北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

オレ自身のコヴァや紳士に対する考え方は

2005-11-12 12:19:11 | 社会とかそういうことについて
実は以前に比べかなり変わってきました。
昔はまあ色々と「善導」してやろうなんて身分不相応なことを考えていた
時期が長いけど、今は「まあ、普通に一般人の中に紛れているならいいか」
と考えるようになりました。

でも、色々思うことはあるんですよ。それこそ林間に近く
「こいつら良いように権力に使われているなあ、
まあ、後で己の身で代償を払うから良いのか」とか考えてみたり、
あるいは団塊世代の学生運動のように
「暴れて問題を起こしてその後ちゃんと社会に大多数は帰る」ことを
期待してみたり色々考えます。まあ、どうしようもないけどね。

当たり前ですが、オレは自分を正義なんて思っていないですよ。
どこぞの大国でもあるまいしそんなナルシストではありません。

とりあえずネットウォッチ板の影響が強いのでそこの流儀を
受けています。ボクらにできることは限界があるんですよ。

さて、一応総括しておくか

2005-11-12 11:59:28 | 社会とかそういうことについて
某スレで楽しい展開にしてしまったオイラです。
IF氏に天皇→社会心理学的考察→林間君
いじりだと指摘されたのですが、最初っからオイラはコヴァの
社会心理学的考察で介入したはずです。別に心理学や精神医学に
ついて深い知識を持っているわけではないので、そこら辺は実は
林間タソをどうのこうの言えるレベルではなかったりするわけ
ですが。

ともかく、私にとってあのスレで振ってきた三つの事柄はリンク
することなんですよ。
小林よしのりという男は、真性保守と言いながら、また靖国神社を
無条件肯定しながら全くその背後にある天皇については明確な評価を
下していない私から言わせればある種「卑怯」とも言って良いような
人間なのです。

別に私は右だから天皇を評価しなければならないとは言いませんが、
国家神道という人工宗教によって作られた靖国神社を日本の魂の故郷と
するならば、それが作られた根拠である天皇を肯定しなければならない
と言う倫理を要求します。特に、小林が大好きな「故郷主義」的なモノと
靖国神社という施設は完全に矛盾するモノなんです。アレは、それぞれの
故郷に「英霊」として祭られるべきパトリの魂を国家が収奪し、天皇の元に
順列化させておいてあるものですから、いくら戦前はそうだったと言っても
パトリの論理においては靖国は否定されるべきものなんです。

私から言わせると小林の今の主張や林間の主張はパトリとは言いにくいと
思います。まあ、別に感覚的なものですから「証明しろうぽぽぽぽ」とか
言われたら何も言えないのですが、余りにも今の彼らは故郷に対して何も
語っていないように思えます。沖縄を断罪してしまった例の一件なんか私は
典型的だなあと思うのですけどね。私には「国家」という枠組みでしか考察
できない「ナショナリスト」のそれに近いと思うのだがどうだろうか。そして、
それは「ナショナリスト」と言うレッテリングを回避するためのパトリという
ロジックにしか私には思えない。アジアとの連携とか言って、林間がアジア
モンロー主義未満の主張しか出来なかったのも印象的ですね。

ではそれが何故社会心理学的考察に繋がり、人格障害者いじりへと行くのかは
これから話しましょう。「天皇」を回避し、「故郷」を語れず「ナショナリスト」
と言う言葉さえ回避する彼らにとって、国というモノをいかに捉えているのかは
個人的に非常に興味深い問題です。そこで私の直接観察の結果が出てきます。
彼ら全体については小熊と上野陽子の共著や、北田暁大の2ch論、あるいは荷宮
和子などが論述しているが、2ちゃんねらーである荷宮以外は余り適切でない
観が強い。荷宮でさえ、勢いとお約束のニュー速系やVIPについての分析は深刻に
考えすぎているきらいがある。香山辺りに至っては私から言わせると正直論外としか
思えなかったりもする。それくらい彼らは放置されている存在ですが、彼らの基本が
「溢れ出す自意識を止められず、思想というセカイに引きこもっている」(これは
それなりに実例はある。一時期日本の右傾化というネタで彼らを取材するマスコミが
多かったが、日頃マスコミ批判をしているはずの彼らはほいほい朝日や毎日の記者の
前に出て行き、『日頃、周囲を愚民と見下し、社会から浮遊している感覚から
離れられない自分』をだらしなくカミングアウトする光景が多かった。
勿論、この前の筑紫哲也ニュース23で行われたソレにも通じていた)のですが、
これは私がつき合ってきた彼らとも共通します。まあ、中高生時代の
友人にそっちに傾斜するヤツが多かったので単純に「中2病」と断言して
しまえばラクだったのでしょうが、大学入試や就職試験で失敗するたびに
奇行が倍々ゲームで増加していくのは何故だろうという感覚を覚えました。
不思議だったんですよね。不器用で人間関係も上手くなく、運動神経も
悪く性格も悪いオレから見ると、「オレなんかよりよっぽど恵まれている
のに、何故ああも社会から逸脱する方向に向かってしまうのだろう」という
のがね。彼ら見ていると「やりたいことがあって」コヴァをやっているという
よりは「何かやらなければいけないことから逃げる」ためにコヴァを
やっているという感じを強く受けるんです。社会からの逃避のための
思想という感じかなあ。

もう一つ、これは私自身「固執」しているテーマと言って良いんだけど
(あちらこちらでブチまけて嫌がられた時期もあったな)、彼らの中で
国家というのがグレートマザーとして受け止められているのではないかという
嫌疑がどうしてもあります。今の「戦後民主主義」という言論の自由を
保障された環境にいながら、その戦後民主主義の根拠たる今のこの国の
「国体」(うわー、嫌な言葉使ってきたなあ。まあ、サヨク運動にもウヨク
運動にも巻き込まれたことがあるオレだから言えるんだけど)を否定する
彼らは母親に家庭内暴力を振るう息子に該当しなくもないように見えます。
・・・ちなみに、政治思想板の菊地というコテハンは、勉強をせず母親に
パソコンを取り上げられたとき母親から実力行使で取り返し(彼は外では
いじめられっこ)、コヴァ板のあるコテハンは親が韓国産ビールを買ってきて
ビールをキレて母親に投げつけ、林間は彼女に煽られたからと言う理由で
暴力を振るいました。ちなみに極東板やハングル板にも似たような行動を
誇らしげに書く人間がいて、かつそれ専用のスレッドもあったように記憶
しています。
・・・・これをどう評価するかですね。

林間君について。
「天皇を中心とする右というレッテリングを回避し」「家で女性に暴力を
振るいそれをネットに書き込む」彼がある種の人格障害者というのは間違い
ないでしょう。しかし、彼を精神科医に連れて行くのは個人的には意味がない
ことだと思います。むしろ、オサダユリコか都知事のマブダチである戸塚校長
にお願いするのが一番「良い」方法でしょうね。
人格障害で病院に通っているケースは多々ありますが、クスリで強引に
押さえ込んでヤク中になって演技性人格障害を強化するか、カウンセラーを
抱き込んで共依存になるかのどちらかしかない記憶があります。人格障害
自体個人的に言ってしまえば「本人の人格の歪み」に過ぎませんから
本当は自分で直す気がない限り治らないのが実情だと考えています。
今の精神医療は、昔のようにムチャできませんから人格障害に関して言えば
余り期待はできないと考えます。そもそも人格障害の診断基準自体酷く
あいまいで「誰にも当てはまる」面が強いのも事実です。ゆえに、ああいうのを
根本治療するためには私は「強引に人格改造」をするしかないと考えています。
まあ、そんなこと出来るはずもないので遠くからあざ笑うだけですけど。

親が福祉に長いこと関わっています。特に母親は大学もソッチ系で
職業自体は教育畑ですが色々そういうことへの「一般的幻想」を
打ち砕くような事を聞かされて育ったのは事実です。そこら辺が
全く影響していないと言えば嘘になります。

まだ続きます。次は私のポジションについてです。