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先日久しぶりに、長野県佐久市周辺の巨石探訪へと出かけて参りました。
まず訪れたのはテーブルマウンテンとも呼ばれる長野と群馬との県境に聳える「荒船山」(1,423m)を神体山として祀る荒船山神社遥拝殿へ訪れました。
荒船山神社遥拝殿は、中部横断自動車道 佐久南インターより国道254号線(コスモス街道)を東へ15キロほど行った場所に鎮座します。
実は、里宮へも訪れたかったのですが今回は巨石探訪がメインだったのであえて里宮はスルーしました。
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突き当りの平らな稜線が荒船山です。まさしくテーブルマウンテンです。
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荒船山は遥拝殿の延長上にありますが現在は、ここからでは見えません。(出典:Google マップ)
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国道から一本入った場所に鎮座しています。
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扁額には「正一位荒船山大明神」とありました。
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荒船山神社 遥拝殿
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中央に磐座が見えます。
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久しぶりに磐座らしい磐座を見ました。荒船山より神が降る依代としてここに磐座が祀られています。
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側面より
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背後から
例大祭の毎年4月28日の春祭には神体山「荒船山」を象った「御船」に神様を宿し町内を巡幸する神事が執り行われるそうです。
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また、併せて五穀豊穣や健康を祈願する神事のお湯に竹の葉をくぐらせてお祓いをする「湯立の儀」も執り行われているそうです。
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境内の一画に巨石を祀る神籬がありました。
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平らな鏡石のような巨石です。紙垂も新しいことから昔から大切にされているのでしょう。
荒船山神社は、荒船山頂上に石祠の奥宮があり、ここから西へ2キロほどの位置に里宮があります。
里宮には、建御名方命、 八坂斗賣命 を祀っていますが、奥宮には事代主命が祀られています。
古代この地で、朝廷側の経津主命と国つ神側の建御名方命との激しい戦いがあって千曲川の水が七日間血に染まったと激戦だった様子を伝えています。その後ここ荒船山で最終決戦をし、和議が成立したとも伝えています。
群馬県側にも同名の神社があり、そちらの祭神には経津主命を祀っているそうです。
また、荒船山には興味深い伝説があります。
山自体が「異国から飛来した船」そのもので、船に乗ってやってきたのは武装した「三人の美しい女神」という伝説です。
「今でもその女神たち(荒船大明神)は、この山に住み主なる女神(抜“貫”鉾大明神)は、群馬県の一之宮(上野国一之宮貫前神社 祭祀:経津主命、比売大神 )に下りこの地に先進技術(鉾(武具)など)を伝え広めた」と言った伝承です。(抜鉾大明神:インドの長者の娘(インドの阿育王(アショカ王)の姫宮との説も)
また、日本の中世の説話集 『神道集』には
好美女というインドの王様の姫がいたが、隣国に攻め滅ぼされ、船で我が国に逃れてきた。
笹岡郡(佐久郡)の笹岡山(荒船山)に来て船を山頂にうつぶせにし、周囲に鉾を逆さに立てて住み火の雨が降る(火山か)のを防ぐと誓ったという。
その後、諏訪明神と恋仲になったが下諏訪の妃神の嫉妬を畏れ甘楽笹岡尾崎に社を立てて住まわせ、磐船を守るべしとして荒船明神と称されるようになったという。(引用:こちら)
佐久は、なかなか興味深い伝承が残る地域です。場所がら諏訪明神(タケミナカタ)との関りも深く周辺神社の由緒にもこの伝承は登場しなかなか面白い
テーマです。
群馬側との伝承と微妙に異なるものもあって次回散策するなら荒船山の群馬側の神社と関連史跡を訪ねて見たくなりました。
(撮影:2024-6)
part2へつづく
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