Happy Herblog♪

“精霊”と共に在る生活

“魂”はここにいる。私達と一緒に在る。

2005-03-31 11:50:00 | Weblog
今日は、昨年事故で亡くなった(肉体を失った)○○君の家へ、御焼香に伺った。
思えば、あの時からそれぞれ子供が別々の保育園に転園となり、離れ離れになってしまった。御葬儀の時に訪ねたのだが、市役所の担当者が、実家と自宅の場所を間違えていて出席出来なかった。
私は、彼女(亡くなった子のお母さん)に手紙を書いて、落ち着いたら連絡下さいと記していた。昨日、彼女と道ですれ違ったのだが、道端で出来る話ではない。

でも、そろそろ話が出来る時期に来ていると、私は感じた。私は手紙と白い花束を持って、彼女の家を訪ねた。彼女はまだ仕事から帰っていないそうで、おじいちゃんが出迎えてくれた。御仏壇のある畳の部屋へと、おじいちゃんに案内してもらい、中へ入った。すると、○○君の、楽しそうに笑っている表情の遺影があり、その周りに、当時遊んでいたと思われる玩具や、果物、お菓子等が並べられていた。私は御焼香を済ませると、○○君の遺影を眺めてみた・・・当時の彼の明るい表情とぬくもり、周りの人達の思いが一緒になって、ジワジワと、伝わってくるのを感じた。
私はおじいちゃんに言った。「おじいちゃん、○○君、身体は失ってしまったけれど、いつも、ここに、一緒にいるような感じがされますよね・・・」すると、おじいちゃんは、ゆっくりと頷かれ、「私はいつもここで○○と一緒に寝ているんです。」と仰った。晩酌をされながら、○○君のぬくもりを、きっと感じておられるのであろう・・・。
私は、以前entheogenic体験により、○○君のスピリットと交信した時の、ビジョンのイメージを、おじいちゃんに伝えた。おじいちゃんは、私の話を、ゆっくりと噛みしめるように、頷かれながら聞いて下さった。
「私達、いつも一緒ですから・・・」自分の思いが、いつのまにかそんな言葉になって、自然に出て来た。

最後に、再び○○君の遺影のところに言って、「本当に、私達に色々な事を教えてくれてどうもありがとう・・・この地球にいたのは短い間だったけれど、よく貢献してくれたね。偉かったね・・・」私は彼にそう告げて、その場を離れた。何だか彼の存在が、非常に大きく感じられた。

帰り際、おじいちゃんは気を遣われて、私にお土産をくれた。「今、チーズ工場へ行ってるから」と、スモークチーズを沢山頂いた。そんな優しい心遣いをされる、おじいちゃんの気持ちが、私は嬉しかった。「御家族の皆さんに宜しく伝えて下さい。」と言って、お母さんへの手紙をおじいちゃんに手渡して、家へ帰った。

・・・○○君の魂(スピリット)は、依然としてここに在るのだ!今も尚、生き続けているのだ。人間という存在を超えた、異なった次元から、私達の存在をしっかり見守っているのだ・・・。
(私は確かにそれを確信したのである。)

事故が起こった当時の自分の意識を振返ると、私の中で「死(肉体を消失する)」という事は、まだまだ怖かった。親しい人を突然失うという事、それに“自我”が消失するという事に関して、正直、恐怖であった。しかし、以前私が抱いていたような恐怖心は、今気がつくと、自然に小さくなって来ていた。おそらく、人類の意識が更に進化し、霊(スピリット)に対する人々の見解が、もっと、もっと深まった暁には、そうした見解は更に変化して来るだろうと思う。「死(肉体を失う)」という恐怖心を、人々の進化した愛の意識で克服出来るようになり、又、普段から常に霊的(スピリチュアル)である為に、惨忍な「死(肉体の消失)」を起こすケースも、減少していくであろうとも思われる。

(KIN:247 青い宇宙の手/癒しを超える)



ジェリコの薔薇 ~保育園での反応 ♪

2005-03-30 12:28:43 | Weblog
先日、娘が通う保育園へ「ジェリコの薔薇」(“Lotus Life”のHPのShop(resurrection plant)でも販売しています。)を持って行きました。
下の娘のクラス(2歳児クラス)へ持って行き、袋から「ジェリコの薔薇」を取り出して見せると、「何?コレ~??」とみんな興味津々で、ジェリコの薔薇の周りに集まって来て、珍しそうな顔をして、この不思議な植物に見入っていました。

私は「お水をあげると、開くんだよ。」と言って、お皿に観葉植物用のハイドロボール(園芸店等に置いてあります。)を入れて水を注ぎ、そこに「ジェリコな薔薇」をそっと置いて見せました。「ふ~ん」と言って、手で触れる子もいれば、「コワイ・・」と言って少し引き気味の子もいるし、子供によって様々な反応を見せてくれました。(^_^;)

保育士さんも「珍しいものをありがとうございます。」と、受け入れ拒否等されず(笑)快く受け取ってくれました。“部屋に置いておくと、幸運が訪れる”という言い伝えもあるので、保育園ごと、Happy♪な波動に乗ってもらえると良いな・・と思っています。今は事務室の小窓の傍の棚の上に置かれていて、水をあげてもらい、時々引き上げてもらったりと、大切に育ててられています。

ジェリコの薔薇が、丸くなっている状態から、徐々にゆっくりと葉を拡げ始め、青々とした葉を取り戻していく姿は、まさに“生命の神秘”そのものです。お子様の情操教育にも役立つのではないでしょうか・・・?小動物等の飼育も良いかと思いますが、アレルギー等の心配もありますし、日々の糞尿の始末等、衛生上の問題もあります。

育てるという点では「ジェリコの薔薇」は、水をあげ忘れても、枯れてそのまま死んでしまうという事がないので、育児や家事に負われている忙しい親御さんにとっても、負担にならないかな・・と思います。

『ジェリコの薔薇』★葉を閉じている状態葉を拡げている状態


(KIN:246 白い水晶の世界の橋渡し/機会を普遍化する)


My spiritual teacher ♪(※追記しました。)

2005-03-30 11:42:12 | Weblog
ご承知の通り、私自身“師は自然物”派・・・。(現在のところ、植物の精霊さん。)
何故か・・・気が楽、落ち着く、お金が掛らない(^_^;)

人間の師の場合(特に生活(お金)が絡んでいる場合)は、どうしたって多少の「エゴ」が入るのはやむを得ないのだと思う。

それは、生活する為に競争しなくてはならないからだと思う。自分のところに注目を集める為に、自分以外の同業者的な立場の人を、無意識に否定している場合も多い。

同業者をあからさまに否定している場合等は、襤褸が露出している感じで、まだ可愛げがある。それを、見えないところから操作しようとするような・・・そんな意識が働くと、自体は更にややこしくなる。

そんな人間特有の柵は面倒だ。

・・・しかし、そういうところに又、“人間味”を感じたりするのも事実だ。
「エゴ」が完全に抜けてしまったら、それはそれで、面白くないと感じるのかもしれない。
...

(KIN:246 白い水晶の世界の橋渡し/機会を普遍化する)

(※この記事を書いていて、後に思いましたが、人間ならその程度の差こそあれ、エゴは誰でも持っているものなのかもしれないと思いました。勿論、私にもあります。あるシャーマンがこのような事を言っていたのを憶えています。
「自分は、既にエゴを超越したと思っている事自体が、最大のエゴなのだ。」と。他人のエゴを指摘する前に、自分にもエゴがあった事に気づく必要があるという事ですね。(^_^;))

宇宙意識☆アセンション意識について

2005-03-29 02:46:25 | Weblog
娘の中耳炎と、親子でひいていた風邪がようやく治りつつあります。今回の風邪は、熱が上がったり下がったりを繰り返し、いつまでもダラダラ、ウジウジ・・・「治るのか?治らないのか?いい加減にハッキリせ~い!!」というような感じの“風邪ウイルス”で、ホント、頭に来ました。悪質なバイキンマン共よ!とっとと立ち去りたまえ~~!!
でも、子供達は、昨夜からやっと通常の眠りに就いています・・・ホッ

今日は、上記タイトルのような意識について(昨夜、何となく“ピピッ”と来まして)自分が共鳴する波動を、愛書やネットで拾った記事等(過去記事ですが)から引用、紹介させて頂こうと思う意向であります。

APG アセンションプロジェクト銀河の声 HPの「山田孝男ライブラリー」次元上昇はどのようにして起るのか より

神々の糧(テレンス・マッケナ/著)書籍(菅 靖彦 氏による解説より引用)

◎サイケデリック体験の神秘より
「キノコで驚くべきことは、それが生きていること、実際に誰かがあなたに語りかけるということなんです」と「LAウィークリー」誌のインタビューに答えてマッケナは語っている。しかも、本人が知っている母国語で、本人にとってもっとも重要な関心事について語るというのだ。もしそれが本人の知っている情報であれば、人間が頭の中で絶えず行なっている自我的な対話の一部とみなすことができるが、知らないものとなれば、簡単には片付けられない。それに関してマッケナ氏は、「実際何が起こっているかというと、自我と、普段、視界から隠されている精神のより大きな統合された部分との間に、対話が起こるということだと思うんです。自我は2000年前の環境への適応の為に作られた、かなり新しい発明品なのかもそれません。アマゾンでは、森の人々が、アヤファスカを摂取して集団精神に入り込むと言っています。そうする事によって彼らは、どこで狩りをするか、どこに移動するかといった部族にとって重要な問題を決定するんです」と述べている。
 こうした声を「神の声」と呼ぶかどうかといった事については、マッケナはあまり関心を示さない。重要なのは、われわれが、普段、自分自身だと思っている自我の奥には、他者や自然と密接に結びついた統合された精神とでも呼ぶべきものが横たわっており、なんらかのきっかけでそれが表面に浮上してくる場合があるということなのである。そのような統合された精神をオルダス・ハックレーは宇宙精神と呼び、マッケナがサイケデリック界の興味を抱くきっかけとなった『知覚の扉』の中で次のように書いている。
 「人間は誰でも本来的には、宇宙精神を持っていることになる。しかし、われわれが生き物である限り、人間はどんなに大きい犠牲を払ってでも生物的生存を続けていく義務がある。そして生物的生存を可能にするためには、宇宙精神の意識内容は、脳や神経組織の減量バルブによって濾過減量という検問を受けざるを得ない」(『知覚の扉・天国と地獄』今村光一訳、河出書房新社刊)
 普段は、脳や神経系が減量バルブとして働いているため、宇宙精神の意識内容は、この地球上で生存していくために必要なものと意識化されないが、サイケデリック物質を摂取すると、バルブが開き、宇宙精神がどっと入りこんでくる、とハックレーは言うのである。LSDセラピーの創始者であるチェコ出身の精神医学者スタニスラフ・グロフも、みずからのサイケデリック体験を踏まえ、「個々の人間は、全宇宙ないし全存在に関する情報を内に含んでおり、宇宙のあらゆる部分に体験的に接近できる潜在能力をもっている」と述べている。こうした宇宙情報への接近を可能にするサイケデリック物質の心理学や精神医学に対する貢献を、マッケナは、16世紀に発明された望遠鏡が天文学に果たした役割になぞらえ、人間精神の構造や可能性を解き明かすもっとも強力な武器となるこのような物質を活用しないのは、人類の損失である、とまで言い切っている。実際にこの数年来、一時、使用も研究も禁止されていたサイケデリック物質を、精神医学や心理学の分野で活用しようとする動きがアメリカをはじめとするいくつかの国で出てきており、今後、この種の研究はますます盛んになっていくことが予想される。

◎歴史の終焉
 アマゾンでの体験でもう一つ興味深いのは、マッケナがトリップの最中に、歴史の終焉を見たと言っていることである。歴史の終焉と言っても、世界の終末を予言しようというのではない。彼の言う歴史の終焉とは、われわれが慣れ親しんできた歴史の終わりを意味している。そのことを説明するために、マッケナは、歴史の記述を説明する時に、普通使われる直線的な時間のモデルに変わる、新しい時間モデルをあみだした。それは、東洋の占いである『易経』をベースにしてノベルティ(新奇性)の進化を波として捉えようとする時間モデルで、歴史的な時間モデルが、直線的で実質的に終わりをもたないのに対して、時間を、一つの明確な結論へと向かうホログラフィックな動きとみなす考え方である。
「波状型時間モデル」(タイム・ウェーブ・モデル)と呼ばれるこの理論に従えば、歴史はラセン状の動きとみなされ、時間の終わりに当たるノベルティの波がピークに達するのは、2012年の12月21日だとされている。この日にわれわれが知っているような歴史に終止符が打たれる、とマッケナは言うのである。
 この歴史の終焉の日をマッケナは独自の数学的な算出法によってはじきだしたのだが、偶然にもそれはマヤ文明のカレンダーが終わる日と一致していたという。では、その日に、一体、なにが起こるのだろう。なんらかの大異変だろうか、それとも、宇宙からの謎の物体の襲来だろうか。そうしたことが起こる可能性は極めて少ないとマッケナは言う。彼が主張するのは、マヤ文明のカレンダーが終わるまでに、「われわれは、自分自身の理解を超えた存在になるだろう」ということである。なぜ、理解できないかと言えば、われわれがそれを表現する言葉をまだもっていないからである。現時点で言えるのは、すべてのものが統合に向かって進んでいるということだけだ、と彼は語る。「歴史の終わりに見えるのは、複雑な人間界と生物界の統合なんです。つまり、生物学的なもの、技術的なもの、知性的なもの、ホログラフィックなもの、その他あらゆることが一体となる。文化は相反するものの完璧な統合に向かっているんです」
 換言すれば、人間が自分たちの創造物だとみなしているもの、たとえばコンピュータやテクノロジーが、実際には、異なったレベルの自分自身であることを当然のこととして認めるようになり、ナノテクノロジー、仮想現実、サイケデリック、ハイテクノロジーなどを通して、人間が自分の形態を統御しはじめるだろう、ということである。それは言ってみれば人間と機械との共生ということであり、そうした共生を通して、人間は、機械に意識をダウンロードし、ニュートン的な時間や空間の概念に縛られないまったく新しい次元を開発するだろう、とマッケナ氏は言うのである。このような考えをあまりにも単純なオプティミズムとして批評することもできるだろうが、留まるところを知らない急速なメディアの発達、シミュレーション技術の精緻化、バイオテクノロジーや遺伝子工学の進歩、ロボット技術の発達、めざましいコンピュータの進化といったものを考えると、彼の予言を毒キノコによってもたらされた妄想として片付けるわけにはいかないのである。

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ちょこっと引用するつもりが、長~くなってしまいました。スミマセンです。(^_^;)
アセンション・・・う~ん、私には科学的な事はよく解りません。(?_?)イメージのみの認識です。それとは別に、夢などで視る未来のイメージに、人間と地球外生命体が、共同作業を行なっている光景がよく出てきます。実現したら、きっと楽しいだろうな♪と思います。(あくまでも良心的な人種に限りますが・・)


(KIN:245 赤いスペクトルの蛇/本能を解き放つ)


娘が中耳炎・・・耳鼻科へ

2005-03-26 00:18:03 | Weblog
イヤイヤ~、またまた・・マイッタ、マイッタの出来事がありました。
家の上の娘(ルナ)が、23日(水)の夜、突然耳が痛いと訴え、あまりに痛がるので夜間診療を受診しました。結果、中耳炎の疑いがあるという事で、翌日耳鼻科を受診。この辺では、木曜日耳鼻科は休診の所が多く、開いているのは“待ち時間が長い”事で有名な○○クリニックだけでした。(聞くところによると、ここの医師は診療がとても丁寧で、一人一人の診療時間も充分に取っているからなのだそうなのですが・・)朝一番で駆け込みましたが、呼ばれたのは、約二時間後でした。ルナも、痛みは前の日より引いていたのか、ノア(下の娘)と仲良く遊んで、何とか愚図らずに受診に至りました。その日は、ノアも咳が出ていたので、二人一緒に受診しました。確かにそこの先生は、患者の症状を聞く時間を長く取り、現在どのような状況になっているのかを明確且つ、詳細に伝えてくれました。先生の話を聞いていると、耳という器官は、非常に繊細に出来ているのだな~と思いました。

たまたま娘が愚図らずにおとなしくしていたからかもしれませんが、「人の話を、とてもよく聞ける素直な子ですね。きっと、お父さんか、お母さんか、どちらかは分からないけど、この子達によく絵本を読んであげているとか・・・そんな感じが伝わってきます。テレビの音では駄目なんですよ。テレビばかり見せていると、人の話を聞けない耳が出来てしまうんです。如何に、人の話をよく聞ける耳を育てるかという事が大事なんです。」と、先生。
先生にそう言われると、私は思わず嬉しくなってしまいました。

(KIN:245 赤いスペクトルの蛇/本能を解き放つ)

(でしょ、でしょ~~。やっぱりね!私のしてきた苦労を、子供達の“耳”から読むなんて・・・さすが名医と呼ばれるだけはあるよね)思えば、丁度ルナの誕生日前に、精霊による啓示を受けたのです。その時私が視たビジョンは、テレビから発せられる電波が、子供達の身体を脈のようになって取り巻き、生気を失わせるというものでした。次の日私は、“子供達の寛ぎの空間にテレビを置くのは良くない”と気が付き、テレビを隣のキッチンの方へと移動したのでした。
主人は、食事の時もテレビを点けっ放しにしていて平気な人なのですが、子供の教育上、食事の時だけは、消してもらうように努めてきました。“自分勝手だ、楽しみを奪う奴(?)だ”等と言われた日もありましたが、それにもめげず、静かに忠告を続けて来ました。
主人が見るのは、主にニュースとスポーツ番組です。この世の中、ホント、ネガティブなニュースが多いですから・・・“世の惨劇を見ながら、飯のおかずを啄ばむ家族の光景”って、何かおかしくありませんか??

娘はやはり、急性中耳炎でした。風邪のウイルスから来たものだったようです。ノアは少し喉が赤い程度でした。子供達の風邪を、今度は私が貰いました。家事や子供のケアに追われていると、自分が具合が悪くても中々養生出来ません。そんな中、実家の母が来てくれました。助かった~! 今回は、パパもルナを車で夜間診療へ連れて行ってくれたり(ノアが寝込んでいた為、私も家にいた)買い物に行ってくれたり、睡眠時間も殆ど取らずに頑張ってくれました。(ホントは凄く眠いはずなのに、今夜はTVのサッカー中継に見入っていました。(^_^;))ルナは、暫くはなるべく静かな環境で過ごすようにという事でしたが、どうしたってこの年頃の子供は・・・今日も、喧嘩したり、泣いたり、騒いだりと・・・静かな環境とは程遠いものでした。ハーブティーは、消炎効果のあるものを、カモミールベースにして飲ませています。
耳鼻科へは、暫く通う事になりそうです。
(やはり、待ち時間は短い方がいいですね。特に子連れだと・・)


(KIN:242 白い銀河の風/呼吸を型どる)

愛らしい花達

2005-03-22 22:57:33 | Weblog
今日は主人の誕生日だった。
ファミリー生活ともなると、やれクリスマスだ、やれひな祭りだ、やれ誰それの誕生日だ・・・としょっちゅうイベントだらけで(^_^;)お金もままならないので、各イベントごとに、あまり盛大には祝いませんが、ちょっとそれらしく、300円の花束を2束買いました。そして花瓶が無かった為、ビールジョッキに生けました。

アネモネ、チューリップ、スイートピー、そして青麦も入っていて、春らしく鮮やかな彩りになりました。こんな愛らしい花達の波動を感じるのが、私は嬉しいです。
主人はと言うと、帰ってくると花達を見て“Thank you!”とは言ったものの、TVのボクシングに釘付けでした。
(こんなギスギスした波動はイヤダ・・・)そんな花達の叫びが聞こえた私は、可愛そうになって花達を隣の部屋へと連れて行きました。そして、花の“feeling”が解る娘達と共に、この美しい花々を愛おしんだのでした。


(KIN:238 白い自己存在の鏡/秩序を計測する)

本当は怖いもしれない(^_^;)?悟り(覚り)の話☆

2005-03-22 15:00:35 | Weblog
今日は「悟り」という言葉の意味について、少し自分なりに考察してみたい。

霊的な世界を探求する人は、よく「悟り」という言葉を口にする。まずは語句的な解釈から・・・。
【悟り・覚り】理解すること。知ること。また、気づくこと。感づくこと。察知・・・(広辞苑より)とある。

本来、私達人間は、魂のレベルにおいては全てを理解(認識)し、実感しているものと思われる。今この現状が肉体という器官に収まっている為、人間が知覚出来る範囲というものも決まっている。
宇宙は、おそらく人間の意識では測り知ることが出来ないくらい「∞」果てしないものだろうと、私は思う。今この肉体を纏っている状態において、この偉大なる大宇宙の全てを認識する事は不可能に近いのではないだろうか・・・?寧ろ私は、人間にとって必要な悟り(覚り)とは、人間的な悟りで充分なのではないかと、近頃は思うようになった。人間的な、ヒューマニックな感情を持ち、人の痛みに共鳴できる感性を持つ事・・・等が、今の時代においては最も大切な事ではないだろうか?

それとは別に、人間が人間という身体において、認識できる枠組み(知覚の範囲)というものを無理に拡大しようとすると、どのような事が起きるのかという事について、ある人物の体験記述を例にとって、少し触れてみたい。

以下↓「psychedelic drug~向精神性物質の科学と文化」書籍より引用

DMTの注射は、ひどい体験を引き起こすことがある。
 
 三日と二晩原稿に取り組んだ後だった。それがまず第一の誤りだった。「実験」が行なわれる部屋はとんでもなく散らかった、汚くすすけた不潔な部屋だった。これが第二の誤りだった。私は神を見ると予告されていた。これが第三の、そして最悪の誤りだった。
 注射針が私の腕に刺され、そしてデメチル・トリプトアミンが私の血流にじわじわと流れ込んだ。同時にスチームがリズミカルなどよめきを上げはじめ、それが少しは身体を暖めてくれるだろうと、ぼんやり考えていたことを憶えている。三〇秒程で変化に気づいた、というよりそれまで何の変化も受けていなかったことに気づいたと言った方がいい。つまり、私はこうした夢幻的天上世界に数百万年もの間いたことに気づいたのだ。私がドクターにそう話すと、彼は言った「よし、これから脳の関門通過がはじまるぞ」。
 あまりに速く起った。ものすごく速かった。ほんのさっきまでドアだったり飾り棚だったりした物体を見上げたが、私が見ることができたのは、意味をなさなくなったただの平行線だった。次元は壊された。物体それぞれの地形的関係はやみくもに崩され、混沌が支配していた。私は思った。「でも彼は、私が神を見ることになる、そして宇宙の意味がわかるようになると言ったはずだ」と。私は目を閉じた。神らしい存在がそこにいた、私の瞼の裏に。
 ともかく何かがそこにいた。地平線の彼方の空中から私に向かってやってくる何か。最初はぺンの先ほどの大きさだったが、それが染みとなり、さらに大きくなったが、形をなさなかった。私に向かって進んでくる間、それは律動性の金属的なキィーキィーという高い音をたてていた。ダイアモンドの喉頭から発する断続的な響き。そしてその後、私の眼前にぼんやりあらわれたのは、途方もない空洞、宇宙大のダイアモンド・キャット。それは天空を充たし、空間すべてを充たした。どこにも逃げようがなかった。それがすべてだった。そこには―その宇宙には、私の場所はなかった。クリスタルの輝きを持つ凶暴な眼差しに私は圧倒された。私の心、私の身体、私の自己評価のかけらはこのダイアモンドのきらめく固い結晶の中に消え去った。
 それは妖怪じみた玩具のように律動的に痙攣し、その上それは常時声を発していた―希望を奪う金属性の鋭い単調な声・・・。その声が言っている内容を理解したとき、身が凍りつくようだった!それは私に言っていた。おまえは哀れな肉のたるんだ物体だ、ぶよぶよした潰れやすい虫けらだ、と。私は、ぶよぶよした内臓とぬるぬるした液体でできた物質で、結晶化した神にとっては忌まわしいものだった。
 私は目を開けた、そして叫び声を上げて椅子から立ち上がった。「あなたなんていらない!これを消す薬はどれだ?解毒薬を処方してくれ!」しかしそういったとき、私は自分自身の質問を疑った。というのは私が知っている限り、私はその存在とともに生まれ、その存在とともに死ぬだろうということが、唯一絶対的な現実のように思えたからだ。この心の状態を超えたところに未来はなく、この存在を超えたところに精神はありえなかった。
 「解毒剤はないよ」、とドクターが言った。「リラックスしなさい、まだ三分しかたってないよ。まだあと二十五分は残っているのだからね」

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上記は、DMTという薬物を静脈注射した人による体験手記。(※日本では、この成分を体内に取り入れる事は法律で禁じられています。)被験者が体験中に視たイメージも、この人物の意識というフィルターを通して語られたものであるが、被験者が体験中に、恐ろしい神(?)なる存在に遭遇し、足掻く姿が何ともリアルに感じられ、印象的である。
そもそも、人間の身体とは波長の合わない、chemical:ケミカル(化学的に合成された)な薬剤等を使用するから、そのような目に遭われたのでしょうけれど。(^_^;)お気の毒さまデス・・・。
(自然界に存在する、伝統的な natural:ナチュラルな薬草を、シャーマン等の正統な指導者の下に使用するのとは訳が異なる。同じだと言う人は、単なるナンセンスか、唯、認識がないというだけである。)
このように強烈な化学的薬剤で、無理矢理人間の知覚を拡げようとすれば、我々が理解し得ないような、とんでもない事が起きるかもしれないという事だ。それはあまり、思わしくないだろう。
知覚を拡大する事も、時には必要な場合もあるが、目的や手段を間違えば、反って精神を危険な状況に曝してしまう。

ところで、「悟り・覚り」とは何ぞや?という内容に話を戻そう。
私は普段、しょちゅうへまをやらかす(*_-)〉;ズッコケ人間であり、「悟り」の境地からは程遠い存在なのだが、結構私の身近な場所で、「悟り・覚り」の波動を発している人物に遭遇する事がある。私の普段の日常生活の場において、そのように感じる人物というのは、「共鳴能力」―他者の痛みに“ピピッ”と反応する“ヒューマニックセンサー”を持ち備えた人である。そんなセンサーを持つ人の“オーラ”に遭遇すると、自己の内部に存在する微かなセンサーもそれに共鳴し、お互いのオーラ間に“humanic”で“heartful”な輝きが放たれる。

現在の地球人類において、最も必要とされる「悟り・覚りの波動」というものは、誰しも生まれながら、意識の中に持ち備えてきた、このような“feeling”ではないのだろうか・・・?それをお互いに誘発していく事が、地球の進化を促す力になるのであろう。


(KIN:238 白い自己存在の鏡/秩序を計測する)


苦味も慣れれば「乙」なもの!?

2005-03-22 14:59:00 | Weblog
先日から始めた、カレア・ザカテチチによる夢見実験ですが、週末から上の娘が風邪をひき、夜中に目を覚ましたりして、まとまった睡眠が中々とれません。毎夜、就寝前にherbの摂取はするようには心がけてますが・・・(^_^;)
浸出液の方は、何度か飲んでいるうちに独特の“苦味”にも大分慣れて来て、この苦味が有り難いと思えるまでに進歩しました。(自己賞賛(笑)) 昨日も、丁度夢の途中で娘に起こされ、中断されてしまいました。

昨日の夢は(途中まででしたが)自分と過去に関りのあった、主要な人物が登場しました。(その人との関りにおいて、自己の中で消化しきれていない意識があったのかもしれません。)

今回の実験で“ザカテチチ”のストックが残り少なくなってしまいました・・・近々購入予定です。


(KIN:238 白い自己存在の鏡/秩序を計測する)

我一身(一神)小宇宙 “Mikro Kosmos”

2005-03-21 00:13:46 | Weblog
人間の身体はひとつの宇宙である。

普段はあまり、感覚的にこのような現実を感じる事が少ないだけだ。

本来人間は、神から発生した一部であると思う。

肉体に閉じ込められているから、自分という範囲をとても狭く感じるのだろう。

自分自身をひとつの宇宙だと感覚的に解って来ると、自己の内面を探る事にも、きっと楽しみを得られるであろう。

この地球上に存在する、多くの利己的な支配者が、他者を犠牲にして得る楽しみでなく、己の内なる楽しみを悦べる感覚へと移行出来るよう、私は祈念している。


(KIN:237 赤い電気の地球/共時性をつなぎとめる)

Dream report ☆(-_-)zz (Ⅱ)

2005-03-19 15:11:33 | Weblog
①体験日時:2005/03/19
②摂取herb 無し(体験Ⅰ~約12時間後)
(↑本当は、摂取予定だったんだが、上の子がちょっと熱っぽくて愚図ったので一緒に寝ちまった。)
③★寝入り時刻:AM:2:00くらい ☆目覚め時刻:AM3:00
いや~、見ちまった、見ちまった。バットなバージョンの夢を・・自分自身の幼い頃経験した、抑圧されていた思いってまだこんな所に隠されてたんすかね~という感じ・・・。そんな意識を連想させる場面が、いくつか出てきた。(以前、他のherbを摂取した時も、これと似たような夢見体験をした。やはりその時も、摂取後、半日くらい経ってから見た夢に、自分はもう忘れたと思っていた幼い頃の記憶が夢に現れた・・・その時も、強烈なリアル感を伴ったビジョンが見えて、驚きと共に目が覚めた。その瞬間、母親と私、私と子供のカルマ(契約)間におけるビジョン(意識のイメージ)が、ビビーッと一直線に縦に繋がったかのように感じた。)自分の両親が夢に登場していた。(このブログ、母も時々見ているそうなので、ショックを受けるといけないので、あまり鮮明には記述しませんが(^_^;))結構凄まじく、お互いに言い合ったりぶつかりあったりしている場面でした・・・しかし、普段の日常では、現在親にうらみを持って生活している訳ではないし、過去のネガティブな出来事も、自分の中では全て受け入れ、納得しているつもりであった。よって、夢に出てきた事は、無意識に自分が忘れようとして、心の奥底に、自分自身で閉じ込めてきたものかもしれない・・・それが夢に浮上して来たという事は、それを解放するプロセスの一部なんだろうね、きっと。(過去を蒸し返して、再びそこにフォーカスしろというメッセージではないよな。(^_^;))メッセージも、ポジティブに受け止める事が大事ね。

又、自分も気をつけなさいっていう警告でもあるかもしれない、子供に対する接し方等に・・・。でも子供に対して“親子のカルマを作ってはいけないから”と必要以上に神経質になるのではなく、私の場合は、自分のエゴを極力控えながら、接していく事が必要だと感じた。短い夢の中にも、様々な気づきがあった。


(KIN:235 青い磁気の鷲/心を引きつける)