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“精霊”と共に在る生活

本当は怖いもしれない(^_^;)?悟り(覚り)の話☆

2005-03-22 15:00:35 | Weblog
今日は「悟り」という言葉の意味について、少し自分なりに考察してみたい。

霊的な世界を探求する人は、よく「悟り」という言葉を口にする。まずは語句的な解釈から・・・。
【悟り・覚り】理解すること。知ること。また、気づくこと。感づくこと。察知・・・(広辞苑より)とある。

本来、私達人間は、魂のレベルにおいては全てを理解(認識)し、実感しているものと思われる。今この現状が肉体という器官に収まっている為、人間が知覚出来る範囲というものも決まっている。
宇宙は、おそらく人間の意識では測り知ることが出来ないくらい「∞」果てしないものだろうと、私は思う。今この肉体を纏っている状態において、この偉大なる大宇宙の全てを認識する事は不可能に近いのではないだろうか・・・?寧ろ私は、人間にとって必要な悟り(覚り)とは、人間的な悟りで充分なのではないかと、近頃は思うようになった。人間的な、ヒューマニックな感情を持ち、人の痛みに共鳴できる感性を持つ事・・・等が、今の時代においては最も大切な事ではないだろうか?

それとは別に、人間が人間という身体において、認識できる枠組み(知覚の範囲)というものを無理に拡大しようとすると、どのような事が起きるのかという事について、ある人物の体験記述を例にとって、少し触れてみたい。

以下↓「psychedelic drug~向精神性物質の科学と文化」書籍より引用

DMTの注射は、ひどい体験を引き起こすことがある。
 
 三日と二晩原稿に取り組んだ後だった。それがまず第一の誤りだった。「実験」が行なわれる部屋はとんでもなく散らかった、汚くすすけた不潔な部屋だった。これが第二の誤りだった。私は神を見ると予告されていた。これが第三の、そして最悪の誤りだった。
 注射針が私の腕に刺され、そしてデメチル・トリプトアミンが私の血流にじわじわと流れ込んだ。同時にスチームがリズミカルなどよめきを上げはじめ、それが少しは身体を暖めてくれるだろうと、ぼんやり考えていたことを憶えている。三〇秒程で変化に気づいた、というよりそれまで何の変化も受けていなかったことに気づいたと言った方がいい。つまり、私はこうした夢幻的天上世界に数百万年もの間いたことに気づいたのだ。私がドクターにそう話すと、彼は言った「よし、これから脳の関門通過がはじまるぞ」。
 あまりに速く起った。ものすごく速かった。ほんのさっきまでドアだったり飾り棚だったりした物体を見上げたが、私が見ることができたのは、意味をなさなくなったただの平行線だった。次元は壊された。物体それぞれの地形的関係はやみくもに崩され、混沌が支配していた。私は思った。「でも彼は、私が神を見ることになる、そして宇宙の意味がわかるようになると言ったはずだ」と。私は目を閉じた。神らしい存在がそこにいた、私の瞼の裏に。
 ともかく何かがそこにいた。地平線の彼方の空中から私に向かってやってくる何か。最初はぺンの先ほどの大きさだったが、それが染みとなり、さらに大きくなったが、形をなさなかった。私に向かって進んでくる間、それは律動性の金属的なキィーキィーという高い音をたてていた。ダイアモンドの喉頭から発する断続的な響き。そしてその後、私の眼前にぼんやりあらわれたのは、途方もない空洞、宇宙大のダイアモンド・キャット。それは天空を充たし、空間すべてを充たした。どこにも逃げようがなかった。それがすべてだった。そこには―その宇宙には、私の場所はなかった。クリスタルの輝きを持つ凶暴な眼差しに私は圧倒された。私の心、私の身体、私の自己評価のかけらはこのダイアモンドのきらめく固い結晶の中に消え去った。
 それは妖怪じみた玩具のように律動的に痙攣し、その上それは常時声を発していた―希望を奪う金属性の鋭い単調な声・・・。その声が言っている内容を理解したとき、身が凍りつくようだった!それは私に言っていた。おまえは哀れな肉のたるんだ物体だ、ぶよぶよした潰れやすい虫けらだ、と。私は、ぶよぶよした内臓とぬるぬるした液体でできた物質で、結晶化した神にとっては忌まわしいものだった。
 私は目を開けた、そして叫び声を上げて椅子から立ち上がった。「あなたなんていらない!これを消す薬はどれだ?解毒薬を処方してくれ!」しかしそういったとき、私は自分自身の質問を疑った。というのは私が知っている限り、私はその存在とともに生まれ、その存在とともに死ぬだろうということが、唯一絶対的な現実のように思えたからだ。この心の状態を超えたところに未来はなく、この存在を超えたところに精神はありえなかった。
 「解毒剤はないよ」、とドクターが言った。「リラックスしなさい、まだ三分しかたってないよ。まだあと二十五分は残っているのだからね」

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上記は、DMTという薬物を静脈注射した人による体験手記。(※日本では、この成分を体内に取り入れる事は法律で禁じられています。)被験者が体験中に視たイメージも、この人物の意識というフィルターを通して語られたものであるが、被験者が体験中に、恐ろしい神(?)なる存在に遭遇し、足掻く姿が何ともリアルに感じられ、印象的である。
そもそも、人間の身体とは波長の合わない、chemical:ケミカル(化学的に合成された)な薬剤等を使用するから、そのような目に遭われたのでしょうけれど。(^_^;)お気の毒さまデス・・・。
(自然界に存在する、伝統的な natural:ナチュラルな薬草を、シャーマン等の正統な指導者の下に使用するのとは訳が異なる。同じだと言う人は、単なるナンセンスか、唯、認識がないというだけである。)
このように強烈な化学的薬剤で、無理矢理人間の知覚を拡げようとすれば、我々が理解し得ないような、とんでもない事が起きるかもしれないという事だ。それはあまり、思わしくないだろう。
知覚を拡大する事も、時には必要な場合もあるが、目的や手段を間違えば、反って精神を危険な状況に曝してしまう。

ところで、「悟り・覚り」とは何ぞや?という内容に話を戻そう。
私は普段、しょちゅうへまをやらかす(*_-)〉;ズッコケ人間であり、「悟り」の境地からは程遠い存在なのだが、結構私の身近な場所で、「悟り・覚り」の波動を発している人物に遭遇する事がある。私の普段の日常生活の場において、そのように感じる人物というのは、「共鳴能力」―他者の痛みに“ピピッ”と反応する“ヒューマニックセンサー”を持ち備えた人である。そんなセンサーを持つ人の“オーラ”に遭遇すると、自己の内部に存在する微かなセンサーもそれに共鳴し、お互いのオーラ間に“humanic”で“heartful”な輝きが放たれる。

現在の地球人類において、最も必要とされる「悟り・覚りの波動」というものは、誰しも生まれながら、意識の中に持ち備えてきた、このような“feeling”ではないのだろうか・・・?それをお互いに誘発していく事が、地球の進化を促す力になるのであろう。


(KIN:238 白い自己存在の鏡/秩序を計測する)


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