北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

林間はいなくなったけど

2005-11-23 19:02:12 | 社会とかそういうことについて
広島で嫌な事件が起こりましたね。
ょぅじょが

話は全く変わるけど、よく「日本経済・日本型経営の独自性が
外資によって壊されるうぽぽぽぽぽおおお!!!!」などという
長いこと社会に出ていないとおぼしき生物がいますが、反社会学
講座っぽくなっちゃうけど

それは思いこみに過ぎません。

戦前の日本はかなりハードコアな自由主義経済を導入していましたし、おまけに
帝国大学を卒業すればテキトーにプラプラしても全く問題がなかったという
超学歴社会
ついでにいえば戦前最も進学率が高まった時期でも現在の高校に当たる旧制中学・
高女に進学する割合は15%ほどでこれを今の比率に直すと
偏差値60以上の大学に進学する割合
とほぼニアイコールです。まあ、戦後しばらくまで
大学の教養課程(二年生まで)終えれば代用教員として教壇に立てた
時期もありましたし(ちなみに今の国立大教員養成系の前身である
師範学校は格としては中等教育機関。京都府で教員養成系進学を
目的にした公立高校のコースが出来たがこれに限りなく近い)、
当時の小学校教員は安月給で工場労働に転職するヤツすらいた
らしいです。これは日本の学歴社会を扱った本には結構出てくる
話ですけどね。あと、地方公務員は全般的に薄給で
農家との兼業が認められているのはその名残だったりします。

とまあ今と昔は全く学歴社会としても様変わりしている上に
終身雇用制も実は幻だったりします。
まず、この「終身雇用」というものが大卒ホワイトカラーのみの特権だった
ことは知っておいた方が良いでしょう。
ウチの母方のじーさんは40過ぎて某今は半ば外資系の日本第二位の自動車
会社の工場に勤めるまで無数の職業を経ています。高度経済成長期の成功の
イメージとして小さな町工場から独立するか、あるいはスキルを積んで大企業に
転職することは結構一般的だったようですね。また、当時も請負や派遣と言った
業種が現業中心に存在し、サヨク系ルポライターが潜り込んでいたりします。

まー、個人的に言ってしまえば、鎌田のトヨタ工場潜入や神野直彦(東大教授)の
日産の工場とディーラーで働いて「これが人間の仕事か」とこき下ろしている
文章は嫌いなんですけどね。オレから言わせると、ニートとか受理エイティブ
志向バカを生み出している責任の一端がこいつらにあると思っています。で、
こういうのに限って「IT産業」を無条件に持ち上げていたりしてもうバカかと
アホかと。あのな、工場でモノ作るのもIT技術者で働くのも実際似たような
もんだぞタコ。お前等の視点から言うのならばね。

話を元に戻す。
まあ、終身雇用制が維持できたのも当時は大卒がはっきり言ってろくろくいない
時代で、貴重だったから以外に理由はありません。だから団塊世代が中年世代に
かかったバブル崩壊以降ホワイトカラーのリストラが進んだわけですね。
そうそう、バブル以前もリストラは工場中心にありましたよ。まあ当時は組合が
強かったのとブルーカラーについては流動性が高かった上に経済成長が続いたので
さほど問題にはなりませんでしたが。

あと、労働条件についても給与については実はバブル崩壊後もある程度伸びています。
大学で過去の会社四季報を読んだことがありますが、十年前と現在を比較して
十万円近く平均給与が伸びている企業は多数見つかります。だから、まあオサーン
世代を既得権益を持った世代と見なすのはさほど間違っていないのですが。

あ、時間がもう七時になりましたね。
夕ご飯を食べる時間なのでこの続きは明日に。
林間タソが知ったら驚いちゃうようなアメリカの労働状況については明日以降に
書きます。