北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

そういえば

2005-01-17 14:57:45 | 日記
今年で阪神大震災から十年になるんだよな。
オレは実は酒鬼薔薇某とかネオ麦茶と同学年で、「キレる少年」としてひたすら社会に色眼鏡で
見られた世代だから分かるんだけど、「朝、目が覚めたら街が火の海」というシムシティで丸一日
放置していた時ぐらいしかみられないシチュエーションが本当に起きるとは思ってなかったよ。

卒業式の翌日には、地下鉄サリン事件が起きるし、中学時代三年間エヴァで終わるし神戸事件起きるし
県内で女の先生が刺し殺されて中学教師が異常に殺伐とし始めるし、高校受験の前日にはドカ雪が
降った。

高校時代も西鉄バスジャック事件は起きるわ、センターの日やっぱりドカ雪だわロクなことが
なかったような。

ちなみに1982年って、「逆噴射」で日航機が落ちて「惑星直列」が起きた年なんだけどあまり
オカルト周りでそこら辺指摘している人見たことないなあ・・・。

それにしても、あの日「日常は延々とは続かない」と知ったはずなのに、何でオレらは
こうどうしようもないことばかりやって暮らしているんだろう。
そんなことを思った震災から十年目の日

NHK問題続く

2005-01-17 14:42:10 | 社会とかそういうことについて
朝日新聞とNHKと自民党を巻き込んでえらい話になりつつありますな、NHKの番組改ざん問題。
それにしてもこの件について誰も
・番組内容を代えろと政府が圧力をかけたこと

・番組自体の内容
を分けて考えるべきだという指摘はしてないような。

政治的にまだ判断が難しい問題だという事は分かってるけど、だからって番組の内容自体で双方ともに
相手を非難しにかかっているという正直「どっちもどっちな低レベルの争い」が繰り広げられている
様子を見るのは正直萎える。
特に、一応ウチの実家は朝日と地方紙しか取ってない小市民的リベラル派気取りの教員家庭なので
よーく知ってるんだけど、最近の朝日はネットのアレな人たちに怯えてるのかと取られてもしょうがない
程度には従来に比べて右傾化しています。そこら辺、記者クラブ制度も含めて日本には大衆紙しかないと
言われる由縁なのかもしれませんが。だからと言って、オレは大手マスコミを全否定するような真似は
しないけどね。

それはともかく、まずこの問題で大切なのは「番組の内容」ではなく、「政府とNHKの関係」に
ついてではないだろうか。これからのNHKのあり方を決める可能性がある問題を、ただの戦後補償、
イデオロギー問題にすり替えてはならない。と、朝日新聞の新聞社説風にまとめてみる。

テーマサロンより

2005-01-16 14:41:40 | 社会とかそういうことについて
日本の右極化?

ずらずら一人でああいうことを書いていたら、テーマサロンにこんなのがあったので一応
トラックバック。

個人的に言わせてもらえばオレとしてはいろいろな意味で「これは右傾化なのか?」と言う
疑問がある。例えば日本が今後再軍備して他国への侵攻をするような国になれるかと言うと
すごく疑問だ。「なれるか」と書いたのは、確かにこのまま親米追従路線が続けば日本は
アメリカの対アジア中継基地としてそれなりに便利な存在では有り続けるだろうが、言い換えて
みれば「この国独自の軍事行動はほぼ封じられる」と言うことだ。また、情報機関や諜報機関も
まず間違いなく持てないだろう。この場合、右傾化とはやや言いにくいような気がする。

また、ここしばらくのアメリカの動きを見る限り、侵略戦争というモノ自体相当リスクの
大きなモノになっている観がある。むしろ軍事的に支配するよりは、経済的に支配する方が
これからは遙かに賢いだろう。

あと、オレの全く個人的な意見だけどネットとかで良く「右傾化してる」とやり玉に挙げられる
タイプの人間は本当に「右」なのかという疑問がある。オレは比較的彼らと出自が近く、友人と
しての親交も彼らと持っている人間なので彼らのことは良く分かるが、彼らの多くは「右」を
することに対して「屈折」を持っている。例えば教師にいじめられたとか、友達が少ないとか、
趣味をバカにされたとかはっきりと「傷つけられた自分」を持っている。そして、彼らはその
埋め合わせをするようにそういう「自称愛国者行為」に耽っているような観すらある。

例えば大学のとある先輩は、就活を三年やっても内定が無く、それを「朝鮮人のせい」にしていた。
以前、オレと愛国心を巡って大げんかした高校時代の友人は本気で「二次元ゲームキャラ」に恋をした。
同じサークルにいた「自称愛国者」は、全く他人とコミュニケーションが取れなかった。

やや極端な例を挙げてみたが、オレにとっては彼らの右傾化は、国という主体に自己を重ね合わせ
仮想マッチョ化を成し遂げようとする行為にしか見えない。
あと、親世代がいわゆる「団塊の世代(学生運動世代)」の場合、重症化する傾向がオレの周りでは
確実にあった。ダイナミックな反抗期という見方もできるんじゃないかなあ。

ただ、最近思うのは

2005-01-15 10:31:09 | 社会とかそういうことについて
ただ、最近思うのはさっき言ったことと矛盾しちゃうかもしんないけど、ネットとかで
迂闊な発言しちゃう人に対していちいち過剰反応しなくてもいいんじゃないかなあ、とは思いつつある。

要するにバランスなんだよ。はっきりネットとリアルが入れ替わっちゃってるような人に対しては
それ相応の対策が必要だろうけど、ちゃんと社会生活送れてグチ言いにネットに来ているような人に
対してはそこまで過剰反応せんでもいい気がする。

まあ、勿論そんなことで社会は変わらないとかそういうことはキッチリ教育していく必要はあるとは
思うけどね。とりあえず祭り厨みたいなバカはある程度放っておいても大丈夫だと思う。そんな言葉尻を
いちいちあげつらうよりは、ネットと現実の区別が付かなくなっている人や、つかなくなりやすい中高生
への対策を本気で考えた方が現実的だと思う。

ヌー速+だって、あそこ本質的にやりたいのは「ネット上におけるアメリカ合衆国ごっこ」なんですから。
ネットヲチも似たようなところあるけどな。ただ、そういうのが見えなくなって本気で何か政治が動くとか
思うようになっちゃうのは問題だけど。まあ、このことについても春休みになったらまとめます。

ぼくのかんがえたにほんというこっかろん(その1

2005-01-15 10:19:46 | 社会とかそういうことについて
一応原稿が見つかって、昨日のヒロシショックからも立ち直ったので例の英文学レポートの
再編集補充版を数日に渡ってアプします。本当にオレは日本と言う国に対してこういう考えを
持っているので、突っ込みたい人は突っ込んで、賛同したい人は賛同して、ブチ切れたい人は
ブチ切れて一向に構いません。人の内心までどうこういうのは好きじゃないし。

 日本という国の形について強く私が考えたことは、この国は我々国民から「母親」として認識されているのではないだろうかということだ。「日本において母親は子どもの吐き戻したものでさえ食べて始末してくれる存在である」これは心理カウンセラーの矢幡洋が著書「危ない精神分析(亜紀書房)」(注1)の中で記述していたことだが、これに似たようなことは国民と日本という国の間にも関係性として存在するのではないだろうか。つまり我々国民は「日本という国」の子どもだと無意識的に認識していないかということだ。そう考えると国民の政治への無関心さやなんでも「お上」に頼りたがる姿勢、あるいは国土や地域への愛着の無さや国家をめぐるイデオロギーの話に左右問わず突如として「家族」の話が個人的に持ち出されることがだいたい私には納得できる現象として提示されるのだ。

日本において母性はほとんど無批判的に受け入れられる傾向がある。そもそもフェミニストがあそこまで男性的に振る舞っているこの国というのも世界的に見れば珍しいのではないだろうか、私には田嶋陽子辺りは性格・行動面を含めて「非常に男らしい女」にしか見えない。下手ななよなよとした男に比べたらよっぽど私には彼女は男気がある人物にしか見えない。ある意味、彼女たちはナショナルなモノに回収されてしまう母性を否定せざるをえないのかもしれない。そして、これも矢幡の本からの受け売りに近いのだが、本社会において「母親」は絶対的な存在で、姿形が決して変わらず、いつも静かに微笑みながら僕たちを全て受け入れて許してくれるものであるらしいのだ。

ここでエロゲーの母親キャラを連想した貴方は非常に鋭い。と言うかオレが原文(ちなみに原文は全く違うが、少なくとも私には前掲したようなことを妄想させるに充分足る文章であったのは事実である)を読んだときにまず脳裏に浮かんだ事象は「エロゲーの母親キャラ」であり、次に連想したのは宮崎アニメの少女性と母性が同居した非常に魅力的な女性キャラ達であった。後者についてはとりあえず判断は保留するとしても、前者についてはある種の示唆に富んでいるような気がする。あるいは、日本という国が多神教の神道の
教義に基づき「地母神」という存在が一神教のキリスト教圏やイスラム教圏に比べて非常に大きいことも
思い出してもいいのではないだろうか。

だが、その「母親」は決して優しい母親ではない。一見優しいように見えながらも、実は過剰に我々国民に
様々な「期待」をかけ、駄目なら切り捨てようとさえする鬼子母神である。まあ、「国家」も所詮組織だからまず第一目標は「継続すること」だからしょうがない面も大きいんだけどね。

私の中で「コヴァ」というか、まだ正式に位置づけされていない「ネットウヨ」などとも呼ばれている
『彼ら』は「日本という母親から捨てられた捨て子」と最近位置づけつつあります。そのことについては
明日もうちょっと詳しく述べますけど。少なくとも、「日本」という国が国家内に疎外された存在を
生み出すような国になったのは事実だと思っています。