Happy Herblog♪

“精霊”と共に在る生活

宇宙意識☆アセンション意識について

2005-03-29 02:46:25 | Weblog
娘の中耳炎と、親子でひいていた風邪がようやく治りつつあります。今回の風邪は、熱が上がったり下がったりを繰り返し、いつまでもダラダラ、ウジウジ・・・「治るのか?治らないのか?いい加減にハッキリせ~い!!」というような感じの“風邪ウイルス”で、ホント、頭に来ました。悪質なバイキンマン共よ!とっとと立ち去りたまえ~~!!
でも、子供達は、昨夜からやっと通常の眠りに就いています・・・ホッ

今日は、上記タイトルのような意識について(昨夜、何となく“ピピッ”と来まして)自分が共鳴する波動を、愛書やネットで拾った記事等(過去記事ですが)から引用、紹介させて頂こうと思う意向であります。

APG アセンションプロジェクト銀河の声 HPの「山田孝男ライブラリー」次元上昇はどのようにして起るのか より

神々の糧(テレンス・マッケナ/著)書籍(菅 靖彦 氏による解説より引用)

◎サイケデリック体験の神秘より
「キノコで驚くべきことは、それが生きていること、実際に誰かがあなたに語りかけるということなんです」と「LAウィークリー」誌のインタビューに答えてマッケナは語っている。しかも、本人が知っている母国語で、本人にとってもっとも重要な関心事について語るというのだ。もしそれが本人の知っている情報であれば、人間が頭の中で絶えず行なっている自我的な対話の一部とみなすことができるが、知らないものとなれば、簡単には片付けられない。それに関してマッケナ氏は、「実際何が起こっているかというと、自我と、普段、視界から隠されている精神のより大きな統合された部分との間に、対話が起こるということだと思うんです。自我は2000年前の環境への適応の為に作られた、かなり新しい発明品なのかもそれません。アマゾンでは、森の人々が、アヤファスカを摂取して集団精神に入り込むと言っています。そうする事によって彼らは、どこで狩りをするか、どこに移動するかといった部族にとって重要な問題を決定するんです」と述べている。
 こうした声を「神の声」と呼ぶかどうかといった事については、マッケナはあまり関心を示さない。重要なのは、われわれが、普段、自分自身だと思っている自我の奥には、他者や自然と密接に結びついた統合された精神とでも呼ぶべきものが横たわっており、なんらかのきっかけでそれが表面に浮上してくる場合があるということなのである。そのような統合された精神をオルダス・ハックレーは宇宙精神と呼び、マッケナがサイケデリック界の興味を抱くきっかけとなった『知覚の扉』の中で次のように書いている。
 「人間は誰でも本来的には、宇宙精神を持っていることになる。しかし、われわれが生き物である限り、人間はどんなに大きい犠牲を払ってでも生物的生存を続けていく義務がある。そして生物的生存を可能にするためには、宇宙精神の意識内容は、脳や神経組織の減量バルブによって濾過減量という検問を受けざるを得ない」(『知覚の扉・天国と地獄』今村光一訳、河出書房新社刊)
 普段は、脳や神経系が減量バルブとして働いているため、宇宙精神の意識内容は、この地球上で生存していくために必要なものと意識化されないが、サイケデリック物質を摂取すると、バルブが開き、宇宙精神がどっと入りこんでくる、とハックレーは言うのである。LSDセラピーの創始者であるチェコ出身の精神医学者スタニスラフ・グロフも、みずからのサイケデリック体験を踏まえ、「個々の人間は、全宇宙ないし全存在に関する情報を内に含んでおり、宇宙のあらゆる部分に体験的に接近できる潜在能力をもっている」と述べている。こうした宇宙情報への接近を可能にするサイケデリック物質の心理学や精神医学に対する貢献を、マッケナは、16世紀に発明された望遠鏡が天文学に果たした役割になぞらえ、人間精神の構造や可能性を解き明かすもっとも強力な武器となるこのような物質を活用しないのは、人類の損失である、とまで言い切っている。実際にこの数年来、一時、使用も研究も禁止されていたサイケデリック物質を、精神医学や心理学の分野で活用しようとする動きがアメリカをはじめとするいくつかの国で出てきており、今後、この種の研究はますます盛んになっていくことが予想される。

◎歴史の終焉
 アマゾンでの体験でもう一つ興味深いのは、マッケナがトリップの最中に、歴史の終焉を見たと言っていることである。歴史の終焉と言っても、世界の終末を予言しようというのではない。彼の言う歴史の終焉とは、われわれが慣れ親しんできた歴史の終わりを意味している。そのことを説明するために、マッケナは、歴史の記述を説明する時に、普通使われる直線的な時間のモデルに変わる、新しい時間モデルをあみだした。それは、東洋の占いである『易経』をベースにしてノベルティ(新奇性)の進化を波として捉えようとする時間モデルで、歴史的な時間モデルが、直線的で実質的に終わりをもたないのに対して、時間を、一つの明確な結論へと向かうホログラフィックな動きとみなす考え方である。
「波状型時間モデル」(タイム・ウェーブ・モデル)と呼ばれるこの理論に従えば、歴史はラセン状の動きとみなされ、時間の終わりに当たるノベルティの波がピークに達するのは、2012年の12月21日だとされている。この日にわれわれが知っているような歴史に終止符が打たれる、とマッケナは言うのである。
 この歴史の終焉の日をマッケナは独自の数学的な算出法によってはじきだしたのだが、偶然にもそれはマヤ文明のカレンダーが終わる日と一致していたという。では、その日に、一体、なにが起こるのだろう。なんらかの大異変だろうか、それとも、宇宙からの謎の物体の襲来だろうか。そうしたことが起こる可能性は極めて少ないとマッケナは言う。彼が主張するのは、マヤ文明のカレンダーが終わるまでに、「われわれは、自分自身の理解を超えた存在になるだろう」ということである。なぜ、理解できないかと言えば、われわれがそれを表現する言葉をまだもっていないからである。現時点で言えるのは、すべてのものが統合に向かって進んでいるということだけだ、と彼は語る。「歴史の終わりに見えるのは、複雑な人間界と生物界の統合なんです。つまり、生物学的なもの、技術的なもの、知性的なもの、ホログラフィックなもの、その他あらゆることが一体となる。文化は相反するものの完璧な統合に向かっているんです」
 換言すれば、人間が自分たちの創造物だとみなしているもの、たとえばコンピュータやテクノロジーが、実際には、異なったレベルの自分自身であることを当然のこととして認めるようになり、ナノテクノロジー、仮想現実、サイケデリック、ハイテクノロジーなどを通して、人間が自分の形態を統御しはじめるだろう、ということである。それは言ってみれば人間と機械との共生ということであり、そうした共生を通して、人間は、機械に意識をダウンロードし、ニュートン的な時間や空間の概念に縛られないまったく新しい次元を開発するだろう、とマッケナ氏は言うのである。このような考えをあまりにも単純なオプティミズムとして批評することもできるだろうが、留まるところを知らない急速なメディアの発達、シミュレーション技術の精緻化、バイオテクノロジーや遺伝子工学の進歩、ロボット技術の発達、めざましいコンピュータの進化といったものを考えると、彼の予言を毒キノコによってもたらされた妄想として片付けるわけにはいかないのである。

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ちょこっと引用するつもりが、長~くなってしまいました。スミマセンです。(^_^;)
アセンション・・・う~ん、私には科学的な事はよく解りません。(?_?)イメージのみの認識です。それとは別に、夢などで視る未来のイメージに、人間と地球外生命体が、共同作業を行なっている光景がよく出てきます。実現したら、きっと楽しいだろうな♪と思います。(あくまでも良心的な人種に限りますが・・)


(KIN:245 赤いスペクトルの蛇/本能を解き放つ)