北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

ただ、最近思うのは

2005-01-15 10:31:09 | 社会とかそういうことについて
ただ、最近思うのはさっき言ったことと矛盾しちゃうかもしんないけど、ネットとかで
迂闊な発言しちゃう人に対していちいち過剰反応しなくてもいいんじゃないかなあ、とは思いつつある。

要するにバランスなんだよ。はっきりネットとリアルが入れ替わっちゃってるような人に対しては
それ相応の対策が必要だろうけど、ちゃんと社会生活送れてグチ言いにネットに来ているような人に
対してはそこまで過剰反応せんでもいい気がする。

まあ、勿論そんなことで社会は変わらないとかそういうことはキッチリ教育していく必要はあるとは
思うけどね。とりあえず祭り厨みたいなバカはある程度放っておいても大丈夫だと思う。そんな言葉尻を
いちいちあげつらうよりは、ネットと現実の区別が付かなくなっている人や、つかなくなりやすい中高生
への対策を本気で考えた方が現実的だと思う。

ヌー速+だって、あそこ本質的にやりたいのは「ネット上におけるアメリカ合衆国ごっこ」なんですから。
ネットヲチも似たようなところあるけどな。ただ、そういうのが見えなくなって本気で何か政治が動くとか
思うようになっちゃうのは問題だけど。まあ、このことについても春休みになったらまとめます。

ぼくのかんがえたにほんというこっかろん(その1

2005-01-15 10:19:46 | 社会とかそういうことについて
一応原稿が見つかって、昨日のヒロシショックからも立ち直ったので例の英文学レポートの
再編集補充版を数日に渡ってアプします。本当にオレは日本と言う国に対してこういう考えを
持っているので、突っ込みたい人は突っ込んで、賛同したい人は賛同して、ブチ切れたい人は
ブチ切れて一向に構いません。人の内心までどうこういうのは好きじゃないし。

 日本という国の形について強く私が考えたことは、この国は我々国民から「母親」として認識されているのではないだろうかということだ。「日本において母親は子どもの吐き戻したものでさえ食べて始末してくれる存在である」これは心理カウンセラーの矢幡洋が著書「危ない精神分析(亜紀書房)」(注1)の中で記述していたことだが、これに似たようなことは国民と日本という国の間にも関係性として存在するのではないだろうか。つまり我々国民は「日本という国」の子どもだと無意識的に認識していないかということだ。そう考えると国民の政治への無関心さやなんでも「お上」に頼りたがる姿勢、あるいは国土や地域への愛着の無さや国家をめぐるイデオロギーの話に左右問わず突如として「家族」の話が個人的に持ち出されることがだいたい私には納得できる現象として提示されるのだ。

日本において母性はほとんど無批判的に受け入れられる傾向がある。そもそもフェミニストがあそこまで男性的に振る舞っているこの国というのも世界的に見れば珍しいのではないだろうか、私には田嶋陽子辺りは性格・行動面を含めて「非常に男らしい女」にしか見えない。下手ななよなよとした男に比べたらよっぽど私には彼女は男気がある人物にしか見えない。ある意味、彼女たちはナショナルなモノに回収されてしまう母性を否定せざるをえないのかもしれない。そして、これも矢幡の本からの受け売りに近いのだが、本社会において「母親」は絶対的な存在で、姿形が決して変わらず、いつも静かに微笑みながら僕たちを全て受け入れて許してくれるものであるらしいのだ。

ここでエロゲーの母親キャラを連想した貴方は非常に鋭い。と言うかオレが原文(ちなみに原文は全く違うが、少なくとも私には前掲したようなことを妄想させるに充分足る文章であったのは事実である)を読んだときにまず脳裏に浮かんだ事象は「エロゲーの母親キャラ」であり、次に連想したのは宮崎アニメの少女性と母性が同居した非常に魅力的な女性キャラ達であった。後者についてはとりあえず判断は保留するとしても、前者についてはある種の示唆に富んでいるような気がする。あるいは、日本という国が多神教の神道の
教義に基づき「地母神」という存在が一神教のキリスト教圏やイスラム教圏に比べて非常に大きいことも
思い出してもいいのではないだろうか。

だが、その「母親」は決して優しい母親ではない。一見優しいように見えながらも、実は過剰に我々国民に
様々な「期待」をかけ、駄目なら切り捨てようとさえする鬼子母神である。まあ、「国家」も所詮組織だからまず第一目標は「継続すること」だからしょうがない面も大きいんだけどね。

私の中で「コヴァ」というか、まだ正式に位置づけされていない「ネットウヨ」などとも呼ばれている
『彼ら』は「日本という母親から捨てられた捨て子」と最近位置づけつつあります。そのことについては
明日もうちょっと詳しく述べますけど。少なくとも、「日本」という国が国家内に疎外された存在を
生み出すような国になったのは事実だと思っています。