございます。
餃子のスゝメ
パラダイス 山元
マガジンハウス
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暴飲暴食、蔓餃苑日和。

2009-09-05 | 粉もの屋コレクション


投稿遅くなりました。パラダイス山元さんの蔓餃苑、昨日食べたのは
・ゼナキング入りの餃子
・海鮮餃子
・わさび菜入りの餃子
・モツアン餃子(お菓子)

とほとんどフルコースでございました。

開苑告知が9時近くで、9時半頃からのスタート。そのころまでに、夕食として
・しまあじのさしみ
・北海道さんまのさしみ
・しめさば
・いくら醤油漬け
・野菜品目多めのサラダ
などをどっかり食べたあと出かけたとはあまりに無謀、われながらさすがでございます。(笑)

しかしやはりあまり食い過ぎていると舌がにぶるらしくて、味のこまかいところはあまりにわからなかったです。そういう点よりも、具材の刻みのサイズであるとか、海鮮の場合の海鮮部と、肉と野菜を練り込んだベース部とのバランスとか、餃子のひだのたたみ方とか、そういう具体的なところにおのづと目が、舌が、いってしまうのでありました。なにしろマン盆栽の家元の手作業ですから、こういう細部がほんとうは見どころいっぱいでありまして、デザインから攻めても、料理から攻めても、びしっといきつくところをもっているのであります。とはいえあんまりそういうところばっかり見ていてもなんでございますので、やっぱり味を楽しむのがいいと思います。

あ、そのセンでいうと、私はわさび菜のが、とてもおいしく、気に入りました。私も好きな材料なんだけれども、そのやはり刻み方としゃっきりさせるための種への混ぜ加減でしょうか。ショキショキとした味わいでした。こういう新作というか季節メニューというのは、パスタのソースにも似ていて、イタリアンのシェフが好きな物ならなんでも入れたりしないのと同じで、それでもって「パスタソースになるのか?」という点を問うのと同じように、「それで餃子になるのか?」という試金石であり、あるいは餃子の再定義なわけであり、まあそこにこそ料理がアートとして成立する契機があるといってよいでしょう(餃子を食べただけにしては言い過ぎかも。)

どうも話が終わらないので、続きます!