偏屈へ古稀鵺爺のたはごと

明日できることは
  今日はやらないのだ

喪中の葉書

2007年12月21日 22時32分56秒 | たはごと

いまだに、喪中のはがきが引き続き来る。
もう、年賀葉書を作成して、出状しているお人もいるというのに・・・

この辺になると、いい加減な書き方になる。

“喪中につき年末年始の
  ご挨拶を失礼させていただきます“


そりゃぁ、いまでは年賀状だけの一年に一回の繋がりになったのだから、母上
が亡くなろうと、父上が亡くなろうと、偏屈鵺爺には関係ない話だろうよ。
深いお知り合いであれば、お葬式に参列しているわなぁ、、、
 
とはいえ、遠い昔、小学生だった偏屈鵺少年が遊びに行った時、美味しい
お菓子を出してくれた、あの綺麗なお母様が、亡くなったのかぁ・・・
という、感慨にふけることが出来るじゃないか。
あぁ、あの逢うたびに胸がきゅんと高鳴った、お友達のおねぇさんが、亡くな
ったのかぁ、、、
という、感傷にふけることが出来るじゃないか。

逢ったこともないひとでも、
“祖母のヨネが九十九歳で10月に逝去いたしました”
とあれば、あぁ、彼のおばあさんはヨネさんと云う方だったのか、その方が
九十九歳まで生きていたのかぁ・・・と、ヨネさんの生きてきた存在を知る
ことができるじゃないか。
孫の成長を蔭ながら楽しみにしていたヨネさんにとって、そうやってその存在
を百数十人に知らされる、唯一の機会ではないか・・・
ヨネさんにとって、それが一生に一度の晴れがましいことかも知れないでは
ないか。
結婚式と、葬式に次ぐ、一大イヴェントではないか。

それが、誰が亡くなったかわからなければ、何の感情も湧かないというもので
はないか。
 
まぁねぇ、どなたが亡くなったのかは、個人情報だから、教えないってか?

ふんっ